1月も半ば、東京も冷え込みがいちだんと厳しくなりました。
自宅が仕事場のわたしは、必然的におウチ引きこもり度が高いのですが、寒さが家内生活に拍車をかけます。

気温の低さとは裏腹に、午前11時過ぎの太陽の光はたいそう明るく、キラキラと部屋の奥まで差し込んできました。
と、もう何年も(!!!)目をつぶりながらも気になって気になって気になってしようがなかったことが、ぶぉぉぉーんと立ち上がってきたのでした。

ダイニングテーブルの天板の傷み──。
表面のワックスはもちろん、塗料まで剥げてしまい、何ともわびしい感じになっておるのですよ。
こんなになるまで放っておいてごめんね、と優しくなでなでし、よぉし!と手袋を二重にはめ、用具箱の底からアンティークファニチャー用ワックスを取り出しました(写真)。数年ぶりのことで、まあ缶のふたがガッツリひっついて開かないこと開かないこと! 冷凍用包丁を溝に差し込みやっとのことで開けたのでした。ワックスは変質もなく柔らかく、使用可能でよかったよかった。

このダイニングテーブルは、いまから21年前に購入しました。
それよりずっと以前から、わたしは古道具、アンティーク家具といったものが好きで、というより体の芯がうずくほど大好きでたまりませんでした。ちょっとビョーキ的に。ホント、胸がきゅんとしてしまうんですね、古いものに触れると。
あのころは、ライターだけでは稼げないので、下北沢の古道具屋で嬉々としてアルバイトをしていました。オーナーのイギリスへのアンティーク雑貨の買い付けにもくっついて行ったほどの熱の入れようでした。

当時はアパート暮らしでしたが、和室を二部屋ぶち抜いた中央に丸いちゃぶ台をおいていました。壁際には籐のベンチと楕円のティーテーブルを置いて、そこは幼い息子の読書やお絵かきの場所でした。すべて古道具です。

少しずつお金を貯めて、念願だったダイニングテーブルを買ったのが21年前です。
1930年代のイギリスのドローリーフテーブル。ドローリーフとは言葉どおり、「端を引っ張り出して」サイズを伸ばせる、とても使い勝手のいいものなのです。
普段は写真のサイズ(90×90cm)で使っていますが、友人が大勢でご飯を食べに来てくれるときには、両サイドを伸ばします。そうしますと長さ150cmの長方形に変身します。ウチに遊びに来たことのある人はごぞんじですね。

イギリス家具らしい質実剛健さで、購入してから21年、創られてから80年たった今でもびくともしません。わたしの子どもはもちろん孫まで軽く使えそうです(孫っていまは想像もできないけれど)。
当時は、まだTVで骨董番組が放送される前だったので、こんな立派な家具が9万円ほどで買えました。いまはもっと高くなってしまたんだろうなあ。

あら、思い出話が長くなってしまいました。まるでバアさまみたいですねえ。てへ。
そう、やおらアンティークファニチャー用ワックスを取り出したところから話は始まるのでした。
きれいに水拭きと乾拭きをしたあと、木綿の布裂に茶色いワックスを取り天板全体に薄く塗り込んでいきました(冒頭の写真)。ちなみに、塗る前のひどい状態の写真はありません。やりだしてから、そうだ写真に撮っておこう、と思いつくものですから。はあ。

ひととおり塗り込んだら、今度は、塗装が剥げて生の色が出てしまったところへ重ね塗りをします。
しばらく乾かしてまた全体に塗り重ね、そのあとネルの布で余分のワックスを取りつつ艶を出すように磨きました(下の写真)。

ふっ。

艶は出たね。けれど、塗装が剥げちゃったところは、やっぱりなんとな~く色がのった程度ですね。これはプロのメンテナンスに出さなくちゃ直りませんわ。しかたない。

よくやったよくやった。
じつは、薬の副作用で関節と筋肉がちょいと弱っちまって、腕にきっちり力が入らないのです。
その割にはよくやったぜ、と自分を褒めるわたしであった(笑)。

