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真理子の扉を開けて――第2回 熱

2016-04-09

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★受講生が発信する山村教室の紹介ブログです★
第2回 「熱」

 冬。
 教室の席は人と荷物でパンパンに膨れ上がっていた。
 まだ講評開始時間前にも関わらず、着席して待っている受講生が多い。
 すでに本日のゲスト講師も席に着いている。
 開始までのほんの数分、心地の良いざわめきと、期待に満ちた軽い興奮が教室を満たしていた。

 こんにちは、高野真理子です。
 山村教室では、各期の最後にゲスト講師を招いて、講評および講義を行います。
 プロの作家の方や書評家の方など、普段生活している中では決してお会いすることができない方々がいらしてくださいます。
 お話くださる事はその時ご担当される方それぞれですが、基本パターンは、前半で数作品選ばれた受講生の対象作を講評し、後半は講義という形になります。
 聞き方はいろいろだと思いますが、レギュラー講義の中で聞いた講評に加えて、さらにプロの方の別のご意見を聞く事ができるわけです。
 ひとつの作品に対して、複数の意見を聞く事ができる機会などなかなかありません。
 しかも、ご担当の方はその道の「プロ」の方!
 自分が講評対象作に選ばれても選ばれなくても、その方の作品を通して自分の作品に役立つヒントを見つけることができたりします。
 ゲスト講師の回は、その担当者の小説への情熱を一緒に追体験できる貴重な機会です。
 なので、今回はその情熱の「熱」についてお話してみたいと思います。

 高野は、ゲスト講師の回は「熱」を感じる回だと考えています。
 私を含め、受講生の皆さんはきっと、「どうやったら作家になれるのか」、「どうしたらいい作品が書けるのか」が知りたいはずです。
 もちろん、自分で小説を書き始めると、「作家になる」ための近道や裏ワザなんてないことがすぐに分かってしまいます。
 自分に負けずに一作一作、地道に書いていくしかありません。
 頑張り続けていると、人間ですから、ふと疲れてしまったり迷ったりしてしまう時がやってきます。
 そんな時に、ゲスト講師のお話を聞くと、もやもやとしていた気持ちが晴れて、少しずつ気持ちが浮上してきます。
 
 ゲスト講師の方は、ご自身にとっての「小説」のお話をしてくださいます。
 短編、長編の書き方や、キャラクターの造形方法、ご自身の経験、作家のあるある話など、いろいろなお話が飛び出てきます。
 現役編集者の新人賞の選考過程のこぼれ話など、目からうろこの話がたくさん飛び出てきて、どんなにメモしても追い付けない程の情報量です。
 ゲスト講師の小説への「熱」を真正面から受けようとして、サッカーのゴールキーパーのように心の中で両手を広げ、「私こそがその熱を受け止める」という思いで、受講生のみなさんは全身を耳にして話を聞いています。
 いつもあっという間に時間が過ぎていき、気付けば終了時間になってしまいます。

 気付けば、小説について迷ったり落ち込んでいたりしていた自分はどこへやら?
 小説への熱い思いに、再度火がともるのを感じます。
 ゲスト講師から受けた「熱」を、どのように受け止めるかは、あなた次第!
 熱が冷めないうちに、何か書きたくなる受講生が、きっと大勢いるはずです。
 いつか自分自身がゲスト講師になって、その「熱」を伝える側の人となることを夢見て、今日もパソコンの前に座る受講生がたくさんいると思います!
 みなさんも、山村教室でそんな「熱」を体験してみませんか?
 一緒に体験できる日をお待ちしております!
 それでは、本日のところはこのへんで。
 機会がありましたら、またお会いしましょう。


猫招きがお届けします―第2回 リアリティ

2016-03-04

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第2回 リアリティ
 こんにちは。猫招きです!

 今回は、僕が教室に入って受けた指導(ダメ出し)の中で、一番衝撃が大きかったものを、皆さんにお伝えしようと思います。

 僕は、教室に入るまで、家族以外ほとんど誰に読ませることもなく小説を書いては賞に応募をしておりました。
 賞に応募したことのある方ならご存じかと思いますが、(ライトノベルをのぞき)多くの文学新人賞では、講評というものを応募者に送りません。
 作品のどこが悪かったのか、あるいはどこが有望なのかは、三次とか最終とか、選考の上の方に残った場合をのぞいて、発表がされないような仕組みになっているのです。

 で、当時の僕の成績はというと、ほとんどが一次選考通過、二次選考落ちというもの。
 当然ながら、自作のどこが悪かったのかは、わからずじまいでした。

 どうして自分の作品が落ちるのか?
 いったいどこが悪いのか?
 そういったことを知らずに、ただ漫然と書きつづけていても、なかなか上達は難しい。
 最初から最終選考に残ることができるような能力をもっていれば別ですが、僕にはその力がなく、ただただ鬱屈だけがたまっていくばかりでした。

