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	<title>山村正夫記念小説講座</title>
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	<description>小説家になるための小説講座</description>
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		<title>山下歩さんが第十回北区内田康夫ミステリー文学賞大賞を受賞しました。</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Mar 2012 00:00:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[最新情報]]></category>

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		<description><![CDATA[山下歩さんが第十回北区内田康夫ミステリー文学賞大賞を受賞しました。 受賞作品「凶音窟」 山下歩さんプロフィール 1962年東京都生まれ。 産能短期大学卒。 社会保険労務士試験合格後、労働行政の非常勤職員を勤める。 退職後 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>山下歩さんが第十回北区内田康夫ミステリー文学賞大賞を受賞しました。</p>
<p>受賞作品「凶音窟」</p>
<p>山下歩さんプロフィール</p>
<p>1962年東京都生まれ。<br />
産能短期大学卒。<br />
社会保険労務士試験合格後、労働行政の非常勤職員を勤める。<br />
退職後、創作活動を始める。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>2012年度《後期》10月からの新規受講者募集のお知らせ</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 01:11:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[最新情報]]></category>

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		<description><![CDATA[山村教室では年に２回、新規受講者を受け付けています。2012年４月からの新規受講生は昨年12月末で〆切っております。次の募集は、2012年10月入会からになります。2012年度≪後期≫10月からの入会をご希望の方は、 （ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>山村教室では年に２回、新規受講者を受け付けています。2012年４月からの新規受講生は昨年12月末で〆切っております。次の募集は、2012年10月入会からになります。2012年度≪後期≫10月からの入会をご希望の方は、</p>
<p>（１）「受講申し込みフォーム」と<br />
（２）「実作短編 30～50枚（400字詰め原稿用紙換算）」<br />
を同封の上、以下の宛先へご送付ください。</p>
<p>●（１） 「受講申し込みフォーム」について<br />
下記の「受講申し込みフォーム」をダウンロードし、必要事項を記入。</p>
<p><a href="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/04/jyukou.doc">受講申し込みフォーム　Word版</a> ｜ <a href="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/04/jyukou.pdf">受講申し込みフォーム　 PDF版</a></p>
<p>● 「実作短編」について<br />
受講希望者本人が書いた日本語の短編小説１作（枚数は400字詰め原稿用紙換算で30～50枚）。縦書き設定のワープロ原稿に限る。Ａ４無地の用紙を、横置きにして印刷し、１行35字×１ページ35行の設定でプリント。<br />
作品の冒頭に、<br />
① タイトル、<br />
② 作者名、<br />
③400字詰め原稿用紙の枚数<br />
を明記。</p>
<p>●申し込み後の流れ<br />
2012年４月１日～８月15日　申し込み受付期間<br />
2012年８月15日～９月15日　 送付原稿査読、退会者数確認期間</p>
<p>※2012年度《前期》で、退会される方の数だけ、新たにお招きいたします。<br />
※退会者数が確定するのは８月末です。</p>
<p>９月10日～９月25日 　　受講決定者へのご案内開始<br />
９月15日～９月30日　　受講者者諸手続き<br />
10月１日～　　　　　　　2012年度《後期》講義開始</p>
<p>※受講が決定した方には、 担当者よりメールにてご連絡さし上げます。</p>
<p>※送付原稿の返却はできませんので、控えをお取りください。なお、受講可否に関するお問い合わせには、応じられませんので、ご了承ください。</p>
<p>※この受講申し込みに寄せられました住所、氏名などの情報は、本講座の受講関連の連絡にのみ利用し、ほかの目的には使用しません。</p>
<p>●宛先<br />
〒150-0031<br />
東京都渋谷区桜 丘町３-16<br />
「山村正夫記念小説講座　運営事務局」</p>
<p>※なお、教室見学（一回限り）は、<a href="http://cybernovels.jp/?page_id=158">別途応募フォーム</a>にて受け付けてお ります。</p>
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		<title>山村教室に在籍する成田名璃子さんが第18回メディアワークス文庫賞を受賞しました。</title>
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		<pubDate>Wed, 12 Oct 2011 00:17:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[最新情報]]></category>

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		<description><![CDATA[山村教室に在籍する成田名璃子さんが第18回電撃大賞のメディアワークス文庫賞を受賞しました。 受賞作の『やまびこのいる窓』は2012年2月にメディアワークス文庫から発売される予定です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div>
<p>山村教室に在籍する成田名璃子さんが第18回電撃大賞のメディアワークス文庫賞を受賞しました。</p>
<p>受賞作の『やまびこのいる窓』は2012年2月にメディアワークス文庫から発売される予定です。</p>
</div>
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		<title>森村誠一の小説道場</title>
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		<pubDate>Fri, 06 May 2011 01:18:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[森村誠一の小説道場]]></category>

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		<description><![CDATA[「作家になるための絶対的な傾向と対策はないが、作家志望者はいつの日か、我が作品世界に多数の読者を招きたいという野望と、自分の才能に対する自 信と不安を持っている。自分の才能を認めてくれない世間は馬鹿だという壮大な自信と共 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「作家になるための絶対的な傾向と対策はないが、作家志望者はいつの日か、我が作品世界に多数の読者を招きたいという野望と、自分の才能に対する自 信と不安を持っている。自分の才能を認めてくれない世間は馬鹿だという壮大な自信と共に、もしかしたら自分はとんでもない勘ちがいをしているのではないか という  不安が同居している。カルチャースクールや小説教室に通うのも、自分の不安をなだめるためである。また同好の士と切磋琢磨することによって、たがいにイン スパイアし合う。小説を書くのはだれの力も借りない自分独りの作業であるが、外部（他人の作品や同好の士など）から刺激やヒントやパワーを受けることが大 いにある」</p>
<p>作家生活40年を超えても作品を発表し続ける森村誠一が送る作家志望者へのエッセイをご覧下さい。</p>
<hr /><img class="alignleft size-full wp-image-194" title="10" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/10.gif" alt="" width="138" height="26" />～作家は、前作家、元作家とは言われないように、書くことをやめた瞬間から、本質的には作家ではなくなります。書くことを止めた作家が作家と呼ばれていても、それは作家の”余韻”です。</p>
<p><a href="http://cybernovels.jp/?p=180"><img class="alignright size-full wp-image-195" title="read" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/read.gif" alt="" width="82" height="29" /></a><br />
<br clear="all"></p>
