高野真理子の扉を開けて―第5回 いろはにほへど

2017-04-23

 

★受講生が発信する山村教室の紹介ブログです★
「高野真理子の扉を開けて―第5回 いろはにほへど」

 通勤途中で桜を視界にとらえる。
お花見の予定をたてる暇もなく、既に満開の時は過ぎ、桜吹雪が道路へと降り注ぐ。
四月になってからというものの、残業続きで、そろそろ体力も限界だった。
会社でパソコンに向かい過ぎているせいか、帰宅してからパソコンを立ち上げても、メールチェックが精一杯だった。
今夜も残業をしていたけれど、二度ほどケアレスミスをしたので、今日はここまでと帰宅することにした。
歩きながら明日の仕事の優先順位を考えていると、赤信号に足止めされる。
夜風が首筋を吹き抜け、薄手のコートを少し後悔をした。
「完全にスタミナ切れだわ……」
思わず心の声が出てしまった。
せめて天に向かって、大きくため息をついてやろうと、空を見上げた。
するとそこには、夜空に大きく枝を伸ばす銀杏の木が、静かに自分をのぞきこんでいた。


こんばんは! 高野真理子です。
最近は毎日残業三昧なので、ご挨拶も「こんばんは」にしてみました(笑)。
皆さんの忙しい時期はいつ頃ですか?
高野は今が一番忙しい時期です。
この前お正月だと思ったら桜が咲き、もう散り始めています(笑)。
気付けば春が来ていました!
皆さんの周りでも、いろいろな「春」が始まっていることと思います。
 山村教室でも新年度が始まり、新しく入会する皆さんを迎える「いろは会」も、無事終了したようです。
半年に一度、新メンバーをお迎えするわけですが、数えてみると高野も今回で七回目の「いろは会」。
時間が経つのは本当に早いものです。
そんな中で、ふと考えたのです。
山村教室へ入会した方は、「いろは会」から始まります。
最初の一歩は同じだけれども、目指す作家への道のりは、皆さんそれぞれの進み方があります。
「一体、今その道のどこら辺にいるのだろう?」
結果が出ない時ほど、こんな事を考えたりします。
忙しさを理由に「物語」から離れてしまった時や、どんなに応募しても落選し続けた時など、「作家になった自分」から逆算したら、自分は今どこら辺にいるのだろうかと、せんないことを思うわけです。
皆さんにも、そんな時はありませんか?
もしかしたら、そんなことを考えているのは、高野だけかもしれませんね(笑)。
ともかく、そんな言い訳だらけの自分が嫌になり、ため息をつこうと空を見上げたら、そこに答えがあったんです。
夜空に大きな枝を広げた銀杏の木が、静かにそこに立っていました。
街路灯のはるか上へと枝を伸ばす銀杏には、びっしりと若葉がついていました。
ほんの数週間前までは、枝に葉など一つもついてもいなかったのに、いつの間にか、小さくてかわいい若葉で覆われていたのです。
やわらかな萌黄色の葉が、街路灯に照らされて夜空に浮かび上がり、桜とは違った春を街へ運んできていました。
それを見た瞬間、「あ、そっか」と、急に答えをもらった気がしました。
誰にでもスタミナ切れの時があります。
けれど、深く思い悩むことなどないのです。
不安や言い訳を、枯れ葉のようにぶるりとふるい落として、何もなくなった枝に、新たに希望を芽吹かせればいいのだと、銀杏に言われた気がしました。
見上げると、銀杏の若葉は冷たい夜風に吹かれながらも、「そうだ、そうだ」という風に、ふるりふるりと葉をふるわせていました。
 春は偉大です。
色々なことの「最初」の気持ちを思い出させる季節です。
皆さんの中にも、高野のようにマイナス感情にとらわれたことがある方はいらっしゃいませんか?
そんな時は、春に芽吹く若葉のように、「今年もまた頑張るぞ!」と、新しい芽をまた出せばいいんです!
答えは分かっています。
「山村教室不足かな……」
スタミナ切れの時こそ、山村教室で元気をもらえばいいのだと。
そして、今なら新しく入会された方々に会って、初心を思い出してみればいい。
小説家を目指す仲間がいる場所で、自分の心をのぞき込めばいい。
再びのぞき込んだ心の奥にある願いを、自分で大切にすればいいだけなのだと気付きました。
 信号が青に変わり、一歩足を踏み出しました。
夜空に浮かぶ若葉に別れを告げて、横断歩道を大股で渡りました。
ほんの数分前のしぼんでいた気持ちは、嘘のようにどこかへ消えていました。


