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紅葉に魅せられふらふらとそぞろ歩くのが毎年の恒例となっております。

さて今年は、埼玉県新座市にある平林寺。

天皇皇后両陛下が散策なさっているのをニュースで見て、よさげな所だなぁ、と。

しかしながら期待以上でありました。

DSCF2503.JPGのサムネール画像

ねっ。素敵でしょう。

お寺の敷地内はゆっくり歩いて二時間ほど。

武蔵野平野の雑木林が残されているそうです。

まさしく紅葉散歩にもってこい。

 

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お天気がよかったので、三脚持ったお父さんがたもたくさん。

 

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やはりお日さまと木は相性がよい。

 

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私も後光を戴いてみました(笑)

 

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のらニャンコ。お前もいい色だね。

 

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猫目線で見るとこんな感じでしょうか。

 

空気もいい香りで、自然と呼吸も深くなる。

うん、今日はいい日だった。

夏だ。

当たり前だが暑い。

ああ、暑い……。でも、これが好き。

真昼間からビール片手にアンビ聴きながらほけ~っとしていたい。

 

ダメだって。小説書かねば。

しかし、頭をよぎるのは享楽的なことばかり。

東南アジアのどうしようもないお父さんたちみたいに、木陰で酔っ払っていたい。

だから、ダメだって……。

 

閑話休題。

 

俳優でありマジシャンでありコメディアンであるマメ山田さんから、

「靖国神社の『みたままつり』でかかる見世物小屋に出ます」と、ご連絡をいただいた。

見世物小屋!

なんて、怪しく妖しい響き。

行かずにいられいでか!

 

ということで、昨日行って来ました。

 

夜店でビールと焼きそばと広島焼きをチャージし、神社にお参りもすませ、いざ!

初、見世物小屋。

呼び込みの声を聞きつけて近寄ってみれば、えっ並んでる!

並んでいなくとも、小屋の外観を写メろうとする人々でごったがえしていた。

みんな、若者。このうさんくささが、かえって新しいらしい。

 

順番が来て、すし詰め状態の小屋に入る。中もやはり、若者だらけ。

人々の熱気と体臭が充満する中、ヘビ女小雪大夫が登場。

シマヘビを、生きたまま食らうという悪食披露である。

「今年は蛇が高くて一匹五千円もするんです。だから一匹を何回かに分けて食べていますが、この回に当たったお客さんはラッキー。頭つきの蛇の番ですよ~」と、口上人。

おお。それはラッキーだ。どうせならピチピチな蛇が見たい。

美人の小雪大夫がこれから食うシマヘビを持って、本物である証拠に触らせてくれる。ナデナデ。

たしかに、生きている。可愛い蛇だ。

その蛇を口にくわえて……いった!

ひゃ~。ブチッて音がしたよ。内臓がびろろ~んって出てるよ。わぁ~生血一気飲み!

同行した子は食ったばかりの焼きそばをリバースしそうになったらしい。

私は、寄生虫は大丈夫なんだろうかという心配をしておった。

魚すら、生に丸ごとかぶりつくのは嫌だもんなぁ。

「見逃した方も大丈夫。このお姉さん、二十分に一回蛇食いますからね」

食いすぎですよ……。

 

続いて、シベリアの奥地から捕獲されてきたという原人。

体に黒いペンキを塗りたくり、襤褸を張り付けた三人の男女が出てくる。

その人たちがドライアイスを食べ、「強」で回る扇風機を舌で止め……。

って、電撃ネットワークか~い!

 

次は、中国の奥地の少数民族。

体を薄汚く汚してあり、民族衣装っぽいものを着ている。

そのうち一人の女性が、火の神様を呼んで火を食らうという。

トランス状態に入って暴れる女性。なんかもう、乳とかパンツとか見えまくり。

ろうそくの火を口に入れては出し、を本数を増やしながら繰り返し、最後に火を吹いて終わり。

 

はい、お次。

病院から連れ出してきたという「猫インフルエンザ」患者。

体中に、汚い色のペンキをまだらにぶちまけてある。

なんでみんな、基本的に汚れてるの……。

病に苦しみながら彼は一本の鎖を取り出し。

鼻に入れて、口から出す。

なんかもう、猫インフルエンザ全然関係ないじゃん……。

 