<hr /><img class="alignleft size-full wp-image-198" title="11" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/11.gif" alt="" width="160" height="26" />～ミステリーの読者には直感的に犯人を当てようとする悪い癖がある。ミステリーの読者は他の文芸ジャンルと異なって、極めて挑戦的であり、意地が悪い。古 今東西のミステリーに通じた鬼の読者が犇（ひしめ）いている。ミステリーを志すからには、このような海千山千の読者と渡り合う覚悟が必要である。<br />
<a href="http://cybernovels.jp/?p=175"><img class="alignright size-full wp-image-195" title="read" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/read.gif" alt="" width="82" height="29" /></a><br />
<br clear="all"></p>
<hr /><img class="alignleft size-full wp-image-200" title="12" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/12.gif" alt="" width="138" height="26" />～小説を書くための鉄則はない。だれがなにをどのように書こうと自由である。私が各社の間を、原稿を持ち歩いていたころ、ある社の編集長から、きみは小説 の書き方を知らない。小説作法のＡ、Ｂ、Ｃから勉強し直せと言われて、反発をおぼえたことがあった。だが、後になって小説の鉄則はないものの、それをおぼえた方が有効である技術はあることを学んだ。小説の鉄則がないということは、鉄則がないという鉄則もないということになる。<br />
<a href="http://cybernovels.jp/?p=185"><img class="alignright size-full wp-image-195" title="read" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/read.gif" alt="" width="82" height="29" /></a><br />
<br clear="all"></p>
<hr /><img class="alignleft size-full wp-image-202" title="13" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/13.gif" alt="" width="138" height="26" />～変色した原稿用紙から夜間青白い光が発するのではないかとおもった。傑作か、トイレットペーパーにも使えぬ反故（ほご）紙かわからぬながらも、その原稿に怨念がこもっていることは確かであった。<br />
<a href="http://cybernovels.jp/?p=189"><img class="alignright size-full wp-image-195" title="read" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/read.gif" alt="" width="82" height="29" /></a><br clear="all"></p>
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		<title>怨稿</title>
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		<pubDate>Fri, 06 May 2011 01:17:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[森村誠一の小説道場]]></category>

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		<description><![CDATA[昭和四十四年江戸川乱歩賞受賞前、私はホテルに勤めるかたわら、所を得ぬ不満を細々と原稿を書くことによって癒していた。書いても書いてもまった く売れる当てのない原稿である。休日や夜勤明けの時間を使って日の目を見る保証のない原 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-176" title="dojo_00" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/dojo_00.jpg" alt="" width="600" height="80" /></p>
<p>昭和四十四年江戸川乱歩賞受賞前、私はホテルに勤めるかたわら、所を得ぬ不満を細々と原稿を書くことによって癒していた。書いても書いてもまった く売れる当てのない原稿である。休日や夜勤明けの時間を使って日の目を見る保証のない原稿を書きためている。当時、私は都心の大きなホテルに勤めていて、 ホテルマンとしての自分に見切りをつけていた。すぐ近くに文藝春秋の社屋が建設されて、私の勤めるホテルにも著名作家が宿泊に来た。物心つくころより読書 が好きだった私は、ホテルマンに幻滅して門前の小僧とやらでものを書く分野に憧れるようになっていた。</p>
<p>ホテルマンの職性は客に最高の満足をあたえることである。ホテルマンの産み出すものはサービスであり、生産されると同時に消費されてしまう。つま り私のつくりだしたものは形として残らない。大学を卒業して最初の職業として就いたホテル業に十年近く従事している間、私は形のあるものをつくりたいと願 うようになった。またホテル業は従業員のチームワークの総和が客の満足をつくりだし、その満足のどの部分に自分が関与しているか証明することができない。 客の黒衣として自分の存在は常に隠していなければならない。自分の行ったことや、つくりだしたものに対して自己主張ができないのである。むしろ滅私の精神 がなければできる仕事ではない。自己顕示欲の旺盛な私は、その職性に次第に不満をおぼえてきていた。</p>
<p>世の中の大半の仕事というものは、自己主張ができない。署名入りの仕事などというものはごくわずかしかない。そういう無数のだれがしたかわからな い仕事の総合によって世の中は成立しているのである。だが私は自分のしたこと、自分のつくったものに対して署名を入れたいと願うようになった。客の黒衣と して形に残らないサービスをしているだけに厭(あ)きて、自分の作品に署名を入れたくなったのである。署名つきの仕事、ものを書きたいという願望が次第に 自分の内部に膨れ上がってきた。自分の書いたものは、たとえどんな駄作であっても自分以外の人間にはつくれないものである。そして自分が手許に留めている 限りは、それは形として残る。巨大ホテルの黒衣から作家へと私は人生コースの方向転換を図ろうとしていた。</p>
<p>だが、無名の人間の原稿などだれも読んでくれようとはしない。原稿を書くということは、日記を書くこととはちがう。だれかに読まれたいと願い、で きるだけ多数の読者に読まれようとして書くものが原稿である。他人に読まれるためには身内や狭いコミュニティだけで通用する言語ではなく、自分とまったく 異なる環境、職業、処世、性別、年齢層、人生コースなどを生きる人々にも理解できる言語を用いて、そしてある種の共感をあたえなければならない。自分の書 いた原稿を読んでもらうということは、読者の時間を奪うことである。また原稿を商品として提供する場合、読者にそれ相応の出費を要求する。時間と出費と読 む労力に相応する共感を、先に例示した自分とは異なる人々にあたえるということは至難の業である。だがそれをあたえない限り、原稿は売れない。</p>
<p>私は企業の歯車、いや、歯車ならばなくてはならない存在であるが、一本や二本欠けてもどうということはない会社のネジ人間の怨念を原稿に叩きつけ るようにして書いた。おれの書いたものが日の目を見ぬはずはない。自分の原稿がわからぬ読者は馬鹿だという若気の至りの絶大な自信過剰と、もしかすると自 分は途方もない勘ちがいをしているのではないか、ものを書くなどという能力からは正反対の位置にいる者が、見当ちがいの自惚れから愚にもつかない駄文を せっせと書き連ねているだけではないか。自信と不安が同居した中で、私はやはり書きつづけていた。原稿用紙がデスクにうずたかく積まれ、古い原稿は黄色く 変色していた。そんなとき私は交通事故か急病で急死したら、変色した原稿用紙から夜間青白い光が発するのではないかとおもった。傑作か、トイレットペー パーにも使えぬ反故(ほご)紙かわからぬながらも、その原稿に怨念がこもっていることは確かであった。</p>
<p>およそすべての小説というものは、既存の作品の否定から始まる。書いても書いても売れない小説をうずたかく積み重ねている間、自分の心の中にもそ れに相当する怨念と屈辱が積まれていく。世間に氾濫している夥(おびただ)しい書物、社会の害虫としか受け取れないようなくだらないベストセラーのかたわ らで、我が心血をインクとして書いたような原稿がなぜただの一枚も売れないのか。ベストセラーと我が原稿を対比する都度、胸に積まれる怨念はうずたかく なった。</p>
<p>だが、職業作家となってから、必ずしもよい作品が売れるとは限らぬことを知った。読者の支持というものは当てにならず、無責任である。彼らは必ず しもよい作品(より多くの共感を得る)だから買うわけではない。宣伝、ファッション、社会現象等に釣られて買う場合が多い。読者必ずしも愛読者とは限ら ず、作品に共感して本を買ってくれたわけではない。そういうことが職業作家になるまでわからなかった。どうしてあんなくだらない作品（自分の印象）が売れ るのか理解に苦しんだ。いずれは我が作品をもって洛陽の紙価を高めてやるという壮大な野心を秘めてせっせと原稿を書きためていたが、デスクの上にいたずら に積まれていく原稿の量に焦りばかりが募っていた。</p>
<p>日記ではなく読者に読まれることを意識して書く原稿が、いつ活字化されるのか、まったく保証のないまま書きつづけることは、精神の自慰にすぎな かった。だが自慰であっても、書かざるを得なかった。書かざるを得ないように自分の精神が追いつめられていた。書きたいから書くのではなく、書く以外にな にもすることがないので書いていた。当時の私にとっては書くことだけが仕事であり、職業としてのホテル業はなにもしていないのと同じであった。職業として ホテル業には完全に興味を喪失し、自慰であっても書くことは救いになった。</p>