 だから僕は、山村教室に入りました。
 自分の作品のどこが悪いのか、じゃんじゃんダメ出しをしてもらって、今までの落選の理由を知ろうと思って。

 結果として、先生からさまざまな指導をいただき、僕の自作を見る力は上がりました。
 まだ最終には残れていませんが、将来に向けての見通しが、しだいに開けてきているように感じます。

 それで冒頭に戻るのですが、僕が一番衝撃を受けた指導とは、何だったのか?
 それは、「作中におけるリアリティの欠如」でありました。
 これではわけがわからないと思うので、例をあげますと、

「○○を仕事にしている人は、普通こんなことはしない」とか、
「こんなとってつけたような偶然(作者都合)は起こらないだろう」とか、

 ともかく、読んでいて「あり得ない」と読者が感じてしまうであろうことです。

 なるほど、いくらフィクションの世界を描いているとはいえ、その中にも条理というものがきちんと存在し、それにそって物事が動いていなければいけません。
 それに対し、読者が違和感を感じるようなことがあれば、たちまち没入から醒めてしまい、それまで読んでいた「物語」はただの文字の羅列、読書に費やした時間は「無駄」と化してしまうことでありましょう。

 僕は、自分の作品にこういう不自然さがあふれていることに気づかないで、延々と小説を書きつづけていたのです。

 確かに原稿を読ませた家族にも、そういった問題点を指摘されることがありましたが、やはりプロの編集者であった先生にはかないません。
 僕は最初の講評で、今まで気づかずに見過していたリアリティの穴を先生から次々と指摘され、ひたすら首肯を繰り返したのでありました。

 そして、リアリティの問題だけではありません。
 他にも沢山の指摘をいただき、それにもまた納得をすることになったのですが、それはまた次回以降にでも書くことにいたしましょう。

 それではまた!


猫招きがお届けします――第1回 自主性

2016-01-26

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猫招きがお届けします――――第1回 自主性

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 皆様、こんにちは。
 先輩から受講生ブログを引き継ぐことになりました、猫招きと申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて今回は、「山村教室の真実」についてお伝えしたいと思います。
 何? 
 いきなり大袈裟なタイトルじゃないかって? 
 はい、自分でもそう思います。
 でもね、この文章を読んでいるあなた、もしかして山村教室にこんなイメージを抱いていたりしませんか? 
 例えば―――

a.通うだけで、めきめき小説が上手くなってデビューできてしまう!
 
 とか、

b.流行作家に確実になれる方法を手取り足取り教えてもらえる!
 
 みたいな。

 いやー本当だったら何と素晴らしいことでしょう! 
 でも残念ながら、このどっちもがハズレ。
 どこに行ってもそうですが、世界というものはそう甘くはないのであります。

 まずaのほう。
 
 ただ漫然と通うだけじゃあ、上達は望めません。
 原稿を書き、年四度あるテキスト〆切までに短編なり中編、長編の一部なりを提出。後日、それに対する講評を先生から受けるというのが(強制ではありませんが)基本になります。
 また講評ですから、耳当りの良い言葉で褒めらるとは限りません。
 むしろけなされるのが当然というくらいの気持ちで臨まないといけないような、先生の愛のこもったダメ出しを受けることが日常なのであります。

 そしてbのほう。
 
 指導は、さっきも書いたように提出された原稿に対する講評が基本。すでにある作品について、「こうしたらもっと良くなるんじゃないでしょうか」という意見はいただけるものの、「ゼロの状態から手取り足取り」で凄いアイディアを教えてくれるわけではありません。
 無から有を創り出すという苦労(あるいは楽しみ)を負うのは、あくまでも受講生自身なのです。

 というわけけで、教室で行われていることは至極地道で真っ当。小説上達は、先生の指導とともに受講生の自主的努力が大きく問われるものになっております。
 (などと書いている私自身が努力を欠かさないようにしなければいけませんね。もちろん)

 さて、ブログ初回ということで力が入りすぎたのか、大分かたい内容になってしまいました。
 ちょっと反省です。
 次回はもっと肩の力を抜いて書いてみようかと思います。
 ではまた!
 


真理子の扉を開けて

2016-01-26

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高野真理子の扉を開けて―――第1回 まずは名前から

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初めてその教室に訪れたとき、心臓のドキドキが止まらなかった。
鞄をしっかり左手に持って、教室の中へと足を踏み出す。
開け放たれた扉の中へ入ると、既にぱらぱらと人が座っていて、山村教室の説明会が始まるのをじりじりと待っていた。
みんな誰かが教室に入ってきた事に気付いてはいるけれど、振り返って顔を見る余裕のある人は一人もいなかった。
座っている人達もまた、ものすごい緊張感の中で、説明会が始まるのを待っているのがひしひしと伝わってくる。
自分と同じ。少しほっとした。
その緊張の波を縫うように軽やかにプリントを配布していた人が、逆光の中、立ち止まる。
「こんにちは! お名前は?」
それが、私が山村教室で初めて聞いた声だった。