作家で山村教室の名誉塾長の森村誠一先生は、「文章と女性はメンテナンスが命!」とよくおっしゃいます。
「女性は」は、先生お得意のジョークですが、文章は書けば書くほど、また推敲すればするほどクオリティーが高くなるのは間違いありません。
あ、女性もそうか。ただのジョークではないですね。

日々の暮らしもそのとおりだと思います。
きちんきちんとしておけば、いつも気持ちよくいられる。道具は壊れずに役に立ってくれる。
やってみればたいした労力ではないのに、気忙しさに取り紛れているうちに修復不可能にならないようにしたいものです。
よく仕事をし、人のためにも働き、かつ遊び、それなのにふんわりとした余裕があってきちんとしている人がときどきいます。
そんな人を心底、尊敬します。憧れます。
そんな人になりたいと思います。

そりゃ、アンタには無理だ、という声が聞こえます。はっきり聞こえました!
で、でも、憧れながら、ほんのぽっちりとずつでも努力をしていれば、もしかしたら近づけるかもしれないじゃないですか!
ま、長~くに見守ってやってくださいまし。
ああ、気持ちよかった。ほっ。

新年あけましておめでとうございます。
1月4日。2012年も本格始動です。

といいつつ、暮れからアヤしかったのが、新年早々、本格的な風邪っぴきとなりました。
2012年の目標のひとつに「頑健な体になる」、という項目があるのですが、のっけから崩れました。とほほ。
しかも! 1月1日、最終候補に残っていた地方文学賞の落選が発表されるという、まことに打たれ強さに磨きをかける年頭となりました。

ま、先は長い。おまけに今年は閏年です。あと362日あるから焦らず目標を達成していきましょう。

目標といえば、ライター仕事とは別に創作としての物を書き始めたころから、座右の銘としているのが、タイトルの「夢見つつ深く植えよ」です。

身近な友人にはこれまでも話していますし、エッセーの仕事でも書いたことがあるので、またかと思われる方もいらっしゃるやもしれません。まあ許されよ。

『夢見つつ深く植えよ』は、ベルギー出身でアメリカに亡命した、孤高の女性作家メイ・サートンの著作です。
メイ・サートンは、作家といっても小説よりも、詩、日記、回想録などの作品の多い、広く著述業といったほうがいい人物かもしれません。

では、わたしはその作品に心酔しているかといえば、そうでもありません。あらら。
『夢見つつ──』も、身辺日記のうちの一作で、46歳にして初めて自分の家をもち、孤軍奮闘しながらも庭仕事に楽しみを見いだしていく、というものです。
作品にとても心打たれたというのではなく、メタファーとしてこの言葉がすばらしく自分の気持ちにぴったりとしたのです。
言ってみれば、タイトルだけで強い影響を受けたという、それはそれですごい本だと思います。

たとえ雪に埋もれた季節でも、花が咲き誇る庭を夢見る。
美しく花を咲かせるためには、深く種や球根を植えなければならない。

どんな分野であれ、人が何かを成し遂げようとするときには、カチリと心に嵌まる言葉ではないかと思います。わたしにはそうでした。いまもそうです。
そして、その精神のみならず、字づらも響きもとても美しい。

1960年代に同性愛者であることを著作のなかで明かしたメイ・サートンは、勤めていた大学も追われました。平坦な人生ではありません。たいそう厳しい道を自ら選んだとも言えます。

さあわたしも「夢見つつ深く植えよ」の心意気で、飽かず、くさらず、美しい花が咲くことを夢見て書いていきましょう!
時折ヘタレることもありますが、それも丸ごとわたしです。
年末の記事でおっぱいのことなど明かしたら、なんだかいろいろ書くのが楽になりました(笑)。