<p>だが当時の鬱屈(うっくつ)を心に蓄積しなかったならば、私は職業作家になれなかったであろう。アマチュア作家の場合は締め切りもなければ作品に 伴う責任もない。あっても、小さい。また自分の内部に醗酵した最高のクリームを作品化していればよい。だがプロは内部に醗酵するものがなにもなくとも書か なければいけない。そして書いたものが常に水準を維持しなければならない。書くものがなにもなくとも水準作を書きつづけなければならないのがプロである。 傲岸不遜に聞こえるかもしれないが、最も都合のよい時期に最も良質の作品を発表するというのはプロではない。プロは常に「いつまで何枚」という条件を課せ られて書かなければならない。</p>
<p>作家は自分の心の内にどんなに素晴らしい作品世界を抱えていても、それを表現しない限りなんの値打ちもない。そして表現したものが読者に読まれて 共感を得たとき、初めてそれが作品たりうるのである。読者の共感を得るためには共感の素地がなければならない。その素地をつくるものが長い間日の目も見ず に埋もれていた原稿に降り積もった埃であり原稿にこめられた怨念の深さであろう。いつの日か我がおもい読者に届けとそのような日が来るのか来ないのか、あ るいはまったく来ないのかもしれぬ虚しさに耐えながらも書きつづけていくエネルギーが、その原稿が読者に架橋されたとき、共感をつくりだす素地となるので ある。</p>
<p>若くして権威ある文学賞を受賞し、一躍文壇の寵児となったような幸運な作家もいる。そのような幸運も読者と作家をつなぐ共感の素地の一種ではあ る。共感の素地は作品そのものだけだからではなく、宣伝や流行、映画、テレビ、演劇等によって他為的に培われる場合もある。そのような場合、共感の素地は 作者の名前となる。作者の名前がポピュラーなのでなんとなく買うといった現象である。それも共感の素地の一種にはちがいない。そのような素地の上で本当の 共感が得られる場合もあれば失望することもある。</p>
<p>作品そのものから発する共感の素地と、作品以外からの要素からつくられた共感の素地とでは明確なちがいがある。前者は読者が自分の人生に徴して作 品を選ぶ動機とするのに対して、後者は広告や流行に乗せられてつくりあげられたものである。最初から日の光を当てられている原稿、あるいは当てられること を約束されている原稿には埃も積もらず怨念も少ない。だが前者は後者のポピュラリティに及ぶべくもない。どんなに不遇の怨念のこもった原稿であっても、読 者がその存在を知らなければ、読む術はないのである。プロ作家の原稿は最初から活字となることが約束されている。原稿に埃の積もる暇もなければ、原稿がい つ日の目を見られるかという不安もない。埃も不安もない原稿によって読者の共感をもぎ取るのはプロ以前の怨念の埋み火が読者の共感の素地となってくれてい る。これにプロ作家としての名前(商品名)が相加する。</p>
<p>私はいまでも活字になる当てのまったくなかった変色した原稿、埃が降り積もった原稿を大切に保存している。初心忘るべからず。その初心を忘れたと き私は作家ではなくなる。試みに読者との間になんの共感も素地もない者が「私の作品を読んでください」と書いた看板をぶら下げて大都会の雑踏の中で何日立 ちつづけようと、よほど気紛れな人でもいない限りその原稿を読んでくれる人は一人もいないだろう。作家になるということは、よい作品を書くこと以前に読者 の共感をもぎ取るための素地をつくる過程といってもよい。その素地が厚く深ければ深いほど作家として長つづきするであろう。</p>
<p>我が作品世界を理解してくれる少数の読者に囲まれていればよいという作家もいるであろう。だが私は作家の看板を掲げた以上、自分の作品世界にでき るだけ多くの読者を引っ張り込みたいという野心を持っている。できれば世界のすべての人間を我が作品世界の中に取り込みたい。それは作家の本能のようなも のである。その本能のために原稿用紙の白いマス目を一つ一つ埋めている。</p>
<p style="text-align: right;">講談社『夢とロマンの共和国』より</p>
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		<item>
		<title>作家の条件</title>
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		<pubDate>Fri, 06 May 2011 01:16:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[森村誠一の小説道場]]></category>

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		<description><![CDATA[数年前、作家（小説家）志望の人口は五百万人と推定された。だれが、どのようにして推定したのかわからないが、かなりいいかげんな数である。だが作家予備軍が多いことは確かである。 日本の場合、日本語が読み書きできれば、だれでも自 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-176" title="dojo_00" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/dojo_00.jpg" alt="" width="600" height="80" /></p>
<p>数年前、作家（小説家）志望の人口は五百万人と推定された。だれが、どのようにして推定したのかわからないが、かなりいいかげんな数である。だが作家予備軍が多いことは確かである。</p>
<p>日本の場合、日本語が読み書きできれば、だれでも自分の人生という小説は書ける。だが、小説が日記と異なるところは、読者の存在である。読者なき 小説は、小説とは言えない。小説に限らず、すべての創作物は受取り手（レシピエント）がいて、初めて成立する。それも少数ではなく、ある程度のまとまった 受取り手に支持されて成立する分野である。</p>
<p>人間の持つ大きな欲望の一つとして、表現欲がある。生存するための食欲、繁殖のための性欲と異なり、表現欲が満たされなくとも生存はできる。だ が、一応生存のための条件が満たされると、人間は自分が社会において認められていることの証明を求めるようになる。自分が社会の確実な存在としての証明。 その証明が表現欲や名誉欲や権力欲となる。社会における存在の証明であるから、社会、すなわち受取り手が認めてくれなければ意味がない。</p>
<p>また、創作物は作品の共有者が多ければ多いほど価値を増すという性質を持っている。その点、独占しなければ意味がない権力とは正反対の位置にある。特に、自らが法となって人民の自由を制限したり拘束できる政治権力とは両極点の位置にある。</p>
<p>作家志望の動機として、生き甲斐、名声、富、生活、社会的ステータス、趣味、時間潰し、余生の筆のすさび等があるが、結局は表現本能に収斂され る。すべては表現本能から派生したものである。これを書かなければ生まれてきた意味がないというほどおもいつめて書いたものが作品として結晶し、読者に支 持される。その副産物として名声や、けっこうな収入が得られれば、作家冥利、これに尽きると言えるであろう。どんな動機から書いても自由であるが、利益を 目的とするビジネスと異なり、まず表現欲ありきが作家志望の主流と言えよう。</p>
<p>小説を書くための鉄則はない。だれがなにをどのように書こうと自由である。私が各社の間を、原稿を持ち歩いていたころ、ある社の編集長から、きみ は小説の書き方を知らない。小説作法のＡ、Ｂ、Ｃから勉強し直せと言われて、反発をおぼえたことがあった。だが、後になって小説の鉄則はないものの、それ をおぼえた方が有効である技術はあることを学んだ。小説の鉄則がないということは、鉄則がないという鉄則もないということになる。</p>
<p>ある商品を買って、不満や欠陥があれば、返品あるいは交換できるが、小説を読み終わって失望しても、本を返すわけにはいかない。仮に返本ができた としても、読書によって失われた時間は取り返せない。読者が本を買う一応の目安は、作者の名前や、書評や、冠（受賞作品）である。無名の新人は分が悪い。 無名の新人でも、出版社が大宣伝を繰り広げて有名にしてしまう場合もある。だが、この場合は新人でも無名とは言えない。</p>
<p>作品の質が中核にあることはもちろんであるが、名前、書評、冠、宣伝などが、作品の質に先行することも多い。出版社が特定の作家に照準を定めて、 宣伝力でベストセラーをつくりだす方式を、欧米ではブロック・バスターと呼ぶそうである。宣伝に躍らされて、読んでがっかりという作品は、ブロック・バス ターに多い。また、文壇総褒めの作品や、評論家の十年に一人の逸材とか、百年に一人の大器というレッテルも眉唾ものである。年月の風霜に耐えて評価の定 まった古典にすら、虚名がある。</p>
<p>作品本位から新刊中心主義、売上げ至上主義に移行した今日では、書店に置かれる書物のライフサイクルが速くなっている。どんなに内容のよい本で も、売れる見込みのない本は書店の店頭に置かれることもなく、開梱されないまま、出版元に返送されることもあるという。どうせ売れる見込みがないのである から、その方が手間が省けてよいというわけである。</p>
<p>本の生命が、内容から売上げ本位に移ると、虚名が多くなる。ベストセラーが必ずしも虚名ではないが、私自身、複数のベストセラーを経験して、書店 と出版社に求められるものは作品の質ではなく、読者の数であることを学んだ。読者は文芸作品になにを求めるか。人生いかに生くべきかという重い命題から、 娯楽（エンターテインメント）、時間潰しまで、読者の好みや、生活環境、精神の状態などによってさまざまである。</p>
<p>だが、一貫して求められるものは、面白さである。かつて文学なるものが、精神の自慰（マスターベーション）に陥り、社会から遊離した「私」の狭い 経験に偏り、高踏読者（ハイブロー）のサロン的読み物に堕したとき、興趣豊かなエンターテインメント系の読み物が一般読者に支持されて脅威をおぼえ、自衛 的に純を冠して他の文芸作品を不純・非純と見なしたのが純文学の語源であるという説もある。傲岸不遜な自称であるが、要するに、私小説で、テーマは家事 （特に冠婚葬祭）、身辺些事、性（セックス）、飲食、病気であり、登場人物の職業は教師と作家が圧倒的に多く、あとは遊民と病人がつづいた。一般読者から 遊離したのもやむを得ない。</p>
