ケルン_web

★受講生が発信する、山村教室の紹介記事です。書き手はキビナゴ初陽の2人で不定期連載

師というものは佇まいだけで迷えるものに道を示します。
さらにいうなら、師は1日にしてならず。
今回は、迷える小説家の卵たちに道を示す山村教室の「師」、森村誠一先生について語ります!
——————————————————————————————————-

<キビナゴレポート 第5回 森村誠一先生の指導。師は一日にしてならずの巻>

キビナゴはドストライクで角川映画世代なので、教室にはいってはじめて森村先生を目のまえにしたときは、本当に息が止まりそうでした。
まさか生でお会いするということが自分の人生で起きるとは、夢にも思っていませんでしたから。

森村先生は基本、新年度の開講式、塾長講評日、そして年の終わりに、教室にいらっしゃいます。
このときばかりは普段顔を出さない教室生も顔を出し、会場は満員御礼。
喧噪に満ちた渋谷のビルの一室が、静謐なハレの場へと変わります。

森村先生の言葉を一言一句ききのがすまいと真剣な顔で過ごす皆。

降臨日――。

キビナゴは森村先生がいらっしゃる日を心のなかでそう呼んでいます。
森村先生はいらっしゃったとき、テキストとして提出された作品を何本か講評します。
森村先生に講評されるなんて、そんなこと、人生でめったにない。
講評対象者はドキドキです。
自分だったらここをこうすると先生は非常に具体的に描写や台詞を森村流に直したものをしゃべってくれたりします。
「確かにそっちのほうが面白い」と思わされることばかりで、あちこちでメモを取る手が動きます。

ゲストの作家さんと目のまえで対談をしてくださることもあって勉強になります。
教室生も先生やゲストの作家さんに質問させていただけるのですが、質問が甘いと「作家志望者としてそういう切り口はだめだ」とだめ出しされることもあり身が引き締まります。

作家志望者たるもの、自己紹介でもその場を楽しませるよう「話」を物語れ。
もっとどんどん編集者や出版社に売り込み食いついていけ。
作家は華を持て。

凛として、作家に必要なことを次々に教えてくれる先生。
大事なことはなんども繰り返されます。
なんていうか、本当にありがたい。もったいないくらいです!! 

キビナゴは教室にはいったとき、ものづくりと生き方にちょっと行き詰まっていて、けっこうしんどい時期でした。
そのとき先生から『作家の条件』という本に署名をいただき、署名の横に「ケルンの一石」という言葉を書いてもらいました。なんて意味だろうと思いながらもその場ではきけず、家に帰って意味を調べて感動しました。

ケルンの石というのは登山者があとからくるひとのために、「この道はいっても大丈夫だ」という標として置く石のことなのです。

物書きの道というのは皆が余裕なく右も左もわからず、あちこちにぶつかりながら己の道を探っている世界です(よくそうききます)。
ゆえに、デビューさえしていない者にとっては、その暗い世界は巨大な闇です。心細くて逃げ出したくなります。
そこに先人としてあとに続くものへ「この道はいっても大丈夫だ」とひと言「ケルンの一石」と書く。

一瞬で読んだものの心をつかむ。まさに作家中の作家のなせる業だ、言葉だとキビナゴは思いました。

まさしく「師」は一日にしてならずでしょう。昨日今日デビューしたひとがこういう言葉を書いても、ここまでキビナゴは説得力を感じないと思います。

ああ。キビナゴにも誰かに書けるときがくるのかな――「ケルンの一石」……。

先生は今日も原稿用紙に作品という形でケルンの石を置いていると思うと、続いていくものとして書かねばと思います。悩んでる暇があったら書こうと。

みんな頑張ろう。

以上、キビナゴでした!