2012年も瀬生の「そのこのなんのその」をよろしゅうお願い申し上げます。

追記
メイ・サートンの著作はみすず書房からたくさん出版されています。ちなみにわたしが一番良かったな、と思う作品は『独り居の日記』。書名どおりの内容です。

おまけ
夢見つつ深く植えて花開く水仙。地味だけど好きな花です。

激動の、という枕詞をつけられて2011年の日本は語られています。
わたしにとって、これほど「命」というものを深く、また身をもって考えた年はありませんでした。

3月11日に起きた、東日本大震災。
マグニチュード9.0という巨大地震とそれによって引き起こされた想像を絶する大津波、そして福島第一原発の甚大な事故。

くりかえし画面に映し出される津波の映像を目にし、みぞおちのあたりに大きな石をねじ込まれるような重苦しい痛みが居つき、夜中に叫び声をあげて目が覚めるということが続きました。
これは、いまはじめて書きました。口にしたこともありません。
精神の脆弱さをみずから露呈するようなもので、ちょっと格好悪いと思ったものですから。
でも、軟弱なのは事実なんだからしようがない。
これからは格好が悪いからとか、情けないからと隠すことはやめようと思います、できるだけ。

そう、人の命は何の前触れもなく突然奪われるものなのだ、と思い知りました。
さっきまで、家族と食事をしていたお年寄りが、いつも通りの仕事に励んでいた人が、午後のお遊びの時間になって園庭を駆けまわっていた幼い子どもたちまでも容赦なく。

以前も書きましたが、震災以降、自分にできることはわずかな寄付と節電と、毎日をきちんと生きること、という実にささやかな誓いを立てて暮らしていました。

ライター仕事と小説の習作、ちょっと手抜きの家事(きちんとしてないじゃないか……)。
ところが、どうも体調が思わしくない。きっと震災が微妙に影響しているのだろう。
夜よく眠れなくて疲れがたまっているし。
しかし、こんなことでは被災者の方々に申し訳ない。
しっかりせよ、ガンバレわたし、と叱咤しつつもぐんにゃりしているところへ、区の婦人科検診の案内が届きました。

健康医療系のライターをしていて、つい去年も「検診のすすめ」という記事を書いたばかり。なのに、自分はもう数年検診に行ってませ~んという不良ライターでした。
しかし、きちんと生きると誓いを立てたのだから、これは受けようじゃないか。体調だってよろしくないわけだし。
それになんといっても、今年偶数年齢の人はマンモグラフィー検査無料という特典付きではないか。

まあ、「無料」に引かれた感は否めませんが、ともかく6月24日、区の保健センターへ検査を受けに行ってまいりました。
「結果は3週間から1ヵ月後にかかりつけの先生の方からお出しします」

ところが10日後の7月4日、外出先から帰宅すると、かかりつけのクリニックからじゃんじゃん留守電が入っているではありませんか。
「できるだけ早くご来院ください」

7月11日から、かりつけ医に紹介された大病院にて、精密検査を開始。
当初、左右の乳房に異常がみられるとのことで、真っ平らになった胸を想像して気が遠くなりました。
超音波、MRI、細胞診、太針生検、マンモトーム生検などを行い、最終的な診断を待ちます。ちなみにこの時点で両乳房は穴だらけです。

7月29日。左は良性の石灰化だが、右は残念ながら浸潤性のがんであると告知されました。
念入りな検査を受けている間に、ほとんど覚悟はできていましたので、がん告知はすんなり受け入れることができました。
念のため、乳がん病理専門病院にセカンドオピニオンを求めましたが、主治医の名を言っただけで、「M先生の診断なら間違いない」と即答されました。どうやら知らないうちにいい医師に当たっていた(!)ようです。

そして、8月7日入院、9日手術、13日退院と、タタタッと事が運びました。
(余談ながら、退院してわずか1週間目の20日には、小説の合宿に参加したので、タタタタッです)

9~10月にかけて全25回の放射線治療も終え、現在は薬物療法(抗ホルモン療法)に入っています。
毎日1錠の服用で、あと5年間つづけます。気長に構えましょう。
全身の関節痛、倦怠感などの副作用はなかなか手強いものがありますが、効いている証拠だと思えばありがたいものです。

震災と自らの乳がん罹患によって、「命には限りがあるのだ」という当たり前のことが、くっきりとわたしの中に刻まれました。

人間は生きているだけで美しいという言葉を、どこか斜に構えて聞いていた過去の自分を恥じています。

こうして、2011年はわたしにとっては、命という根源的なものをもう一度よく考える年となったのです。
大上段に「命」をテーマにするというのではないかもしれませんが、今後ものを書くうえでは何かしら反映されていく気がします。そうでなくては……。