<p>だが、一口に面白さと言っても種類がある。文芸に限らず、すべての芸術作品は受取り手にある程度の素養を必要とする。その素養を前提としない面白 さが通俗の面白さである。その代表的なものにポルノとギャンブルと闘争がある。この三つの面白さには、読者に素養を求めない。そして、だれにでもわかる安 易な面白さを維持できる。週刊誌が企画に詰まると、〃三種の神器〃として、セックス、ギャンブル、闘いを取り上げるのはそのためである。</p>
<p>一般から遊離せず、また文芸と通俗の間に一線を画すものはなにか。それは作者の志であるとおもう。読者に迎合した、読者の背丈以下の作品は、通俗 に堕する。読者の背丈以上、あるいは読者に対抗する作品は、読者との間に知的葛藤を生じて、読者の背丈や、知的面積を引き延ばす。作者の志と独りよがりを 混同すると、読者から遊離してしまう。志は作者それぞれによって異なるが、志のある作品は風格があり、香りが高い。志なき作品は下品であり、臭気を放つ。</p>
<p>だが、志が重すぎるとエンターテインメント性を圧迫する。作者が志を大上段に振りかぶると、読者がしらけてしまうことがある。また作者が志と力ん でも、独りよがりのこともある。志は謙虚でさりげなくなければならない。作者の志が必ずしも読者に受け入れられるとは限らない。その国や、作者が生きた時 代層において理解されないこともある。外国や後代において評価されることもある。その作者が生きた国や時代において、志を評価されなかった作者は不遇であ る。</p>
<p>また、反体制的作家は、どんなに志が高くとも、あるいは多数の読者の支持を受けていても、体制上（おかみ）からは顕彰されない。作家はお上の御用 となったとき、筆に制約を受ける。体制の提灯小説を書くことを潔しとしない作家は、反体制的とならざるを得ず、なにものの拘束も好まない作家は、本質的に 反体制である。そのような作家にとっては、顕彰されないことが名誉なのである。権力の保護を受けることはあっても、権力におもねらないことが作家のあるべ き姿である。</p>
<p>たとえば従軍しながら反戦小説を書いたり、政府から勲章をもらって、反政府的な小説を書くことができるであろうか。そのような場合、作者の志が作 品に大きく影響するであろう。作家に求められる能力は、一、想像力、二、創造力（作品世界をつくる力）、三、表現力、四、構成力（物語をつくる力）、五、 取材力、六、持久力、七、好奇心などである。</p>
<p>この能力のうち、一、二、三を備えていれば、一応純文学は書ける。だが、社会と密接な関わりを持った作品、あるいは時代性を反映した作品を書こう とするとき、取材力や調査力が求められる。また、大長編の執筆には持久力が必要となる。単に机の前に座っている力だけではなく、一つのテーマ、あるいはそ の作品に対するこだわりがなければ、長編を完成できない。</p>
<p>政治家や社長などは、現役から退いても元大統領、前議員、前社長と呼ばれるが、書かなくなった作家は元作家、前作家などとは言わない。書かなく なった作家はただの人ですらなく、歌を忘れたカナリア、卵を産まなくなった鶏以下で、つぶしにすらできない。たとえ作家と呼ばれたとしても、それは作品の 余韻にすぎない。作家は職業ではなく、状態であるという説も、この辺の事情から発する。</p>
<p>作家にはゴールはない。おおかたの職種やライフパターンには一応のゴールがある。たとえば会社員ならば社長、軍人ならば大将、力士ならば横綱など は、一応のゴールと言ってよいであろう。だが、作家は一作ごとが、次の作品の督促となり、超えるべきバーとなる。質の高い作品を発表すれば、次作はこれを 超えなければならない。自らによりハードな条件を課して、可能性の限界を推し進めていく。</p>
<p>作家は作品の卵巣を持っている。排卵期間は個人差はあっても、それぞれに一定している。休筆したからといって、その分、排卵期間が延びるわけではない。作家にとって最大の無念は、排卵期間中に体力が尽きて、作品を産み残し、積み残すことである。</p>
<p>故松本清張氏は四十一歳でデビューし、「スタートが遅すぎた。時間との競争だ」と言いながら、三作の執筆途中において没した。笹沢左保氏は四百冊 達成を目指しながら、三百八十冊目が絶筆となった。笹沢左保氏の遺骨は多すぎて、特大の骨壺から溢れた。こぼれ落ちた遺骨が、氏の積み残した作品に対する 無念を象徴しているように見えた。</p>
<p>最近相次いで物故した生島治郎氏、黒岩重吾氏の生き様（よう）には、まさに作家魂が横溢（おういつ）していた。ハードボイルドから『片翼の天使』 に煮つまった生島氏、血反吐（ちへど）を吐いても書きつづけると言っていた黒岩氏。ゴールなきゴールに向かって人生を燃えつきた、没してもなお華やかな残 光を噴き上げる文人の最期であった。</p>
<p>自分の作品が相当に評価されているとおもっている作家は少ない。すべてのアーティストは、自分の作品に対する社会的評価を不満におもっている。だ が、一方では、もしかすると、自分はとんでもない勘ちがいをしているのではないのか、作家としての才能が枯渇したのではないかという不安を抱いている。自 信と不安は作家たる者の宿命的な相剋である。</p>
<p>俳優や歌手やスポーツ選手などが、その芸や歌、技など、自分自身に直接属するもの（直接的属性）を持って、受取り手（観客）に直接アピールするの と異なって、作家は自分の持てるものすべてを投入した作品（間接的属性）をもって読者に働きかける。つまり、自分自身の直接的魅力ではなく、作品による間 接的なアピールであるので、作者本人は脱け殻のようになっていることが多い。作者が読者に直接接すると、幻滅を与えることが多いのは、そのためである。</p>
<p>文は人なりとよく言われるが、実際には作者と作品の距離が開いていることが多い。たとえば凶悪無比な死刑囚が万人の心を打つ歌を詠むことも珍しく ない。作品に作者の人間性や破片が投影していることはあっても、作品即作者ではない。畏友山村正夫氏は、「作家は十年見なければわからない」と言った。名 言である。現役の作家であるためには、常に作品を生みつづけなければならない。膨大な作品を積み重ねようと、またどんな名作、傑作を発表しても、書くこと をやめた瞬間から、本質的に作家ではなくなる。作品が残っていても、それは作家が残っていることではない。</p>
<p>文芸に携わる私ですら、多数の名前を知らない新人作家が増えている。どんな巨匠、大家、流行作家でも、新人のころは無名に等しい。だが、知らない 作家の数がかつてないほどに増えつづけているのは、記憶される前に消えているからであろう。作品のライフサイクルが短くなったのと同様に、作家のライフサ イクルも短くなっている。年間五百人近く誕生する作家の中で、生き残っていくのは三人ないし五人と言われているが、一時（いっとき）、洛陽の紙価を高めた 作家が、突然消えてしまうことも珍しくない。</p>
<p>今日の作家は、単に机の前に座っている持久力だけではなく、年月の風化に耐える継続力が求められる。もちろん継続力に持久力が含まれるが、持久力 は継続力そのものではない。その作者の感性、時代性、社会的なニーズ、時流への順応性などの総合力が継続力となる。どんな作家も、彼らが生きた時代の影響 を避けることはできない。一見、時代の影響をまったく受けていないような作家も、実は受けている。その時代でなければ現われないような作家、まさに時代と 共生したような作家も少なくない。時代が求めたような作家は幸福であり、生まれるのが早すぎたり遅すぎたりした作家は不幸と言うべきであろう。</p>
<p>それらのハンディキャップを乗り越えて、それぞれの時代に生き残った作家は、時代と同調しなかった不遇をかこちながらも、その時代性を強く投影し ている。継続力の原動力となるものが志であるが、その継続力は彼らが実際に生きた時代をも超える（死後評価される作家）ことがある。</p>
<p>作家の武器は文章であり、文体である。言葉を結び合わせて文章を紡ぐ。言葉には、一、知識・情報の伝達、二、情緒の伝達、三、人間関係の潤滑油、 挨拶、激励、弔意など。四、娯楽、五、欺罔（だまし）、六、暴力と、大別して以上六つの機能がある。これらの機能を駆使して小説は書かれるが、文芸は第二 の機能を最大限に発揮する分野である。文体は作者の文章のスタイルであり、個性である。作家独特の誤字・誤用も文体の一部になる。作者名を隠しても、作者 が当てられるような文章が文体である。</p>
<p>だが、辞書にない作者独自の文体も、編集部において辞書の鋳型にはめた文章に訂正されることが多い。文法的に正確にはなっても、作者の個性が失わ れた面白みのない標準文に整形されてしまう。小説の文章に要求されることは、文法的な正確さよりは、作者の個性であり、文体が紡ぎ出す情緒、共感である。</p>
<p>日本は憲法によって表現の自由を保障されているが、現実に制約を受けるものが三つある。一は天皇および天皇制の批判、二、戦時中における日本軍の 戦争犯罪の告発、三、差別問題である。この三つをあえて書くときは、作者は無難な小説とは異なる覚悟をしなければならない。これらを書いたからといって、 政府から弾圧を受けることはないが、異なる意見を持つ組織や団体からの抵抗を覚悟しなければならない。</p>
<p>一個人の作者に対して組織や団体は、圧倒的な力を持っており、その脅威の前に憲法の保障も空文に等しくなる。特に第三の差別問題は、被差別者が、 ある言葉に対して差別とおもえば差別語となり、使えなくなってしまう。たとえば按摩は漢方医学の按摩法より発しているが、今日では現実に使えない。使える 言葉すら、被差別者を置き去りにしてマスコミが自粛してしまうので、使いにくくなっていく。マスコミ自らの言葉狩りによって、言葉がますます圧迫されてく る。</p>
<p>作家が言葉を失うことは、武器なき軍と同じである。文字と音声では聞く者の印象が異なってくる。被差別者に言葉を選ぶ権利があたえられなかったこ とがいわれなき差別を産んだという歴史の反動が過剰な言葉狩りとなって、日本の文芸をずいぶんつまらなくしてしまった。文化の原点は、まず言葉であり、人 間の間にコミュニケーションが生じて社会が形成されてきた。言葉狩りは文芸の分野だけではなく、文化全般の自殺につながる。言語を守ることは、作家の重大 な責任である。たとえ使命を終わった死語となっても、その言葉の存在は文化の歴史であり、人類の共有遺産である。</p>
<p>作者独自の文体を鋳造しても、それは言葉を生かすことであって、殺すことではない。言葉を殺すことに、作家は全力を挙げて抵抗しなければならな い。かつて政治権力によって表現の自由が圧殺され、多くの日本語を生きながら葬った歴史の教訓を、少なくとも表現に携わる者は忘れてはならない。</p>
