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高野真理子の扉を開けて―第4回 ハジメテノ

2017-01-11




★受講生が発信する山村教室の紹介ブログです★
「高野真理子の扉を開けて―第4回 ハジメテノ」

 なぜ、あの日飲み会に行ってしまったのか。
 なぜ、あの日テレビを見まくってしまったのか。
 なぜ、あの日寝てしまったのか。
 この日がやって来るたびに、自身の悪行の走馬灯とにらめっこしているのは私だけだろうか。
 きっとこの広い空の下、山村教室のメンバーに同志がいることを祈って、ひたすらキーボードをたたき続ける。

 新年あけましておめでとうございます。高野真理子です。
 冬の冷たい風に吹かれて、ふと思い出したことがありました。
 高野は秋に山村教室へ入会しました。
 初めてテキスト作品を入稿できるようになったのが、そろそろマフラーが必要になる冬の初めの頃でした。
 入会してすぐは、山村教室で使用する生徒作品掲載テキストへの提出はできません。
 というより、すでにその期間に使用するテキストは完成しているので、まずはそれを頂いて、諸先輩方の作品を読み、受講します。
 その期の終わりが近付くと、翌期のテキスト締め切りがやってきます。
 その締め切り分より、初めて作品の提出が可能になるのです。

 高野は、入会時に書いた作品が初めてだったので、入会後に迫り来るテキストの入稿締め切りに、どんな作品を書こうか、ぐるぐると悩んだことを覚えています。
 締め切りが刻一刻と迫ってくるのに、作品が仕上がらず、頭の中に浮かんでいることを、ただひたすらキーボードにのせて、画面を埋めていく。
 埋めても埋めても、作品最後の「了」が打てずに、一人パソコンの前できゃわきゃわと慌てる。
 気付けばカレンダーは締め切り当日。
「なんで、もっと早くから書かなかったんだろう」
 そんな事を考えながら、書いたり推敲したりしているのは、高野だけかもしれません。
 ともかく、締め切り時間である夜中の12時の鐘が聞こえるまで、パソコンと戦い続け、滑り込みで作品を提出する。
 一瞬、あまりの安心感に灰になりかけました。(笑)
(皆さんは、余裕をもって提出して下さいね!)

 そして……。
 一か月のち、製本されたテキストが配布されました。
 まずは、恐る恐る目次を見ます。
 自分が何日の講評かは既に分かっていますが、もう一度見てしまいます。
 そして、ページ数を確認して、そろそろと自分の作品が掲載されている箇所を見つけにいきます。
「!」
 ぺらりと目的のページをめくったら、自分の作品タイトルと筆名がありました。
 テキストに掲載された、自分の作品を見た時のことは忘れません。
 思わず、恥ずかしくて一度テキストをとじました。
 また、そうっと自作のページを開くと、活字になった作品が、少し誇らしげに、数十名の受講生の作品と一緒に並んでいました。
 不思議な感情でした。

 受講生の皆さんが一生懸命書いた作品の中に、ぽつりと自分の作品が存在する。
 それは、山村教室の一員となった証のように思えました。
 ここに掲載されることによって、自分以外の人に読んでもらえる機会が頂けるなんて、なんと素敵なことだろうと思いました。
 自宅に持ち帰って、嬉しくて二度三度と、自分の作品を読み返したことを覚えています。
 もちろん、テキストに掲載されて、大勢の方の目に触れるということが恥ずかしくもあるのですが、良い感触も悪い感触も、どういう評価を受けようとも、全ては自分の作品が生んだものです。
 そのたくさんの声を受け止めて、次作に活かすことを考える。
 一人きりで書いていたら、こんな経験はできません。

 そうして、気付けば数年経ちました。
 やはり、今でも活字になった自作を見るのはドキドキします。
 自宅のプリンターで出力した原稿とは、全く違います。
 テキストには、かしこまった顔で載っている作品が、「気を付け」をして、先生に講評をされるのを待って並んでいます。
 作品を無事に提出するたびに思います。
「提出できて良かった!」