あ、ひとこと。わたしのがんは、ステージⅠ。リンパ節転移もなく、煩悩の数だけ生きるという目標も達成できそうです。けっこうしぶとい質です。それから、手術は乳房温存手術で、ひとまわり小さくなったおっぱいが健気に残っております。

さて、震災がなければ、果たして検診に行ったでしょうか。分かりません。何がどうつながるか計り知れません。とても不思議な心持ちがします。

多くの御霊に哀悼の念と深く大きなものを教えてくれたことに感謝しつつ、2011年のブログ納めといたします。

今年も1年どうもありがとうございました。
来年が、みなさまにとって、楽しいこと嬉しいことほっとすることがたくさんある佳き年となりますよう、お祈り申し上げます!

師走も半ばになりました。
わが山村正夫記念小説講座では、年末恒例のゲスト講評の12月です。

10日(土)は、小池真理子先生にお越しいただきました。
わざわざ説明するまでもない、現代日本を代表する女流作家です。
年末のスケジュールというのは、まことに意地悪なもので、この日わたしはどーしても外せない打ち合わせがあり、たっぷり1時間遅れて教室に到着しました。

しんと静まり返った廊下を教室へと向かっていると、うしろからコツコツと足音がします。
わ~い、遅刻の人がほかにもいた! と振り返ってみるとベージュのコートを羽織った、長身で顔の小さなカッコいい女性が近づいてきます。
あ、あれは!
教室OGで、こちらも現代日本を代表する女流作家・篠田節子先生でした。
「あらぁ、今日は篠田先生も講義されるんですか?」
ドアの前で、まぬけ声で訊くわたし。
「いやいや。今日はただの野次馬」
と笑っておっしゃいました。
そこへ居合わせたトイレ帰り(!)の男子受講生がドアボーイよろしく扉を開くと、
「○○さん(←わたしの本名)、先にどうぞ」
と先生がうながしてくださる。
とんでもない! もちろん先生に先に入っていただきました、はい。
ああ、ドキドキした。

教室に入ると、前半の受講生作品の講評はすでに終わっていましたが、後半の小池真理子先生の小説観、創作法などの講義には間に合いました。
『恋』『欲望』など、胸が苦しくなるほどの男女の心情を描く先生は、どんな小説観をお持ちなのだろう、と期待が膨らみます。

なぜ小説を書くようになったのか、というシンプルな問いに、小池先生はこうお答えになりました。

「幼少期、たいへん病弱だった。そのせいか、‘世界’となじむことができない。自分と世界との間にある溝を埋められるのは書くことしかなかった」

きっと物を書こうとする人なら少なからずあると思います。自分と外の世界は、どうしてすんなりなじんでくれないんだろうか、というもどかしさ。

また、虚無感を書きたかった、ともおっしゃいました。
すると、篠田先生からぱっと手が上がりました。
「小池さんの虚無を描いたものというと、ほらあれ、タイトルが出てこないんだけど……」と、ちょっとのあいだ、タイトルなんだったっけ、と当の作者の小池先生も一緒に思い出そうとしていました(笑)。
無事『襞のまどろみ』とタイトルも思い出し、篠田先生はあらためて、「あの作品は虚無という抽象的な概念を具体にした作品です!」と絶賛されました。
おお、読んでいない。読まなければ。ものすごく読んでみたい!

そのほか、取材、メモから作品へと膨らませるには、プロットや登場人物の履歴の作り方など、小池先生、篠田先生、お二人の方法を知ることができました。
う~ん、まさに年末の福袋です。

小池先生のお話で、印象的だったのは、「作家の中にある『強いもの』を出していかなくてはいけない」という言葉です。「強いもの」とは、抽象的な表現ではありますが、うん、わかります!  

また、これから作家になる人は自分の核になるテーマを探す作業を忘れないでほしい。現在あるものを疑ってかかる、これが作家の資質である、とも。

それにしても、聞きしに勝る美しい方でした!
そこいらの「びまじょ」なんて言っている人たちなんぞかすみます。
しかも、性格はチャーミング! 惚れちゃいそう。
もともとの美しさが、知性と信念で磨かれるとああいうふうになるんだろうな、と思ったりした、赤い月の夜でした。*

*この日は皆既月食。二次会のイタリアンレストランのベランダから見上げると、細い長方形に切り取られた夜空に幻想的な赤い月が浮かんでいました。いろんな意味で贅沢な夜でしたわ!