<p style="text-align: right;">文藝ポスト 2003 夏号 Vol.21</p>
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		<title>ミステリーの書き方</title>
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		<pubDate>Fri, 06 May 2011 01:16:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[森村誠一の小説道場]]></category>

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		<description><![CDATA[ミステリーを書こうと志す者は、おおかたミステリーが好きで、内外のミステリーを読み漁り、自分もミステリーを書いてみたいとおもい立った者であ る。つまり、かつての読者が作者になったというケースが多い。他の文芸ジャンルに比べて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/dojo_00.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-176" title="dojo_00" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/dojo_00.jpg" alt="" width="600" height="80" /></a></p>
<p>ミステリーを書こうと志す者は、おおかたミステリーが好きで、内外のミステリーを読み漁り、自分もミステリーを書いてみたいとおもい立った者であ る。つまり、かつての読者が作者になったというケースが多い。他の文芸ジャンルに比べて、読者から作者に転向した人が圧倒的に多い。その点、俳句に似てい るジャンルである。それだけにミステリーの作者には、他の文芸ジャンルとは異なった心構えが求められる。</p>
<p>ミステリーも、特に本格推理には読者が参加する。読者の参加を拒否する本格推理はあり得ない。読者に、犯人、または真相に合理的に導くすべての資料が提示されなければならない。これを隠して書かれたミステリーはアンフェアである。</p>
<p>第二に、読者に謎を提示して挑戦する。作者と読者の知恵比べとなり、謎の浅いミステリーは読者からばかにされる。たとえば密室に抜け穴があったと か、犯人が双子の片割れや、事件を追うべき探偵や警察官であったとか、アリバイの基礎となるべき死亡推定時間に解剖医のミスがあったとか、探偵が街を歩い ていたら犯人を示す重大なキイを偶然発見したというふうなミステリーは、ミステリー以前であり、読者から軽蔑される。</p>
<p>ミステリーの読者には直感的に犯人を当てようとする悪い癖がある。ミステリーの読者は他の文芸ジャンルと異なって、極めて挑戦的であり、意地が悪 い。古今東西のミステリーに通じた鬼の読者が犇（ひしめ）いている。ミステリーを志すからには、このような海千山千の読者と渡り合う覚悟が必要である。</p>
<p>第三に、他の文芸ジャンル、特に歴史小説や、純文学と称する私小説などは、同じテーマを異なる史観や視点から、何度書こうと許容されるが、ミステ リーでは同じトリックや趣向は忌避される。オリジナリティが極めて尊重されるジャンルであって、どんなに素晴らしい作品世界を構築しても、先行作品に同じ トリックや趣向があると減点されてしまう。特に新人賞応募作品には、先行作品の有無は当落に大いに影響する。</p>
<p>拙作を例に挙げるのは、同業作品を例とするよりも難しいが、編集部の注文なのでやむを得ない。</p>
<p>■推理か小説か</p>
<p>ミステリーは人工の美学と呼ばれるように、人工性が尊重される。たとえば難攻不落の密室（拙作『高層の死角』『密閉山脈』）の壁を、苦心惨憺して 乗り越えて人を殺したり、曲芸まがいの乗り物の乗り換えや乗り継ぎをして、一分一秒のアリバイ工作に憂き身をやつしたり（拙作『虚構の空路』『新幹線殺人 事件』）する現実の犯人はいない。</p>
<p>文芸の永遠のテーマは、人間と人生を描くことにあるとされている。そのことに異議はない。だが、ミステリーは犯人を隠して書くという宿命があるために、犯人の人間性や人生を描きにくい。最後の絵解きにおいて、わずかに〃説明〃する程度である。この</p>
<p>宿命（ネック）を克服するために発明されたのが、犯人側から描く倒叙ミステリーである。だが、いずれにしても、真相解明の時点において説明しなければならない。文芸の文章では、説明は忌避される。</p>
<p>文章の二大機能に、知識・情報の伝達と情緒の創造がある。文芸の本領は、言葉を結び合わせて、情緒を紡ぎ出すことである。説明文の具体的な見本と しては、薬の効能書きや、テレビ、ビデオ、パソコン等のマニュアルがある。こんなものを読んでも、読者はなんの感動も共鳴もおぼえない。説明文に求められ るものは客観性、正確性、そしてわかりやすさである。これに対して文芸においては、客観性や正確性よりは、まず情緒が正面に押し出される。</p>
<p>ミステリーにおいては合理性が尊重されるので、どうしても説明が多くならざるを得ない。密室やアリバイ、その他のトリック、犯罪環境などの絵解き が不正確であれば、ミステリーの合理性が損なわれ、アンフェアとなる。この矛盾をどのように克服すべきか。ミステリー作家の腕のふるいどころである。</p>
<p>説明文も情緒的な文章の間にはさみ込むと、より一層効果を引き上げることがある。拙作の一例を挙げれば、『新幹線殺人事件』において、捜査報告書 を結末に配した。人工の美学こそミステリーの栄光である。説明を忘れることはない。必ずしも感動を本義としない、一見、無味乾燥な説明文でも、構成の工夫 によって充分読者の共鳴を引き出せるのである。</p>
<p>■本格か変格か</p>
<p>本格推理小説はミステリーの宗家と言えよう。本格は別名パズラーと言われるように、冒頭において謎が提示され（おおむね犯人はだれか）、読者がこ の謎解きに参加して、すべての読者が納得するような合理的な解決をするという小説形式である。謎は難解で、不可解であるほどよい。解決不可能とおもわれる ような複雑怪奇な謎の網目をくぐって、物語は二転三転、名探偵の登場によって快刀乱麻を断つごとく、爽快に解決するというのが古典的手法であり、いまもっ てその形式はあまり変わっていない。</p>
<p>ミステリーの範囲が広がり、サスペンス、ハードボイルド、冒険、犯罪小説、ＳＦ、ホラーなども広義のミステリーに含まれるようになると、古典的な謎解き小説が本格と呼ばれるようになった。</p>
<p>本格以外が変格ということであろうが、最も人工性が濃いのが本格であることはまちがいない。他の文芸ジャンルやサスペンス作品で、登場人物が勝手 に動き出すというような現象は、本格では好ましくない。まず設計図を綿密に引き、登場人物は設計図の枠組の中でのみ忠実な行動を求められる。先に設計があ り、次に人間がくるのが本格の宿命である。</p>
<p>同時に、この宿命は人間を操り人形と化す、あるいはまったく人間不在の作品となる危険性を孕（はら）んでいる。主役は謎であり、人間は謎を構成す るための脇役、またその謎を解くための道具とされる。この弊を救済するために発明されたのが倒叙ミステリーであり、社会派ミステリーである。</p>
<p>だが、ミステリーの中心が犯罪の動機や社会性に移行すると、肝心の謎が薄められてしまう。どんなに謎が深くとも、航空機とインターネットによっ て、人間の行動がグローバルになったいま、明哲、神のような名探偵と、山奥の閉鎖された村や孤島が舞台とあっては、現実から著しく遊離してしまう。</p>
<p>犯罪の広域化に伴い、一人の名探偵では犯人を追いきれなくなってしまう。また携帯電話が普及した今日、ミステリー環境を設定する重大な要件の一つ である連絡不可能の壁は、いとも簡単に乗り越えられてしまう。また、豊富な情報網は一人の人間を所在不明にすることも難しくなった。文明の利器は山間離島 も大都会も大差なくしてしまった。</p>
<p>今日では名探偵の独壇場である本格の舞台は、文明の利器や情報網という、以前にはなかったバリアをクリアしなければならない。現代社会を踏まえて 合理性を尊重するミステリーを書くとき、最先端のハイテクの介入を無視できなくなっている。これを無視したミステリーは捕物帳になってしまう。</p>
<p>■犯罪の動機</p>
<p>ミステリーにおいて、人間をより深く描くために、松本清張が創唱した動機の重視は、戦後の時代潮流を反映して、物質的貧困に置かれた。これが高度 成長に伴う繁栄により、日本人の生活水準が向上した今日、動機は精神の貧困や奇形に置かれるようになった。人間の精神に深く入り込んでいくミステリーは、 本格の人工性から遊離していかざるを得ない。本格には常に遊びの感覚がつきまとうが、人間の精神の暗黒を描くミステリーに遊びはなく、息づまるような現実 との密着感、あるいは一体感がある。</p>
<p>かつて、松本清張が「お化け屋敷の掛け小屋」と呼んだ、精神のレジャーランドに入ったかのように現実とは別のこととして楽しめた本格ミステリーが、ひょっとすると我が身にも起こり得るかもしれないという、等身大の世界として迫ってくる。<br />
前者が遊び感覚のメルヘン的面白さであれば、後者はリアリティの持つ臨場感や恐怖である。いずれもミステリーであり、同じ物差しで優劣を比べることはできない。読者の好みによって評価が分かれるだけである。</p>
<p>ミステリーを書こうとするとき、まず本格か、本格以外か。また本格にしても、犯人・フーダニット、ハウダニット、トリック・動機・ホワイ等のどれに照準を定めて書くかによって書き方が変わってくる。</p>
<p>■ミステリーの要素</p>
<p>ミステリーにはさまざまな書きようがあり、作家それぞれに切り口が異なるが、最大公約数的な要素とも言うべきものがある。</p>
<p>一、ショッキングな発端</p>
<p>推理作家は書き始めに最も苦心する。第一ステージで読者を作品世界に引き込むために、魅力的な導入部が求められる。私小説のように「私」について長々と書き始めるわけにはいかない。</p>
<p>いまに面白くなりそうだという予感を読者に抱かせながら、長々と読ませて、一向に面白くならないミステリーもあるが、長々と読ませるだけで、一応の技術である。</p>