その夜、久しぶりにメールチェック以外のことをしました。
短編のアイデアメモを、少しだけ書くことができたのです。
一文字、一文字入力していくうちに、アイデアを考えることに集中していきました。
そして、その波に乗って、このブログに取り掛かりました。
書くことは、やっぱり楽しかったです。


 高野は不調な時、山村教室へ行きたいと思います。
小説家になりたいと考えている人達が、そこに待っています。
それが、どんなに心強い事か、覚えていてほしいと願います。
新しく入会された方、また入会を考えていらっしゃる方、山村教室は、「心のよりどころ」でもあります。
山村教室との関わり合い方は人ぞれぞれですが、ぜひ教室へいらしてみませんか?
何か心に響くものが必ずあると、高野は信じています。


ただ、このブログを書きながら、作家への道のりを「いろは歌」に例えるならば、一体今どこらへんだろう? と、もう一度考えて、ネットで「いろは歌」を調べてしまったことは秘密です(笑)。
それでは、本日のところはこのへんで。
機会がありましたら、またお会いしましょう。


猫招きがお届けします―第4回 仲間

2017-03-30




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第4回 「仲間」

春めいてきた今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
前回の記事から大分時間があいてしまいましたが、僕はまあぼちぼち元気でやっております。
さて、ハンドルネームをご覧いただければ大体想像がつくと思いますが、僕は大の猫好き。
今も飼っている猫を膝に乗せつつ、ブログを書いていたりするわけです。
幸いなことに、猫もこの位置が大好きらしく、パソコンの電源を入れて椅子にすわると、すぐにやってきて膝に乗ってくれます。
小説を書くときも膝にいるわけで、僕にとっては、長年にわたる心強い執筆の友です。
小説を書くということは、孤独な作業なのですが、しゃべらず、ただ寄り添ってくれるという猫という存在は、僕にとってはとても大切なものです。


そんなわけで猫とは仲よくやっていますが、猫(あるいは家族)では役不足かな、と思ってしまう場面も、少なからずあります。
それはつまり、しゃべりたいときです。
訂正。ただしゃべるんじゃない。小説を書いているときに発生する、もろもろの不安や辛さ。愚痴などを、言葉の通じる対象に向かって訴えたいときです。
まず猫は日本語が通じないので無理。
言葉の通じる家族でも(幸いなことに僕の場合、熱心に耳を傾けてくれはするのですが)今一つ、僕の心は満たされません。
多分、感情や感覚の共有というべきものの欠如が問題なのだと思います。
彼らは(猫も含めて)僕がやっている小説作業のことを見て知ってはいるが、実際を体験したわけじゃない。
だから、関心や感心や同情は生まれても、それ以上の同族意識が生まれてこない。
すいません。自分から進んで小説を書きはじめておいて、そのうえ不満を述べるとは、贅沢きわまりないことですよね。
でも、小説を書いている方なら、おおむね納得していただけることなのではないかと思います。
正直に言いますと、僕はこの手の孤独に、あまり強いほうではありません。
でも、それでも曲がりなりに、小説を書いてこられたのは、山村教室という場所に入れたからだと思います。