 もちろん、テキストへ作品を出すか出さないかは、あなたの自由です。
 だけど、もし山村教室の一員となったのなら、一度はテキストへ作品を提出してみませんか?
 あなた自身の作品と、違う向き合い方をしてみませんか?
 一つ違う扉が開くかもしれません。
 それでは、本日のところはこのへんで。
 機会がありましたら、またお会いしましょう。
(了)


高野真理子の扉を開けてー第3回 秋といえば

2016-10-06

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高野真理子の扉を開けて――第3回 秋といえば


「それでは次の作品です」
 マイクを通して、凛とした声が教室内に響く。
 自分の作品の講評の順番が回ってきた途端、一瞬耳が聞こえなくなった。
 人に作品を講評されるという事が初めてで、どんな顔をして聞いていればいいのか迷っている間に、さらりと講評が始まる。
 結局、私はどんな顔をしたら良いのか分からず、息を詰めたまま先生を見つめていた。

 お久しぶりです。高野真理子です。
 10月に入り、一気に秋を感じますね。でも、秋だからでしょうか? それとも寄る年波にのせいでしょうか?(笑)
 今回は少しだけ、思い出話にお付き合い下さい。

 高野にとって10月は非常に思い出深い月です。
 なぜならば数年前の今頃、山村教室に入るために、ちょうどドキドキしていた頃だからです。
 山村教室の入会のタイミングは4月と10月の2回です。
 高野は10月入会を目指して、提出作品を応募しました。
 入会のための作品が処女作でしたので、書き方が合っているかも分からず、ともかく締め切りに間に合うように応募してから、どこに祈ったら願いが叶うのかもわからず、どのような結果が出るのかと考えていた事を覚えています。 
 なので、幹事の方から初めて入会案内のメールが届いた時は、嬉しくて何度も何度も読み返してしまいました。

 山村教室では、入会時に「いろは会」という新入会者用オリエンテーションが用意されています。
 そこで、初めて担当講師の方から自作の講評を受けることができます……。受けることができるのですが、「講評」を受けるという事が初めてだった高野は、とにかく緊張して息を詰めて、講師の方のお話を聞いていました。
 自分の講評が長かったのか、短かったのかも分からないほど、初めての講評はあっという間に終わりました。
 十数作の講評を聞き終わり、その日の二次会で不思議と人の顔と名前は一致していないのに、「〇〇の作品の人ですか?」とか、「先生に〇〇って言われてましたね?」という会話が成り立っていた事を覚えています。

 あれから数年が経ち、一緒にオリエンテーションを受けた同期の仲間も大分減りました。
 よく教室で見かけていた先輩が、顔を出さなくなったりすることもあります。
 でも、寂しくはないんですよ!
 ずっと一緒に頑張ってきている同期もいますし、年に2回増える新しい仲間に刺激をもらったりして、山村教室は常に進化し続けているんです。
 こうしている間にも、きっとどこかで山村教室に入会することを心待ちにして、何度もメールチェックしている方もいらっしゃるかもしれませんね。
 高野も、みなさんと教室でお会いできるのを楽しみにしています!
 なんて、先輩風を吹かせるには、高野もまだまだ「山村経験値」が不足しています。まだまだ勉強することが沢山あります。
 ぜひ、一緒に頑張っていきましょう!
 それでは、本日のところはこのへんで。
 機会がありましたら、またお会いしましょう。


猫招きがお届けします―第3回 才能と努力

2016-07-02

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第3回 才能と努力

こんにちは!猫招きです。

今回は、小説学校に入る前に、多くの人が抱くであろう疑問について、考えてみたいと思います。
それはつまり、
「小説って、はたして(人から)教わって上達するものなの?」
ということです。

なるほど、確かにすべての創作活動には「才能」という要素がついてまわります。
絵画、音楽、舞台芸術――どの世界でも、秀でた才能というアドバンテージを持った人間が存在します。
小説の世界でも、そういう人たちはいるのでしょう。

実際、小説新人賞を受賞した人たちは、たびたびこんな台詞を語ります。

例えば、
「生まれてはじめて書いたもので賞を獲りました」

あるいは、
「ふと思い立ってある日書き始めました。夢中になって書き上げたそれが、受賞作となったのです」

もちろん自信満々で書いている作家志望者ならば、こういうものを読んでも、ダメージを受けないことでしょう。
でも多くの、迷いながら書いている人たち。
新人賞に応募したものの落選を味わった人たちにとっては、上のような言葉は結構なインパクトをもって心に迫りくることでしょう。

小説って、とどのつまりは才能で書くものなのか?
まるで魔法か呪術みたいに、降ってくる何かを待って書くものなのか?
そしてそれが降ってくることがない(つまり才能が足りない)自分には、小説を書く資格がないのか?