<p>開巻措（お）くあたわずというようなインパクトのある導入が望ましい。冒頭に殺人事件や、不可解な現象や、いきなり結末から書き始めたりする手法が多用されるのは、読者をキャッチするためである。</p>
<p>二、トリック</p>
<p>トリックは本格推理の核（コア）である。優れたトリックによって欺かれる快感は、ミステリーの醍醐味である。物理的なトリックが出尽くした今日、心理的なトリックにその大勢が移行している。だが、今後、ハイテク最先端を利用した機械的なトリックが出てくるであろう。</p>
<p>本格の場合、トリックが先行して、人間や事件によって肉付けをするという作法が多い。人間が不在になったり、操り人形になったりする所以（ゆえ ん）である。だが、トリックには文芸の使命とされる人間を犠牲にするだけの魅力があるのである。本格ミステリーにおけるオリジナリティは、特にトリックに おいて要求される。先行作品に用いられたトリックを再使用するときは、よほどバリエーションの工夫を凝らさなければならない。バリエーションですら、オリ ジナリティはかなり減殺される。いやしくも本格を志す者は、古今東西の有名トリックに通暁する必要がある。</p>
<p>ただし、トリックは読んだ後、メモに書き留めておかないと忘れてしまう。名作や、心に残ったトリックはメモしておくべきである。私は自分のメモ以 外に、江戸川乱歩『続・幻影城』におさめられている内外の「類別トリック集成」や「探偵小説に描かれた異様な犯罪動機」を読まれることを勧める。</p>
<p>拙作では、まずトリックが生まれて、人物を肉付けした作品は『高層の死角』『密閉山脈』『新幹線殺人事件』『黒魔術の女』『空洞星雲』『日本アルプス殺人事件』などがある。</p>
<p>密室</p>
<p>密室はトリックの粋である。出入不可能な厚い壁に囲まれた密室から煙のように消え失せた犯人は、読者の不可解興味を盛り上げる。密室の機械的ト リックは出尽くしたと言われ、これに次いで心理的トリックが盛んになったが、近年に至り、島田荘司氏、綾辻行人氏、有栖川有栖氏など、新本格話の作家に よって大仕掛けな機械トリックが次々に発明されるようになった。</p>
<p>拙作『高層の死角』は心理と機械を配合した密室トリックである。『超高層ホテル殺人事件』『黒魔術の女』『凶水系』『日本アルプス殺人事件』『終着駅』は機械的トリックである。心理的トリックでは『密閉山脈』『密閉城下』『致死海流』が代表である。</p>
<p>前段で触れたように、密室のタブーは抜け穴であるが、拙作の短編『盗まれた密室』において抜け穴を使用している。だが、この作品の主眼は密室には なく、密室を囮にして読者を誤導（ミスディレクト）することにある。作者の真の狙いは、密室そのものが盗まれ、完全犯罪が崩壊するところにある。抜け穴も 読者が納得のいくように使えば、それは抜け穴ではなく、心理の盲点となる。抜け穴ではなく、難攻不落の密室そのものを囮に使った傑作に、東野圭吾氏の『放 課後』がある。</p>
<p>アリバイ</p>
<p>アリバイは密室に並ぶトリックの双璧である。犯人は捜査線上に浮上しているが、犯行現場に立てないという証明がある。共犯者を使うわけでもなく、犯人は現場に立たず、いかにして殺人を遂行したか。この謎に不可能興味をかき立てられる。</p>
<p>トラベルミステリーでは、おおむね時刻表の盲点や、乗り換えや〃三角跳び〃による心理の錯覚によって、アリバイを構築する。何日もかけて少しずつ 時間を貯蓄してアリバイを築く松本清張の短編『留守宅の事件』は秀作である。時刻表の盲点だけでは面白みが少なく、アリバイのスケールが小さくなる。犯人 と現場の間にできるだけ距離があり、鉄壁の時間の壁があることが望ましい。</p>
<p>たとえば東京で事件が発生し、犯行時間帯、容疑者はニューヨーク、パリ、あるいは絶海の孤島にいたというような設定である。事件発生時、容疑者が隣りの家にいたというような設定では小さい。仕掛けを大きくするために、電話、カメラ、その他各種文明の利器と組み合わせる。</p>
<p>拙作では『虚構の空路』（事件発生時、犯人は海外にいる）、『新幹線殺人事件』（事件発生時、犯人は新幹線の車内にいる）、『新・新幹線殺人事 件』（先行列車の乗客が殺害され、犯人は絶対に追いつけない後続列車に乗っている）、『日本アルプス殺人事件』（川崎市で被害者が殺害された時間帯、犯人 は日本アルプス山上にいた）等がある。</p>
<p>アリバイ崩しの難しさは、容疑者のアリバイを崩したことが、即有罪の証拠にならないことである。アリバイがないということは、犯行時、どこにいた かわからないということであって、犯行現場にいたことにはならない。これをどのように犯行に結びつけるか、アリバイトリックの難しいところである。</p>
<p>この点、密室の壁が崩れると同時に、犯人が逮捕される密室トリックよりも、仕掛けに工夫を要する。本格ミステリー作家たる者、一度は密室やアリバイに挑み、あるいは挑もうとするのも、この抜群の不可能興味にある。</p>
<p>三、プロット</p>
<p>物語性はミステリーの生命である。どんなにトリックが優れていても、プロットがつまらなくては、読者はついてこない。トリック同様、プロットにも オリジナリティが求められるが、バリエーションはトリックほど厳密ではない。優れたバリエーションであれば、先行作品があっても、別のオリジナリティと見 なされる。バリエーションとリメイクはちがう。俳優の演技で見せる映画や演劇には、リメイクは許されるが、小説の場合、リメイクは少ない。せいぜい別の分 野からのノベライゼーションである。</p>
<p>私の場合、プロットは劇的な体験や、波瀾万丈の人生などよりも、平凡な日常体験や、ありふれた生きようから作品のヒントを得ることが多い。日常性 における非日常性を面白いとおもう。たとえば街角の主婦の立ち話や、ゴミ集積場におけるゴミの出し方の個性や、タクシーの運転手とのなにげない会話などか ら、作品のヒントを得ることが多い。</p>
<p>つまり、作品の劇的な要素と構想のヒントは直接の関わりを持っていない。作者の中で、平凡な題材から劇的に化学変化するのである。化学変化させる 触媒が、作者の感性や、経験や、アンテナということになるのであろう。常にアンテナを張りめぐらしていないと、せっかく千載一遇のテーマやモデルを見過ご してしまう。</p>
<p>作者が持って生まれた感性に加えて、ものを見る訓練が必要である。つまり作者の目と傍観者の目は異なるということである。作家たらんとする者、常に自分の作品を通してものを見なければならない。</p>
<p>四、サスペンス</p>
<p>とにかく読者を誘い込んだが、中だるみすると、読者は飽きてしまう。一体、作品の行方はどうなるのかと、読者に固唾を呑ませ、手に汗をにぎらせて 緊張を持続させるのがサスペンスである。サスペンスを盛り上げるために時間を限ったり（例：時限爆弾）、危機的な状況（例：事故や災害、拙作『黒い墜落機 （ファントム）』『誉生（よせい）の証明』）を設定したりする。また、大向こうを意識した派手なサスペンスではなく、彼我の対決による緊迫した心理によっ て、静かに緊張を高めていく（例：討ち入り前の赤穂浪士や巌流島前で決闘前の武蔵と小次郎）。</p>
<p>五、クライマックス</p>
<p>サスペンスが登路であるとすれば、クライマックスは山頂である。ミステリーにおけるクライマックスは、言うまでもなく探偵が犯人を追いつめ、犯人 を落とす場面であろう。幾重にも障壁（バリア）を張りめぐらした難攻不落の犯人に、ついに王手をかけ、まいったと屈伏させる。謎が不可解であればあるほ ど、クライマックスのカタルシス（快感）は大きい。</p>
<p>六、意外な結末</p>
<p>討ち入りや巌流島は、その場面で一応終わるが、ミステリーの一筋縄でいかないところは、犯人が陥落した後、さらに二転三転して、意外な真相が露れ ることである。どんでん返しによって、これまで構築されてきた世界が一変する。まったく予想もしなかった未知の風景は、読者に強烈な衝撃をあたえる。しか もどんでん返しによる世界の化学的変化には、合理的な説明がなされなければならない。拙作例では『捜査線上のアリア』がある。</p>
<p>読者はこれまで信じていた世界が、最後の一ページによって、まったく虚像にすぎなかったことを知らされ、愕然とするであろう。</p>
<p>七、ミステリーの趣向</p>
<p>ミステリーはなぜ犯罪をテーマとするのか。ミステリーのテーマには特に殺人が多い。これは謎を設定するのに、殺人が最も適しているからである。殺 人にはフー、ホワイ、ハウという謎を構成する三大要素が含まれている。謎があれば、犯罪でなくともよいはずであるが、たとえば善行の主はだれかという設定 では、その主が判明しても表彰されるだけで、罰せられない。犯人が捕まれば死刑に処せられるかもしれぬとなれば、犯人は自分を守るために必死の知恵をめぐ らし、何重ものバリアを設け、これを追う捜査陣と攻防の火花を散らす。つまり、犯罪は推理の趣向なのである。もっと深い謎や、面白いミステリー環境が設け られる趣向があれば、べつに犯罪でなくともよい。いまのところ、犯罪に勝るミステリーの趣向はなさそうである。</p>
<p>犯罪に伴う社会、経済、国際状況、また人間の精神の暗黒なども、すべてミステリーの趣向と解釈してよい。つまり、ミステリーである限り、中核は謎 にあり、本格、変格を問わず、ミステリー環境を構成するすべてのものは、ミステリーの趣向である。拙作の例としては『人間の証明』における西条八十の詩の 挿入、『黒い神座（みくら）』における政治、『白の十字架』や『日本アルプス殺人事件』における山岳、『人間の条件』における新興宗教、『悪しき星座』の 風土病、『雪の蛍』の昆虫の習性、『暗黒星団』の医学。</p>
<p>趣向に制限はないが、殺人はなるべく節約したい（多く殺すと必然性と合理性が破綻する）。幼児の殺害、幼少年のボルノグラフィ、過度の虐待、大量虐殺、残忍性変態性欲、超不潔な好意などは、ミステリーのす品格を落とす。</p>
<p>趣向のちがいによって、ミステリーの各ジャンルに分かれていく。また、推理の趣向の選択に、作者のタイプが現われる。</p>
<p>八、必然性</p>
<p>合理性を要求されるミステリーでは、偶然は極力排される。犯人、または事件の真相解明に直接関わらない偶然は許容されるが、重大な関連を持つ偶然はタブーである。行末のなにげない描写にも、必然がなければならない。</p>
<p>たとえば登場人物がなにげなく喫茶店に入る。一般の小説であれば、その喫茶店に入った意味は求められないが、ミステリーでは、なぜその喫茶店に 入ったかという必然性が要求される。これが伏線である。結末において、あのとき喫茶店に入ったのはこういう意味があったのかと、読者が納得するような理由 が欲しい。</p>