当たり前ですが、教室にいる人たちは、みな小説を書いています。
そう、あらためて意識するとじつに不思議な感覚になりますが、教室は、小説という名のつく文章を、机に向かって書いている人たちの大集団なのです。
ふだんは影を潜めていて、どこにいるやら見当のつかない人種が、頭をそろえて集っている。
これって凄いことですよね。
僕は正直言って、教室に入らなければ、こんなにも頑張って小説を書きつづけることはできなかっただろうと思います。
教室には、先に述べた、小説書きしかもてない感覚や葛藤を心に持った人が、たくさんいます。
何も、微に入り細に要り、自らの文学観を語ったりする必要などはないのです。
小説書きとしての矜持をもった人と、小説の話や、近況を語り合うだけで、不思議なくらいに孤独は埋まっていき、不安も幾分か消えていくのです。
少なくとも僕はそうです。


そして、山村教室には、大切な決まりがあります。
「受講生どうしで作品講評を行なってはならない」という鉄の掟です。
これを聞いて、物足りなく感じる方もいるでしょう。せっかく小説書きが集まっているのに、互いの作品を論評できないなんて、どうしてなんだ、と。
でも僕は、この決まりこそが、受講生どうしの不毛なマウンティング行為を防ぎ、互いの心の距離を適正に保つ役割をしているのだと思っています。
「そんな馴れ合いなんて要らない。俺は孤独を愛しているんだ!」という方も、当然いるだろうと思います。
大丈夫。ご安心ください。無理に人づきあいをする必要はありません。教室内でどうふるまうかは、その人の意思にゆだねられているのですから……。
さて、今回も僕の雑感におつきあいいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。では!


高野真理子の扉を開けて―第4回 ハジメテノ

2017-01-11




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「高野真理子の扉を開けて―第4回 ハジメテノ」

 なぜ、あの日飲み会に行ってしまったのか。
 なぜ、あの日テレビを見まくってしまったのか。
 なぜ、あの日寝てしまったのか。
 この日がやって来るたびに、自身の悪行の走馬灯とにらめっこしているのは私だけだろうか。
 きっとこの広い空の下、山村教室のメンバーに同志がいることを祈って、ひたすらキーボードをたたき続ける。

 新年あけましておめでとうございます。高野真理子です。
 冬の冷たい風に吹かれて、ふと思い出したことがありました。
 高野は秋に山村教室へ入会しました。
 初めてテキスト作品を入稿できるようになったのが、そろそろマフラーが必要になる冬の初めの頃でした。
 入会してすぐは、山村教室で使用する生徒作品掲載テキストへの提出はできません。
 というより、すでにその期間に使用するテキストは完成しているので、まずはそれを頂いて、諸先輩方の作品を読み、受講します。
 その期の終わりが近付くと、翌期のテキスト締め切りがやってきます。
 その締め切り分より、初めて作品の提出が可能になるのです。

 高野は、入会時に書いた作品が初めてだったので、入会後に迫り来るテキストの入稿締め切りに、どんな作品を書こうか、ぐるぐると悩んだことを覚えています。
 締め切りが刻一刻と迫ってくるのに、作品が仕上がらず、頭の中に浮かんでいることを、ただひたすらキーボードにのせて、画面を埋めていく。
 埋めても埋めても、作品最後の「了」が打てずに、一人パソコンの前できゃわきゃわと慌てる。
 気付けばカレンダーは締め切り当日。
「なんで、もっと早くから書かなかったんだろう」
 そんな事を考えながら、書いたり推敲したりしているのは、高野だけかもしれません。
 ともかく、締め切り時間である夜中の12時の鐘が聞こえるまで、パソコンと戦い続け、滑り込みで作品を提出する。
 一瞬、あまりの安心感に灰になりかけました。(笑)
(皆さんは、余裕をもって提出して下さいね!)