無理もない疑問です。僕も散々こういう考えに悩まされました。

確かに、持って生まれた才能(?)でもって一気呵成に傑作を書き上げてしまう方もいるでしょう。
でも、きちんと調べてみれば、すべての作家さんたちが、そういった経緯でデビューしているわけではないということが、知れるはずです。

証明してくれる人たちが、山村教室にもいらっしゃいます。
創作に迷ったあげく入塾してきた後に、見事デビューした方。あるいは最終選考に残れるようになった方――そういう方たちが輝ける例として実在しているのですから。

ここで結論を言ってしまいましょう。

小説講座で、小説を書く技術は学べるのです。

もちろん、以前の回で書いたように、ただ漫然と講義に出席するだけではいけません。
きちんと作品を書き上げ、テキストの締切り日までに提出する頑張り。
その作品に対する講師の厳しい指摘を受け入れる、謙虚さ。
あらかじめ自分以外の受講生の作品に目を通しておき、講義に挑む真摯さ。

そういった気構えが必要なのは、言うまでもありません。
もちろん、「受賞するまで絶対に書き続けてやるんだ」という粘り強さも必要でしょう。

かくして僕も、小説を書き、教室に通います。
小説は学べる。
真面目な努力を持続することによって、新人賞を獲ることができるのだと、自分自身に証明をするために。

さて、今回はここまで。
皆さん、またお会いいたしましょう!


真理子の扉を開けて――第2回 熱

2016-04-09

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第2回 「熱」

 冬。
 教室の席は人と荷物でパンパンに膨れ上がっていた。
 まだ講評開始時間前にも関わらず、着席して待っている受講生が多い。
 すでに本日のゲスト講師も席に着いている。
 開始までのほんの数分、心地の良いざわめきと、期待に満ちた軽い興奮が教室を満たしていた。

 こんにちは、高野真理子です。
 山村教室では、各期の最後にゲスト講師を招いて、講評および講義を行います。
 プロの作家の方や書評家の方など、普段生活している中では決してお会いすることができない方々がいらしてくださいます。
 お話くださる事はその時ご担当される方それぞれですが、基本パターンは、前半で数作品選ばれた受講生の対象作を講評し、後半は講義という形になります。
 聞き方はいろいろだと思いますが、レギュラー講義の中で聞いた講評に加えて、さらにプロの方の別のご意見を聞く事ができるわけです。
 ひとつの作品に対して、複数の意見を聞く事ができる機会などなかなかありません。
 しかも、ご担当の方はその道の「プロ」の方!
 自分が講評対象作に選ばれても選ばれなくても、その方の作品を通して自分の作品に役立つヒントを見つけることができたりします。
 ゲスト講師の回は、その担当者の小説への情熱を一緒に追体験できる貴重な機会です。
 なので、今回はその情熱の「熱」についてお話してみたいと思います。

 高野は、ゲスト講師の回は「熱」を感じる回だと考えています。
 私を含め、受講生の皆さんはきっと、「どうやったら作家になれるのか」、「どうしたらいい作品が書けるのか」が知りたいはずです。
 もちろん、自分で小説を書き始めると、「作家になる」ための近道や裏ワザなんてないことがすぐに分かってしまいます。
 自分に負けずに一作一作、地道に書いていくしかありません。
 頑張り続けていると、人間ですから、ふと疲れてしまったり迷ったりしてしまう時がやってきます。
 そんな時に、ゲスト講師のお話を聞くと、もやもやとしていた気持ちが晴れて、少しずつ気持ちが浮上してきます。
 