12月に突入しました。
やり残したことどっさり、やらなきゃいけないことは前から迫ってくる、どーしましょ。と、あたふたしてしまいます。なんだって毎年同じことを繰り返すのか……。

ささ、気を取りなおして。
わたくし先日、誕生日を迎えました。11月23日、古くは新嘗祭、現在では勤労感謝の日。恵みに感謝するという、なかなか佳き日であります。

しかし、小説家を志して10年ちょっと。この間、誕生日を祝ったことはありません。
というのは、山村正夫記念小説講座の第4期テキスト用原稿の締め切りが、11月の第4金曜日と定められているからです。11月23日は例年、ほかのことは打っちゃって原稿の追い込みにかかっており、誕生日がどうのこうのなんて余裕はない!
ま、原稿を提出してから、「あ、また一つ年をとってた」と気づき、やおら一人でワインなどを開けたりしていたわけですが。

今年も相も変わらずの状態でしたが、誕生日から1週間たった11月30日、わたし宛に小さな包みが届きました。送り主は、同居青年。またの呼び名は息子です。
箱を開けてみると、中から出てきたのはオペラグラスでした。
ドイツの精密光学機器の老舗、エッシェンバッハの新モデル『カルメン』です。
「ああ、ほんとうに買ってくれたんだ」
と、まぶたがじんわり。って、ウソです。ホントは「やったぁ! これでオペラを3倍楽しめる!」と小躍りする調子のいい母でござんす。

この伏線は、11月13日にありました。
息子もわたしも大好きなピアニスト、エフゲニー・キーシンの演奏会に二人で出かけました。
「天才」という冠をつけられることの多いこのピアニストのチケットを取るのは、なかなか大変で、発売当日の午前中に確保した席は、S席だというのにかなり後方でした。
まあ、ぜいたくを言ってはきりがありません。チケットをとれただけ幸運です。
キーシンの演奏は、彼の指が鍵盤をたたいて音をだしているのではなく、まるでその指そのものから音が生まれてくるといったらよいのか、ほかに聴いたことのないような音でした。次元が違うというか……。
ただ、席が後方なので、指の動きが見えないのが惜しまれます。

そんなわけで、帰りがけに「オペラグラスを持っていたらよかった」と、わたしはつぶやいたのでした。

じつは、ずいぶん前から騒いでいたんです。
「こんど原稿料が入ったら、エッシェンバッハの『椿姫』なるネーミングの赤いオペラグラスを買うんだ!」と。
はい、オペラ大好きなんです。でもチケットがお高いので、あまり行けません。いえ、ほとんど行けません。
オペラ鑑賞は、歌い手の表情なども見どころ(?)なので、オペラグラスはぜひとも欲しいところです。
大型文具店「伊東屋」で、『椿姫』を見つけたのは3年ほど前だったでしょうか。
この春、満を持して購入せんとしたオペラグラス『椿姫』は、なんと製造販売が終了していました。ガ~ン。
赤、というよりも「紅色」という感じのそのオペラグラスに魅了されていたわたしは、すっかり気落ちし、もういいや、と思っていました。

そこへ、キーシンの演奏会でした。
「オペラグラスを持っていたらよかった」とつぶやいたわたしに、「じゃ、もうすぐ誕生日だから買ってやるよ」と、息子が想定外の言葉を発したのでした。
「はいはい、期待してます!」といいつつ、ぜんぜん本気にしていないわたくしでございました。すまん、息子よ。

いやじっさい、誕生日も、それから何日かたっても、「プレゼント」の気配はありません。
が、絶妙なフェイントをかけて、11月30日に届いたというわけです。

『椿姫』とはまた違う、朱色がかった赤い『カルメン』がわたしの大切な宝物になりました。
やっほい!
もう何カ月も前にチケットを確保したウクライナのオデッサ歌劇場の『トゥーランドット』は、年が明けて1月の公演です。
トゥーランドットの舞台を『カルメン』をお供に観る。なんて素敵なんだ!