<p>一般小説のように予定より早く終わってしまったとか、物語が発展して、いつ終わるかわからないというような構成では、人工の美学に反するのである。必然性はミステリーのキイワードと言ってもよい。</p>
<p>■文章</p>
<p>文章には説明と描写と抽象がある。<br />
説明については、すでに述べたように主観性を排し、客観性と正確性が求められる。描写において主観が入ってくる。文章は抽象化が進めば進むほど高度にな り、カバーする範囲が広くなる。反面、具体性が失われ、難解となる。読み手にも、それ相応の素養が求められるようになる。</p>
<p>芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」は説明句の見本であり、同じ作者による「夏草や兵（つわもの）どもがゆめの跡」は抽象句である。前者は、雨 が降って川の水位が増したと説明しているだけであるのに対して、後者は、単に空間の描写に止どまらず、時間軸（歴史）が加わる。わずか十七文字によって膨 大な歴史が描かれている。俳句の素養のない者でも、後者の完成度と抽象度の高さはわかるであろう。</p>
<p>文章は書けば書くほど上達する。私はまず、好きな作家の文章の模倣から始めて、自分の文体を積み上げていった。文体とは、その作者独特の個性的な文章である。作者独自の誤用や誤字も、文体に含まれる。</p>
<p>作家は個人の名前によって、多数の読者にアピールしなければならない。署名を入れなくとも、だれの文章ということがわかるような文体を練り上げなければならない。</p>
<p>■ミステリーのビジョン</p>
<p>ミステリーは基本的人権の保障される民主主義社会において発達する。犯人の人権の保障されない社会や国家においては、合理的な証拠は必要なく、容 疑者を捕らえて拷問にかけ、自供させれば、一件落着である。つまり、ミステリーは人権保障の指数とも言える。ミステリーがなくとも、人間は生存できる。ミ ステリーに限らず、文芸は生存にとって必要ない。だが、文芸以下すべての芸術、創作は、人間が人間らしく生きるために必須である。私の少年時代、太平洋戦 争最中、国民が食うや食わずの生活を強いられているとき、文庫二百冊が配給（有料であるが、販売ではない）される書店の前に、長蛇の列が並んだことをおぼ えている。その作品も、本人が選べるのではなく、お上のお仕着せであった。まさに人はパンのみによって生きるにあらずを実感した。</p>
<p>だが、そのとき配給された作品はミステリーではなかった。ミステリーは香り高いコーヒーや紅茶とよく合う。人生いかに生くべきかという重い命題を問いかける（作品もあるが）ものではなく、人間が余裕を持って人生をエンジョイしているときに最も合う文芸ジャンルである。</p>
<p style="text-align: right;">幻冬舎 ポンツーンより転載</p>
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		<title>作家の仕事術</title>
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		<pubDate>Fri, 06 May 2011 01:15:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[森村誠一の小説道場]]></category>

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		<description><![CDATA[聞き手：角川ミステリ編集部 作家であり続けること ――　作家になることよりも、作家であり続ける方がよほど難しく、また、元政治家や元大学教授はいても、元作家と言うのはありえないので、作家たる 者、生涯作家であり続けなければ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-full wp-image-176" title="dojo_00" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/05/dojo_00.jpg" alt="" width="600" height="80" /></p>
<p style="text-align: right;">聞き手：角川ミステリ編集部</p>
<p><strong>作家であり続けること</strong></p>
<p>――　作家になることよりも、作家であり続ける方がよほど難しく、また、元政治家や元大学教授はいても、元作家と言うのはありえないので、作家たる 者、生涯作家であり続けなければならないという、お話をされているのを何度か伺ったことがあります。そのお話を伺うたびに、作家であることの凄みを感じる のですが、その緊張感を持ち続けておられる、根の部分には、なにが潜んでいるのでしょうか。</p>
<p>作家は、前作家、元作家とは言われないように、書くことをやめた瞬間から、本質的には作家ではなくなります。書くことを止めた作家が作家と呼ばれていても、それは作家の”余韻”です。作家は職業ではなく、状態であるという説も、その辺の事情を裏書しているのでしょう。</p>
<p>作家にはほかの職業にはないうま味もあります。そのうま味には中毒性があります。一定期間書きつづけて、その収入によって生計を立てるのですか ら、一応職業と呼んでよいでしょう。ただの一作によって大ベストセラーを出せば、１年ないし数年は遊んで暮らせます。若くしてスポットライトを浴びて、一 躍全国的に有名になる人もいます。翻訳されれば、その名前は海外にまで知られます。それほどではないにしても、自分の作品世界が活字になって、広く読者に 紹介されることは、一度でも自分の本を出した経験のある人には、忘れられない感激と喜びでしょう。そのために、一生、文学中毒に取り憑かれる人もいます。</p>
<p>職業作家は作家である限り、書きつづけなければならないという宿命を負わされています。日本語を知っている者であれば、誰でも一、二作は自分の人 生という小説を書くことができます。しかし、書きつづけるという作業は並大抵ではありません。それができるのは、気力と体力と、熟練や慣れがあるからで す。</p>
<p>職業作家としてある程度の実績ができると、加速度がつきます。この加速度によって作品を書きつづけられます。会社で働く人間は、どんなによい仕事 をしても、会社の枠に閉じ込められています。自分の食材ではなく、会社という他人からあたえられた食材で料理を作っている料理人のようなものです。作家は 自分の食材で料理（作品）を作ります。作品を書くために、最もよい環境をつくり、ライフスタイルを送れます。劣悪な労働環境や、不愉快な人間関係に耐えて 働かなければならない組織人間とは大きくちがうところでしょう。この辺が作家のうま味です。</p>
<p>しかし、そこに文芸の毒が仕掛けられています。作家は実績や名前に驕（おご）って、楽をして仕事をしやすい環境にあります。虚名に走って本分を忘 れることがあります。その間に作品がどんどん劣化していきます。劣化しても、読者の受けがよい場合もあるので、作家自身がスポイルされていきます。それが 自家中毒性の強い文学中毒の怖いところです。読者の支持は無責任で、信用できません。時代に耐えた古典ですら虚名があります。作品を裁く者は、結局、作家 自身であり、楽をしたり、読者を欺瞞（だま）したりした作品は、一生、いや、死後までもその作者の負債となってついて回ります。文芸のうま味とは怖さと言 えましょう。</p>
<p>――　示唆深いお話をありがとうございます。これまでも、なんども質問されたことかとは思うのですが、ホテルマンから作家になられるとき、小説を書こうとしたきっかけはどんなものだったのでしょうか。</p>
<p>最終学校を卒業して、最初の就職先のホテルに約十年いる間に、自分は労働力の一単位にすぎないということをいやというほどおもい知らされました。 自分が会社（ホテル）を辞めても、すぐに代替（かわり）が見つかり、十年の足跡がホテルのどこにも残っていない、いてもいなくても同じような存在であるこ とが虚（むな）しくなりました。たとえどんな小さなニーズであっても、私以外にはできないような仕事をしたいとおもい立ち、もともと本が好きであった私 は、文芸の分野に路線変更したのです。ホテルマン時代、私のいたホテルに梶山季之氏や笹沢左保氏など、多数の作家が来館したことも大いに刺激になりまし た。</p>
<p>ホテルマンの時代は、毎日出勤するとき、少しずつ自殺をしているような気分でしたが、いまおもえば所を得なかったホテルマン時代に、私は作家としての基礎である絶好の人間観察の舞台と機会をあたえられたのです。いまでも私はホテルを、私の人生の母社とおもっています。</p>
<p>ホテルマン時代、私は下宿を探すとき、近所に貸本屋と風呂屋のあるところを必須条件としていました。当時、貸本屋で耽読したのが松本清張、高木彬 光、笹沢左保、山田風太郎、佐野洋、鮎川哲也の各氏、また早川ポケットミステリーの海外諸作品でした。貸本屋が閉店するとき、その店にあったHPB（早川 ポケットミステリー）を一冊十円（当時平均二百五十円くらい）で全部買いました。そのHPB約百冊はいまでも私の書棚にあります。</p>
<p><strong>作家の素地</strong></p>
<p>――　その読書への耽溺は、おそらく、少年時代の読書遍歴から培われてきたものだと思うのですが、とくに傾倒していた、作家や小説はどんなものだったのでしょう。</p>
<p>生家は当時は珍しかった個人タクシーを経営して、オールズモービル、ビュイック・シボレーなど、アメリカ車を数台所有して、生活は豊かでした。私 は町で有数の読書少年で、父は私が欲しがる本をなんでも買ってくれました。『少年倶楽部』と山中峰太郎、江戸川乱歩、大下字陀児、高垣眸、また漫画の『の らくろ』や『冒険ダン吉』などは最強のカードで、これらを持っていると、どんな本とでも交換して借りられました。戦前、戦中、町に貸本屋はなく、図書館は エンターテイメント系や漫画は置いていませんでした。『少年倶楽部』昭和８年７月号が欠けていて、それを町一番の肉屋の一年上級生が持っていると聞きつけ た私は、彼に借りに行きました。だが、彼はもったいぶって貸してくれません。私は７月号が読みたい一心に、一年、その少年の家来となり、結局、彼が嘘をつ いていたことを知り、ただ働きさせられたことを今でも悔しくおもいだします。</p>