 ゲスト講師の方は、ご自身にとっての「小説」のお話をしてくださいます。
 短編、長編の書き方や、キャラクターの造形方法、ご自身の経験、作家のあるある話など、いろいろなお話が飛び出てきます。
 現役編集者の新人賞の選考過程のこぼれ話など、目からうろこの話がたくさん飛び出てきて、どんなにメモしても追い付けない程の情報量です。
 ゲスト講師の小説への「熱」を真正面から受けようとして、サッカーのゴールキーパーのように心の中で両手を広げ、「私こそがその熱を受け止める」という思いで、受講生のみなさんは全身を耳にして話を聞いています。
 いつもあっという間に時間が過ぎていき、気付けば終了時間になってしまいます。

 気付けば、小説について迷ったり落ち込んでいたりしていた自分はどこへやら?
 小説への熱い思いに、再度火がともるのを感じます。
 ゲスト講師から受けた「熱」を、どのように受け止めるかは、あなた次第!
 熱が冷めないうちに、何か書きたくなる受講生が、きっと大勢いるはずです。
 いつか自分自身がゲスト講師になって、その「熱」を伝える側の人となることを夢見て、今日もパソコンの前に座る受講生がたくさんいると思います!
 みなさんも、山村教室でそんな「熱」を体験してみませんか?
 一緒に体験できる日をお待ちしております!
 それでは、本日のところはこのへんで。
 機会がありましたら、またお会いしましょう。


猫招きがお届けします―第2回 リアリティ

2016-03-04

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第2回 リアリティ
 こんにちは。猫招きです!

 今回は、僕が教室に入って受けた指導(ダメ出し)の中で、一番衝撃が大きかったものを、皆さんにお伝えしようと思います。

 僕は、教室に入るまで、家族以外ほとんど誰に読ませることもなく小説を書いては賞に応募をしておりました。
 賞に応募したことのある方ならご存じかと思いますが、(ライトノベルをのぞき)多くの文学新人賞では、講評というものを応募者に送りません。
 作品のどこが悪かったのか、あるいはどこが有望なのかは、三次とか最終とか、選考の上の方に残った場合をのぞいて、発表がされないような仕組みになっているのです。

 で、当時の僕の成績はというと、ほとんどが一次選考通過、二次選考落ちというもの。
 当然ながら、自作のどこが悪かったのかは、わからずじまいでした。

 どうして自分の作品が落ちるのか?
 いったいどこが悪いのか?
 そういったことを知らずに、ただ漫然と書きつづけていても、なかなか上達は難しい。
 最初から最終選考に残ることができるような能力をもっていれば別ですが、僕にはその力がなく、ただただ鬱屈だけがたまっていくばかりでした。

 だから僕は、山村教室に入りました。
 自分の作品のどこが悪いのか、じゃんじゃんダメ出しをしてもらって、今までの落選の理由を知ろうと思って。

 結果として、先生からさまざまな指導をいただき、僕の自作を見る力は上がりました。
 まだ最終には残れていませんが、将来に向けての見通しが、しだいに開けてきているように感じます。

 それで冒頭に戻るのですが、僕が一番衝撃を受けた指導とは、何だったのか?
 それは、「作中におけるリアリティの欠如」でありました。
 これではわけがわからないと思うので、例をあげますと、

「○○を仕事にしている人は、普通こんなことはしない」とか、
「こんなとってつけたような偶然(作者都合)は起こらないだろう」とか、

 ともかく、読んでいて「あり得ない」と読者が感じてしまうであろうことです。

 なるほど、いくらフィクションの世界を描いているとはいえ、その中にも条理というものがきちんと存在し、それにそって物事が動いていなければいけません。
 それに対し、読者が違和感を感じるようなことがあれば、たちまち没入から醒めてしまい、それまで読んでいた「物語」はただの文字の羅列、読書に費やした時間は「無駄」と化してしまうことでありましょう。

 僕は、自分の作品にこういう不自然さがあふれていることに気づかないで、延々と小説を書きつづけていたのです。

 確かに原稿を読ませた家族にも、そういった問題点を指摘されることがありましたが、やはりプロの編集者であった先生にはかないません。
 僕は最初の講評で、今まで気づかずに見過していたリアリティの穴を先生から次々と指摘され、ひたすら首肯を繰り返したのでありました。

 そして、リアリティの問題だけではありません。
 他にも沢山の指摘をいただき、それにもまた納得をすることになったのですが、それはまた次回以降にでも書くことにいたしましょう。

 それではまた!

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