10のうち、9個がしんどいことであっても、たった1個のうれしいことでおつりがくる。いま、そんな気分になってます。
うーん、がんばっちゃうからね! 来年はデビューできそうな気分になってきた!(←あくまで個人の感想です・笑)

1が6つ並んだ記念すべきこの日は、東日本大震災から8か月となりました。
寒さが厳しくなる折、被災された方々へ思いをいたします。

さて、今日は山村教室の同志で仲のよい友人でもある作家、坂井希久子さんの新刊が発売された日でもあります。
『羊くんと踊れば』坂井希久子著/文藝春秋

すごく素敵な装丁です。どんな物語だろうってワクワクしますよね。
どんなお話か、というと……。
いやいや内緒。買って読んでください~!

また、昨日11月10日には、同じく山村教室の仲間でカリスマ美熟女優・川奈まり子さんの長編『義母の艶香』双葉文庫が発売されました。
こちらは画像がなくてすみません。配送待ちしていて現物がまだ手元にないんです。

お仲間のみなさん大活躍です。
わたし?
う~ん。
これから期待してくださいっ! と申し上げておきましょう(笑)

そういえば(白々しい…)、ずいぶん久々の更新です。
「人の褌で相撲を取る」ならぬ、友の新刊でブログを書いてしまいました。
え~い、こうなったら今年発売されたお仲間の本を並べて紹介してしまおう。

坂井希久子さんの『羊くんと踊れば』をエスコートするのは、左が中村柊斗さんの『奇蹟の如く』廣済堂出版、右が七尾与史さんの『ドS刑事』幻冬舎。
いずれ劣らぬエンターテイメント! そして、どれもインパクトのある装丁ですなあ!

お~! わたしにもスイッチ入りました!
11 11 11の今宵、夜空に向かって叫ぼう。
がんばるぅぅぅ!

9月24日
プロ作家養成講座・山村教室では、前回に引き続き現役作家のゲスト講評でした。

今回は、山村教室名誉塾長で日本のミステリー界の巨匠、森村誠一先生!
受講生の提出作品より、7作のご講評をいただきました。
大変お忙しい先生なのに、ほんっとにていねいに我々の作品を読んでくださって、「もったいのうございます」と、思わずこうべを垂れたくなるのです。

たとえば、「面白いけれど、爆発的に迫ってくるものがないのはなぜか。それは、テーマが見えてこないからだ」
であるとか、
「引き締まった短編ではあるが、出し惜しみしている感じがするのはなぜか。それは、描写が足りないせいだ」

と、それぞれの作品に対して、非常に明快かつ具体的でツボをキュッと衝かれるような指摘が満載でした。

ちなみに、出し惜しみ云々、といわれたのはわたくしの短編です。
まことに……。
スパッと切れ味よい短編にしようとするあまり、描写が足りなかった。というか、改めて読むと情景描写がほとんどありません。あらぁ。
主人公の心理とリンクする情景描写を入れることで、作品世界に深みがでる、ということを教えていただきました。
うぅ、ホントにありがとうございます!

でもでも……、講義中、「じゃあ、このテーマを俳句で表現したらどうなる?」と、いきなり振ってくるのは勘弁してくださいな、先生~。

そうでなくても、緊張しまくっているところへ、そんなこといわれても。もう、しどろもどろになってしまったではありませぬか。

森村先生に触れた人はみな、その大きな愛情というか善意というか、そのようなものに包まれるのを感じると思います。透明であたたかい気が発せられているんです。
う~ん、こればっかりは、その場に居合わせないとわからないかな。どういえばいいのかな。描写力が足りなくてごめんなさい。

さて、この日はまた、一人の書店員さんがシークレットゲストとして来講されました。
これほど本というものを愛し、作家と作品にほれこみ、熱意をもって本を読者に届けようとする人がいるのか! という感動を覚える出会いでした。
ここにその所属とお名前を明かすとお仕事がしづらくなるかもしれないので、言えないのがもどかしい!
とてもピュアな、若い女性でした。とだけ申し上げておきますね。

いま、山村教室には、坂井希久子、七尾与史、中村柊斗という新進の売れている作家が、ふつうにメンバーとして参加しています。
ほかにも、作家デビュー間近の同志もいます。
パワーが満ちています。

わたしも、こんな場にいさせてもらえることに感謝して、みんなに置いていかれぬよう、もっともっと頑張らなくてはいけませんっ! おっし!