はじめまして、高野真理子です。
今回から、山村教室の受講生の「声」を皆さまへお伝えする事になりまして、かっこつけた感じで書き始めてみようと思いましたが、早くも挫折しました!(笑)
やっぱり、等身大の受講生レポートということで、もう少し肩の力を抜いたかんじで書かせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします!
第1回目ということで、何を書こうかと迷いました。
まだ入会後2年と少しの私でも、皆さんにお伝えできること……。
ありましたよ、ありました!
まずは、「筆名」についてお話したいと思います。

小説を書かれる方は皆さん「筆名」を考えた事があると思います。
山村教室では「ペンネーム」ではなく「筆名」と称しています。
本名のままを使う方、難しい名前を付ける方、いろいろな思いを込めた名前の方がたくさんいらっしゃいます。
高野はこの教室に入るために書いた作品が初めての作品でした。
作品タイトルも悩みましたが、筆名もこれまた難しい。
自分の名前のほかに、名前を持った事はもちろんなく、筆名を考えるのに一苦労したのを覚えています。
みなさんはどうでしたか? すぐ決めることができましたか?
実は、冒頭のお話には続きがあります。

「お名前は?」
山村教室の説明会でそう聞かれ、迷わず本名を答えると、「そんな名前の人いたかなあ」と首を傾げられましたが、筆名を答えたら「ああ」と言って思い出してくれました。
筆名で通じる場所ができた。これはとても新鮮な経験でした。
一生懸命考えた筆名が命を持ったような気がしました。
そんな大げさなって思われるかもしれませんが、高野にとってはそれくらい衝撃的な出来事だったのです。
山村教室入会後、筆名を持っていらっしゃる方が名前を聞かれると、本名を答えたらいいのか、筆名を答えたらいいのかものすごく迷う。これは、皆さん通る道だと思います。(笑)

初めは戸惑いますが、どんな名前も使ってこそですよね。
山村教室に入会したての頃、「作品も名前も覚えてもらえるようになりたい」とずっと思っていました。
それを叶えるべく、日々精進しているのですが、自分自身と筆名が馴染んできたのか、最近やっと筆名で名前を答えられるようになりました。
いつか教室の中だけではなく、外の世界の人々にも名前を呼ばれるような、素敵な作品を書きたいと思っています。
そして、それは高野だけではなく山村教室の皆さんが願っていることだと思います。

あなたらしい作品と、あなたらしい名前をひっさげて、皆さんも山村教室の扉を開けてみませんか?
もちろん、本名でも大歓迎です!
それでは、本日のところはこのへんで。機会がありましたら、またお会いしましょう。


キビナゴレポート 第6回 講評時間を左右する、充実のための下準備!

2014-11-30

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★受講生が発信する、山村教室の紹介記事です。書き手はキビナゴ初陽の2人で不定期連載

時の流れは一定ではありませぬ。
充実したときは短く感じ、そうでないときは長く感じる。
教室で過ごす時間もまた然り。3時間という講義時間を短く過ごす秘訣を今日はご披露しませう!

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 <キビナゴレポート 第6回 講評時間を左右する、充実のための下準備!>

 山村教室の講義時間は夕方6時から夜9時までの3時間です。大学講義でいうところのふたコマですね。
 お、いま気がついた。そうだ。教室は大学の夜間部みたいだ。

『山村文芸大学道玄坂キャンパス。在籍生徒百数名。募集は年2回(予定)、欠員次第。現役作家も絶賛在籍中!!』おおそれらしい。かっこいい!

 話を戻します。

 えっと、講評対象作を下読みをして講義に出ないと、
「うん? えっ? はっ?」てなうちに時間を過ごし、講義の時間を無駄に長いものと感じます。これはすごくもったいない。

 しかし講評対象作を下読みして出ると、
「おお、やっぱりそうか! うおう、読んだときの違和感の謎はそこか!」といろいろ気づかされ、3時間を充実したものとして短く感じながら過ごせます。
 講義で長年の疑問が解けたときなど嬉しさのあまり、ひとりクククと笑います。宇宙の真理を獲得したような感覚で。

 もうおわかりですね。

 講義時間を短く過ごす、長く過ごすかを決めるのは、ちゃんと講評作品を読んで来るかどうかにかかっているのです。
 講評作を読んでくることが、教室での時間を短く過ごすための充実作法『基本のキ』! 
 そうそう、講義のとき1回聴いだけではわかなないこともあるので、録音してあとで聞き直すというのも充実作法のひとつです。特に自分の講評は録音を欠かせません。

 しかし、講義に出られないときも当然あります。そういうときは教室の「メンバーズルーム」というネットサイトに先生の講評がアップされていますので、それを読みながら講義を想像――♩

 下読みするとき「Y先生ならここ突っ込みそう」とか「褒めそう」と想像するのも良いですね。
 講評時、評がぴしゃりと想像通りだったときなど「やった」と思います。頭のなかに先生を常駐させるのに一歩近づいたと。
 つまりはこうして、アドバイスを身体感覚にまで染み込ませるのが学びの『基本のキ』なのかな、最近キビナゴはそう思います。

 以上が今回のキビレポです。みんな下読みしましょうぞーっ!!

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