 そして……。
 一か月のち、製本されたテキストが配布されました。
 まずは、恐る恐る目次を見ます。
 自分が何日の講評かは既に分かっていますが、もう一度見てしまいます。
 そして、ページ数を確認して、そろそろと自分の作品が掲載されている箇所を見つけにいきます。
「!」
 ぺらりと目的のページをめくったら、自分の作品タイトルと筆名がありました。
 テキストに掲載された、自分の作品を見た時のことは忘れません。
 思わず、恥ずかしくて一度テキストをとじました。
 また、そうっと自作のページを開くと、活字になった作品が、少し誇らしげに、数十名の受講生の作品と一緒に並んでいました。
 不思議な感情でした。

 受講生の皆さんが一生懸命書いた作品の中に、ぽつりと自分の作品が存在する。
 それは、山村教室の一員となった証のように思えました。
 ここに掲載されることによって、自分以外の人に読んでもらえる機会が頂けるなんて、なんと素敵なことだろうと思いました。
 自宅に持ち帰って、嬉しくて二度三度と、自分の作品を読み返したことを覚えています。
 もちろん、テキストに掲載されて、大勢の方の目に触れるということが恥ずかしくもあるのですが、良い感触も悪い感触も、どういう評価を受けようとも、全ては自分の作品が生んだものです。
 そのたくさんの声を受け止めて、次作に活かすことを考える。
 一人きりで書いていたら、こんな経験はできません。

 そうして、気付けば数年経ちました。
 やはり、今でも活字になった自作を見るのはドキドキします。
 自宅のプリンターで出力した原稿とは、全く違います。
 テキストには、かしこまった顔で載っている作品が、「気を付け」をして、先生に講評をされるのを待って並んでいます。
 作品を無事に提出するたびに思います。
「提出できて良かった!」

 もちろん、テキストへ作品を出すか出さないかは、あなたの自由です。
 だけど、もし山村教室の一員となったのなら、一度はテキストへ作品を提出してみませんか?
 あなた自身の作品と、違う向き合い方をしてみませんか?
 一つ違う扉が開くかもしれません。
 それでは、本日のところはこのへんで。
 機会がありましたら、またお会いしましょう。
(了)


高野真理子の扉を開けてー第3回 秋といえば

2016-10-06

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高野真理子の扉を開けて――第3回 秋といえば


「それでは次の作品です」
 マイクを通して、凛とした声が教室内に響く。
 自分の作品の講評の順番が回ってきた途端、一瞬耳が聞こえなくなった。
 人に作品を講評されるという事が初めてで、どんな顔をして聞いていればいいのか迷っている間に、さらりと講評が始まる。
 結局、私はどんな顔をしたら良いのか分からず、息を詰めたまま先生を見つめていた。

 お久しぶりです。高野真理子です。
 10月に入り、一気に秋を感じますね。でも、秋だからでしょうか? それとも寄る年波にのせいでしょうか?(笑)
 今回は少しだけ、思い出話にお付き合い下さい。

 高野にとって10月は非常に思い出深い月です。
 なぜならば数年前の今頃、山村教室に入るために、ちょうどドキドキしていた頃だからです。
 山村教室の入会のタイミングは4月と10月の2回です。
 高野は10月入会を目指して、提出作品を応募しました。
 入会のための作品が処女作でしたので、書き方が合っているかも分からず、ともかく締め切りに間に合うように応募してから、どこに祈ったら願いが叶うのかもわからず、どのような結果が出るのかと考えていた事を覚えています。 
 なので、幹事の方から初めて入会案内のメールが届いた時は、嬉しくて何度も何度も読み返してしまいました。

 山村教室では、入会時に「いろは会」という新入会者用オリエンテーションが用意されています。
 そこで、初めて担当講師の方から自作の講評を受けることができます……。受けることができるのですが、「講評」を受けるという事が初めてだった高野は、とにかく緊張して息を詰めて、講師の方のお話を聞いていました。
 自分の講評が長かったのか、短かったのかも分からないほど、初めての講評はあっという間に終わりました。
 十数作の講評を聞き終わり、その日の二次会で不思議と人の顔と名前は一致していないのに、「〇〇の作品の人ですか?」とか、「先生に〇〇って言われてましたね?」という会話が成り立っていた事を覚えています。