<p>戦後、町の商業高校へ入学した私は、二年生の第二学期、開業医であった叔父に頼んで偽の診断書を書いてもらい、一ヶ月、長期休学して、家には毎 日、登校しているように見せかけ、町の図書館へ通い、『世界文学全集』の読破を試みました。一ヵ月後、さしも鷹揚な学校も不審を抱いて親に問い合わせ、 『世界文学全集』はロシア、ドイツ、フランスを終わりイギリス、のオスカー・ワイルド作『ドリアン・グレイの肖像』で壮途（そうと）虚しく挫折しました。</p>
<p>特に愛読していたのは、ロマン・ロラン、ヘルマン・ヘッセ、ドストエフスキー、リルケ、日本では『平家物語』や『太平記』などの古典軍記、堀辰 雄、立原道造、井上靖、吉川英治などでした。文体では井上靖、堀辰雄、ロマン･ロラン（豊島芳志雄訳）、詩歌では、立原道造、石川啄木に最も強く影響を受 けました。</p>
<p>――　作家になられて次々と作品を発表しながらも、新しいことに挑戦しつつ腕を磨いて行くにあたって、心がけておられたことはありますか？</p>
<p>作家になってから、読書の性格が変わってきました。一種のリサーチとして、名作・古典の読み直し、同業作家の先行作品、競合作品、受賞作品、問題 作等を、時間のある限り読みます。これは自分の作品の栄養となり、作品を書きつづける刺激となります。ただし、最近は資料を読むだけで目が疲労し、読書量 が絶対的に不足してきたのが不安です。</p>
<p>作家が本を読まなくなるということは、新しい才能にも触れられず、精神の他流試合の機会も少なくなり、作家として精神的鎖国状態になるので、極めて危険だと思います。また小説だけではなく、その他演劇、美術、映画、音楽等にもできるだけ接するようにしています。</p>
<p>――　執筆にあたっての、ジンクスのようなものはおありなのでしょうか？書く前に必ずすることとか。</p>
<p>特にジンクスはありませんが、私は執筆日数を三日一単位（ワン・ユニット）と心得ています。長い間（今年で三十九年）書きつづけていると、仕事場 に入るのがとても億劫なことがあります。そのようなとき、逃げてしまうと、竈（かまど）の火が消えてなかなかエンジンがかからなくなります。たとえ一枚で も二枚でも、毎日書くように心がけています。また一日、怠惰に過ごしてしまうと、二日目はもっと億劫になります。三日目はさらにいやになります。そして四 日目、ここでようやくふたたび動き出すか、あるいは怠けつづけるか、ここが一般人とホームレスの境界線になります。四日目を怠けるとホームレス街道まっし ぐら。ほとんどの人はここで立ち直ります。</p>
<p>作家の場合、個人差は大きく、怠け癖がつくと、一作だけで怠けの泥沼に沈んでしまうこともあります。このようなとき、私にとってなによりの刺激 は、同業作家の凄い作品や、新人の才能です。おれも頑張らなければいけないとおもい直して、愛用のガラスペンを手にふたたびデスクに向かいます。ちなみに 私のペンは特注のガラスペンで、総体二グラム。いまは生産中止で、二万本特注し、年間消費量約六百本、すでに一万二千本を消費して、残りの八千本は銀行の 貸し金庫に保管しています。</p>
<p>――　森村さんの作品には、様々な意味での社会と人間の関係を見据える視点がいつもあるように思うのですが、森村さんにとって、ミステリとはどういうものなのでしょう。</p>
<p>ミステリは言うまでもなく犯罪を扱っています。善行を扱っても一向にかまわないはずですが、例えば匿名の十億円の寄付者を探すとして、寄付者が探 しだされたとしても表彰されこそすれ処罰されません。これが犯罪の犯人が捕まれば処罰されるので、犯人は必死に逃亡工作をします。ここに探偵と犯人の必死 の攻防が繰り広げられ、興趣豊かな作品世界が築けるわけです。文学の永遠のテーマである人間と人生を描くにあたって、ミステリは犯人はだれか、一見不可能 な犯罪をどのようにして実行したか、なぜそのような犯罪を犯したかなどを追求し、社会的動機である人間が最も描きやすい文芸形態だとおもっています。</p>
<p>マスコミとインターネットの発展によって、どんな山間僻地や絶海の孤島も、いまや社会的にリンクされていて、ソーローの『森の生活』のように、隠 者といえども社会からの完全な隔絶は不可能な時代になっています。連絡不能の閉塞状況はミステリを構成する一つの重大な要素でしたが、携帯電話の普及した いま、ミステリにも新たな工夫が求められます。つまり、すべての作家は物質文明社会の影響下でミステリを構成しなければならない時代になったと言えましょ う。一見、社会の影響をまったく受けていないような作家であっても、社会の構造の中に組み込まれています。</p>
<p>推理小説は民主主義の保証された社会に発展すると言われます。なぜなら、独裁社会や封建社会では犯人の人権は守られず、容疑者を捕らえて拷問にか けて自供させれば、一件落着です。論理的に犯人を創り出す必要はありません。容疑者と犯人の人権も守られてこそ成立する推理小説が、民主主義社会の指標と なるいわれです。</p>
<p>――　これから、作家を目指している人に向けて、森村流指南をお願いします。</p>
<p>どのような動機から作家になるのも自由ですが、職業作家のほとんどは、自分の内に、これを書かなければ生まれてきた意味がない、これを発表しなけ れば生きている価値がないというふうにおもいつめて作家になった人たちです。収入や名声はその結果の副産物で、まず初めに作品ありきです。それ以外のもの はその結果です。初めから結果だけを狙って書いても一向にかまいませんが、作家になろうとおもっても、すぐになれるものではありません。また、仮に作家に なったとしても、いつまで書きつづけられるか保証はありません。一作一作にかける勝負師であり、書けなくなったときは存在価値のまったくない、粗大ゴミに すぎない者であるとの覚悟は必要です。</p>
<p><strong>作家の条件</strong></p>
<p>作家にとって必要な条件は、<br />
一、 創造力（ものを創り出す力、想像力を含む）<br />
二、 表現力<br />
三、 構成力（作品世界をつくる力）<br />
四、 取材力（純文学にはあまり必要ない）<br />
五、 感性（感覚、嗅覚、視野、洞察力、分析力、など）<br />
と言われていますが、これに持久力が必要となります。ただし、一作作家の場合は持久力は必要でありません。一作でも不朽の名作を残す確率があります。</p>
<p style="text-align: right;">角川ミステリ2002年7月号より</p>
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		<title>2011年開講式特別講座</title>
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		<pubDate>Fri, 22 Apr 2011 06:13:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[最新情報]]></category>

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		<description><![CDATA[2011年開講式は神崎京介氏を特別講師に迎えて特別講座を行いました。 山村教室2011年開講式特別講座にて。中央・神崎京介氏、後列2列目右端・教室代表・山口十八良氏、3人目・渡辺起知夫氏、4人目・猪野正明氏、前列左より3 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2011年開講式は神崎京介氏を特別講師に迎えて特別講座を行いました。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-135" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/04/qjjjw63v.jpg" alt="" width="570" height="427" /></p>
<p>山村教室2011年開講式特別講座にて。中央・神崎京介氏、後列2列目右端・教室代表・山口十八良氏、3人目・渡辺起知夫氏、4人目・猪野正明氏、前列左より3人目・石阪茂房氏。</p>
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		<title>上田秀人さんの新刊が発売されました</title>
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		<pubDate>Fri, 22 Apr 2011 06:10:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[最新情報]]></category>

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		<description><![CDATA[「この文庫書き下ろし時代小説がすごい！」（宝島社刊）で第1位に輝いた、上田秀人の真骨頂!! 家康の遺策 関東郡代記録に止めず 幻冬舎時代小説文庫 将軍家から格別の恩恵を賜っている伊奈家は、関東郡代を世襲し権勢を誇っていた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「この文庫書き下ろし時代小説がすごい！」（宝島社刊）で第1位に輝いた、上田秀人の真骨頂!!</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-130" src="http://cybernovels.jp/wp-content/uploads/2011/04/033745221.jpg" alt="" width="95" height="144" /></p>
<p><strong>家康の遺策 関東郡代記録に止めず</strong><br />
幻冬舎時代小説文庫</p>
<p>将軍家から格別の恩恵を賜っている伊奈家は、関東郡代を世襲し権勢を誇っていた。その裏には神君が隠匿した莫大な遺産を護るという役目が。<br />
だが、逼迫した財政を立て直すべく、幕府重鎮田沼意次がその奪略をもくろむ。当主・半左衛門は武と智を尽くして応戦するが……。やがて迎えた対決の時、死してなお世を揺るがす家康の策略が明らかになる！</p>
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