最後はマメ山田さんのマジックショー。

さすがにエンターティナーとして年期が入っておられるので、安心して楽しめた。

その小さな手のどこにネタを隠すのか、さっぱり分からない。

見世物小屋はぐるぐる回し。観たところから観たところまで。

再び小雪大夫が出てきたので一巡したようだ。我々は退散。

 

「なんか、いろんな意味ですごかったね」

と、友人と肩を並べて歩く。

「うん。昔の子供は、本当に原人とか少数民族とか信じて観てたのかな」

「さすがにあれじゃ、だませないんじゃない?」

「だよね」

顔を見合わせて笑った。

「でも、面白かったね」

 

小屋の中も、異様な盛り上がりだった。

クオリティーの高いショービズに慣れているはずの今時の若者たちが、手を叩いて喜んでいたのだ。

祭りの夜の暗がりには、魔物が潜んでいる。

みんなその瘴気に当てられていたのだろうか。

もしかするとあの小屋自体が、魔物の胎内だったのかもしれない。

 

隣に、お化け屋敷もあった。

「懐かしいね」

チープなつくりなのに、子供の頃は父と母に手を繋いでもらわなければ一歩も前に進めなかった。

「ここも、入ろっか」

 

魔物たちが今もまだひっそりと息をひそめている、夏の夜。

 

 

 

 

 

 

七夕でした。

ネギ塩ダレ肉野菜蒸し(こないだ「キッチンでショウ」でやっていた)を作ろうとスーパーへ買い物に行くと、お決まりのプラッチックの笹があったので、ついお願いごとを書いてしまいました。

まぁ今の時期の私のお願いごとといえばアレしかないでしょう。

「本が売れますように」

おねげぇします、お星さま。

 

そういうところに飾ってある笹飾りの、他人のお願いごとを読むのが好きです。

神社の絵馬なんかもつい読んでしまう。

だって面白いんだもの。とくに子供のお願いごと。

昔、近所の保育園に飾ってあった笹飾りの短冊に、

「おもちがお腹いっぱい食べられますように ひろゆき」

というのがあって、めちゃめちゃ可愛かった。

 

さてさて、今日の短冊にはどんなものが書いてあるかな。

最近の子供といっても、「ゲームがほしい」みたいな現金なのは案外ないんだな。

ああ、それはクリスマスにお願いすることだからか。

「おじいちゃんの手術がうまくいきますように」

泣かせるじゃないか、みずほちゃん。

「ずっと達者でポックリと。家族全員健康に」

どこのじいちゃんだ。たしかに元気に長生きしてある日いきなりポクッて逝くのが理想の死に方かもしらんが、家族の健康を祈るなら「ポックリ」まで書かなくっていいって。

「しゅんくんとずーっと一緒にいられますように(ハート)」

若い女の子が書いたのかと思ったら違った。名前のところに、「ママ」って書いてある……子離れしなさい!

「うでがまっすぐになりますように」

りょうたくーん! アナタの腕にいったい何があったの!!! まっすぐになるといいね!

 

ほのぼのしたの、荒唐無稽なの、ちょっと引いちゃうようなの。

たくさんのお願いごとを抱えて、今年もプラッチックの笹は重く垂れさがる。

 

紫陽花

紫陽花は不実な花だから嫌いだと、誰かが言った。
ころころと色の変わる、移り気な花だと。
じっと雨に打たれて色を深くしてゆくこの花が、私は結構好きだ。

水滴の似合う花はだんぜん、青がいい。
青の紫陽花が濡れて色の薄いところは透けるように淡く、濃いところは匂い立つように艶めかしい。
しとしと静かに降る雨に、映える花。

同じ時期に咲くてっせんも然り。
そしてこの花の呼び名は「クレマチス」よりもだんぜん「てっせん」である。
蔓が硬くて切れないから、「鉄線」。
強く美しい花。

朝露を戴くあさがおも、やはり青がいい。
誰もが子供の頃に育てた花。観察日記をつけさせられた。
だらだら昼まで寝ているともう窄んでいる。
開いたばかりの露の浮いた花が、一番美しい。
なかなか子供泣かせな花。