 あれから数年が経ち、一緒にオリエンテーションを受けた同期の仲間も大分減りました。
 よく教室で見かけていた先輩が、顔を出さなくなったりすることもあります。
 でも、寂しくはないんですよ!
 ずっと一緒に頑張ってきている同期もいますし、年に2回増える新しい仲間に刺激をもらったりして、山村教室は常に進化し続けているんです。
 こうしている間にも、きっとどこかで山村教室に入会することを心待ちにして、何度もメールチェックしている方もいらっしゃるかもしれませんね。
 高野も、みなさんと教室でお会いできるのを楽しみにしています!
 なんて、先輩風を吹かせるには、高野もまだまだ「山村経験値」が不足しています。まだまだ勉強することが沢山あります。
 ぜひ、一緒に頑張っていきましょう!
 それでは、本日のところはこのへんで。
 機会がありましたら、またお会いしましょう。


猫招きがお届けします―第3回 才能と努力

2016-07-02

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第3回 才能と努力

こんにちは!猫招きです。

今回は、小説学校に入る前に、多くの人が抱くであろう疑問について、考えてみたいと思います。
それはつまり、
「小説って、はたして(人から)教わって上達するものなの?」
ということです。

なるほど、確かにすべての創作活動には「才能」という要素がついてまわります。
絵画、音楽、舞台芸術――どの世界でも、秀でた才能というアドバンテージを持った人間が存在します。
小説の世界でも、そういう人たちはいるのでしょう。

実際、小説新人賞を受賞した人たちは、たびたびこんな台詞を語ります。

例えば、
「生まれてはじめて書いたもので賞を獲りました」

あるいは、
「ふと思い立ってある日書き始めました。夢中になって書き上げたそれが、受賞作となったのです」

もちろん自信満々で書いている作家志望者ならば、こういうものを読んでも、ダメージを受けないことでしょう。
でも多くの、迷いながら書いている人たち。
新人賞に応募したものの落選を味わった人たちにとっては、上のような言葉は結構なインパクトをもって心に迫りくることでしょう。

小説って、とどのつまりは才能で書くものなのか?
まるで魔法か呪術みたいに、降ってくる何かを待って書くものなのか?
そしてそれが降ってくることがない(つまり才能が足りない)自分には、小説を書く資格がないのか?

無理もない疑問です。僕も散々こういう考えに悩まされました。

確かに、持って生まれた才能(?)でもって一気呵成に傑作を書き上げてしまう方もいるでしょう。
でも、きちんと調べてみれば、すべての作家さんたちが、そういった経緯でデビューしているわけではないということが、知れるはずです。

証明してくれる人たちが、山村教室にもいらっしゃいます。
創作に迷ったあげく入塾してきた後に、見事デビューした方。あるいは最終選考に残れるようになった方――そういう方たちが輝ける例として実在しているのですから。

ここで結論を言ってしまいましょう。

小説講座で、小説を書く技術は学べるのです。

もちろん、以前の回で書いたように、ただ漫然と講義に出席するだけではいけません。
きちんと作品を書き上げ、テキストの締切り日までに提出する頑張り。
その作品に対する講師の厳しい指摘を受け入れる、謙虚さ。
あらかじめ自分以外の受講生の作品に目を通しておき、講義に挑む真摯さ。

そういった気構えが必要なのは、言うまでもありません。
もちろん、「受賞するまで絶対に書き続けてやるんだ」という粘り強さも必要でしょう。

かくして僕も、小説を書き、教室に通います。
小説は学べる。
真面目な努力を持続することによって、新人賞を獲ることができるのだと、自分自身に証明をするために。

さて、今回はここまで。
皆さん、またお会いいたしましょう!

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