ようやく暑さもやわらいだね、と挨拶を交わしたのもつかの間、東京はまた蒸し暑さがぶり返してました。
ま、これもいっときのこと、じきに涼しさが満ちてくることでしょう。
9月10日。
本日の山村教室は、これまでも何度かここにも書いた教室OBの売れっ子作家・上田秀人先生のご講評でした。
上田先生の講評は、「上手くなったなぁ! これはいい!」とか「これは困ったな」というように、へんなオブラートに包まずはっきり言ってくださるのが気持ちいい。
あ、今回はわたしの作品は講評対象ではありませんでした。あしからず(笑)。

そして先生の担当編集者、3社の方々にもお越しいただき、「現場の生の声」を聞くことができました。
3人の編集者の方々のお話は、乱暴にまとめると「読者が面白いと思われるものを書いてなんぼ」というものでした(すみません、ホントに大雑把すぎるね)。
わたしたち山村教室生は、エンターテイメント小説家をめざしているので、まことにそのとおりなのです!!!
そのためにはひとりよがりにならない、というのが最大のポイントです。

いまごろ2次会がお開きになったころでしょう。
ちなみに、山村教室の「2次会」とは、講義を終えたあとの飲み会のことです。
ここでの講師の先生方や受講生同士の話が、ものすごい糧になるのですよ。
これを逃すのは、もったいないのです!
だからお酒を飲めない人もこぞって参加します。
お酒が大好きなわたしはもちろん皆勤でした。

う~ん、でした、の過去形です。
めずらしく体調不良となった本日は、泣く泣く帰宅。
あ~残念。

「きょうはこれで帰ります」
上田先生に告げると、
「顔色悪いもんな。作家は体が資本や。きょうは無理せんとき」
と言われました。

お~、千里眼!
上田先生は歯科医でもあります。
医者&作家の目は鋭い!

はい、久しぶりにこうしてブログを更新して、お風呂入って寝ます。

ありがとうございました!
よく寝て休んで、またガシガシ書きまっせ!!

先週末、伊豆へ行ってきました。

いっときの猛暑も去り、曇り空ではありましたが、ひんやり涼しい空気が気持ちのいい日でした。
まずは、伊豆の地名の由来になったという、伊豆山神社へお参りに。

源頼朝と北条政子の出会いの地という言い伝えもあり、恋愛パワースポットとしても霊験あらたかと聴いています。

写真のように、急な石段が続いていましたが、なんのその。パワースポット、パワースポットと唱えながらララランと登ります。

いっしょに行った仲間6人で、社務所でおみくじを引き、人さまが願をかけた絵馬を冷やかしたりしたのでございます(じつにバチ当たりなことです)。

ふと境内の奥を見やれば、鬱蒼たる大木の茂る向こうに、さらに奥の院へと続く山道が。

行ってみますか、とごく気楽に登りはじめましたが、勾配はきつく道幅は狭いうえ、朝まで降っていた雨のために地面はたいそう滑りやすい。

それでも、
「これはけっこうな山だよね」
「うん、足を滑らせたら確実に死ぬな」
などと言いつつ、まだ笑みを浮かべる余裕もあったのです、はじめのうちは。

しかし、6名のうち3名の体育会系がずんずん先を行き、引き離された文科系3人(もちろんわたしはこっちであります)は、ぴたりと口を閉ざし、滴り落ちる汗をぬぐいもせず、薮蚊の来襲に反撃する余力も無く、ただ、とぼとぼと登るのでありました。

文科系3人組は約8合目あたりの祠の前で、休憩をとりましたが、けっきょくこれより上に登ることはあきらめて下山しました。ゼイゼイ。
休憩している間に、どれだけ薮蚊に血を吸われたことか。カユカユ。