関東地方はいよいよ本格的に、梅雨入り。
関西の梅雨はけっこう派手にじゃばじゃば降るけど、関東のは霧雨が音もなく降る。
噂には聞いていたけど本当なんだ、上京一年目にびっくりした。

霧雨は傘を差しても下から舞い込んでくるから鬱陶しいけど、窓を開けて何もせずにただ眺めている分には美しい。
私のアパートには物干しスペースになっているごくごく小さい庭があって、そこに紫陽花でも植えればたいそう風情のある雨見ができそうである。
ただ惜しむらくは、すぐ前が歯医者の前面ガラス張りの待合室になっていること。
窓を開けると患者たちの注目を一気に浴びる。
風流を妨げる日本の住宅事情の悲しさよ。

風薫る五月、という表現が好きだ。
実際この季節に吹くゆるりとした風には若葉の瑞々しさと柑橘系の爽やかさがあるような気がする。
一年で一番、好きな月。

しかも今日は端午の節句、子供の日。
芽吹いたばかりの柔らかな新芽色の似合う日である。

年中行事の好きな私、さっそくかしわ餅と菖蒲の葉を買って来た。
一人暮らしではあっても毎年この日には菖蒲湯に入るし、冬至にはゆず湯を楽しむ。
人間は、特に四季のはっきりした日本に住む我々は、こうして季節を肌で感じて遊ばねばならんと思う。
先人達がその機会をことにふれ作ってくれてあるのだから。

東京に出てきてから友達になった年下の男の子と話していて、彼が菖蒲湯の風習を知らなかったことにびっくりしたことがある。
彼の家ではそんなことやったためしがないと言う。
東京ではあまりポピュラーじゃないものなのかとすら思ってしまった。節分の恵方巻きみたいに(最近では関東でも食べられるようになりましたがね)。

しかしその男の子の方でも「坂井さんって意外と古臭いこと好きなんですね」などとびっくりしておった。失礼な。
このストレス社会、たまには肩の力を抜いてほっと一息つこうと色んなリラックス方法がブームになっているじゃないの。
お風呂に香りのいいアロマオイルを垂らすのと菖蒲湯と、どう違うというの。
とっくの昔に日本人はこういうアロマテラピーをしていたのだ。どうだ、まいったか。

湯の蒸気とともに立ち昇る菖蒲の香気。
緑の匂いが鼻にすっとぬける清々しさ。
お湯の中ですっかり脱力しきって、鼻いっぱい胸いっぱいにその香りを吸い込むと、気持ちは鎮まりつつ頭はとってもクリアになる。
「病気をしない強い子になるから」と言って菖蒲の葉を頭に鉢巻してくれた母の手にもこの香りが移っていた。
今は亡き母、その思い出は今も薫り高く匂っている。

ああそうか、だから私は年中行事が好きなのかもしれない。
毎年毎年繰り返される習わしを、母はずいぶんマメに遂行していたものだ。
私が15の時母が逝ったが、たとえば15回分の端午の節句、その思い出が菖蒲湯に入ると葉のかぐわしさと共に鼻の奥をつんと刺激するのだ。
ほろりと懐かしい気持ち。
「花橘の香を嗅げば 昔の人の袖の香ぞする」と詠んだ人もあったが、香りは、五感は、美しい思い出を本当によく覚えている。
年中行事は、母と子の記憶だ。

その記憶のない子供は、少し寂しい。
別にしなくても困らない些細なこと、だけども人生はそういう些細なことどものおかげで、美しく豊かになる。
忙しさにかまけてないでたまにはふと、立ち止まってみるといい。
なんて言っても、浴槽に菖蒲の葉っぱを放り込むだけでいいのだからね。

さつきまつ 花橘の香をかげば むかしの人の袖の香ぞする
                 よみびとしらず
   古今和歌集夏の歌より

坂井希久子

2008年オール讀物新人賞受賞。小説家の端くれのそのまた端くれ。
翼広げて大空にはばたくぞ! と言いつつ、まだたまごには「ひび」くらいしか入っておりません。
それでも、小説が好き。あと、着物も好き。
どちらも奥が深いことでございます。
死ぬまでには、真髄にちょこっとばかし触れたいな。

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