頂上まで登った体育会系3人も、下山道はけもの道のようなところに出てしまい、難儀したとのこと。
お疲れさまでござんした。

さてさて、山を降りて初めてこのような立て看板が出ていることに気づきました。

ありゃりゃ。雨上がりに、ワンピース姿にサンダル履きで行っちゃいました。あはは。
笑ってる場合じゃございません。ごめんなさい。
よい子のみなさんはけっしてマネをしないでくださいね。

しかし、体力落ちたなあ。
と、わが身の軟弱さを嘆いたのですが、わたくし重要なことを忘れてました。

これより11日前に手術をして、7日前に退院したばかりだったのでした。
それを考えれば、よく登ったじゃないか。

やっぱり、伊豆山神社はパワースポットなのだ!
と、いたく納得して改めて手を合わせるのでした。

ええ、ホントに東京に帰ってきてからも、調子いいですよ。
ん? 恋愛のご利益ですか? 
まあ、それはこれからのお楽しみでござんすよ!

猛烈に暑かったり、急に涼しくなったり、蝉は鳴かないし、ノルウェーと中国では想像を絶する事件事故が起こりと、2011年の7月はどこかがヘンであります。

わたくしのアタマがぽっかりしちゃって、読み書きがはかどらないのも、きっと地球規模の変動のせいだと思います。

不都合を人のせいにしてはいけない、と子どものころから言い聞かされていますから、ここはでっかく地球のせいにしちゃうのです。ふふっ。

坦々とした日々の連なりのなかに、華を添えるイベントが24日夜にありました。

「江戸の一日体験」

浅草は吾妻橋にたもとに鎮座する、かの金色の○○○が浮かんだビルのワンフロアで、江戸の庶民の1日が再現されました。

主催は、着物や江戸文化の推進に取り組む「江戸笑店」。以前、「浅草で清掃活動」という記事でも紹介しました。

役者さんによる立ち回りつき寸劇に巻き込まれ、お座敷遊びの投扇興を楽しみ、江戸庶民の食事を味わいながら、「意外と知らない庶民の暮らし」がなんとなくわかっていく、という、とてもよくできた作りでした。

監修と進行中の解説は『江戸の用語辞典』の著者、善養寺ススムさん。

わたくしなんぞモノを知らないので、この日初めて「江戸三白」と「煎り酒」なるものを知ったのです。
あ、いま「教養のない女だな」と思った人いるでしょう。いいのだ。いまはもうわかったんだから。

江戸三白(えどさんぱく)とは、白米・豆腐・大根。
江戸の庶民が好んで日常的に食べていたものだそうです。
いずれも、淡白でありながら味わいがあり、江戸っ子の気風に合ったのでしょうか。
もっとも、白米好みのせいで、江戸病=脚気が流行ってしまったわけですが。

淡白な味わいの江戸三白に合うおかずは、塩気の強い「煎り酒」で調味したもの。酒と梅干、昆布などを煮出して濾した煎り酒は、江戸の中期までよく使われていた調味料で、その後しょうゆに取って代わられたそうです。

会場で煎り酒で調味した野菜の和え物をいただきましたが、塩気と旨みがあって、ホントに白いごはんが進むお味でした。
江戸の人は、カラダを使って生活してましたから、こんな塩分がいいのでしょう。万歩計が万歩いったことのないわたくしのような人間は、江戸にはいなかったのだわねぇ。

愉しく遊んでご飯を食べて、アルコール(これは現代のビールでございました)でいい気分になったところに登場したのが、まあ艶やかというかど派手で美しい二人の花魁でした。

そのうちの一人は、わたくしの仲良しで山村教室出身の作家、K・坂井!
華があって美しくて、こういうのがまことに似合うのです、彼女は。 
若旦那をめぐっての鞘当といった寸劇だったのですが、努力でこしらえた「谷間」もあらわな熱演でした(笑)。

ほんのいっときのタイムスリップでしたが、たいそう愉快な夜でありんした。

↓肖像権の問題など鑑みこのショットでガマンされたし。というより、とても美しいと思います、このお背中。

↓投扇興

アーカイブ