
きょうの夕焼け。
橙色です。
やっぱり夕焼けは橙色がいい。
きれいだなあ。
しんどいこともたくさんあるけど、
がんばろ。

きょうの夕焼け。
橙色です。
やっぱり夕焼けは橙色がいい。
きれいだなあ。
しんどいこともたくさんあるけど、
がんばろ。

お暑うございます。
今年の夏はまったく......、という声はもう聞き飽きましたわねぇ。
でも、暑いよぉ!
仕事の原稿ははかどらず山積。小説はぱったり止まり地団太踏みつづけ、地面が抉れそうになっております。はぁ。
ああ、もうどうにもならん! というときは、空を見あげます。
真っ青な空に白い雲、というのはすがすがしい。元気になります。
が、日中はパソコンに向かっていて、ふと見上げれば夕焼け空、ということが多いんですね。
ウチは南西角部屋で、夏の暑さはハンパない、冬の季節風はもろに吹きつけるというかわいそーな住環境なのであります。
が、いいこともあって、ベランダから夕焼けが見わたせるのです。
もう数年間、定点観測的にキッチン脇のベランダから、写真を撮ってはひとり悦に入っております。
手前の家並みとアンテナ、電線が黒いシルエットになって、それらしくキマリます(笑)。
なんですかねえ、今夏の夕焼けは、紅色のことが多い。
7月2日の夏至の夕方も、空は紅色に染まっていましたっけ。
湿度が関係しているのでしょうか(詳しい方、教えて)。ホントこの夏は湿度が高いもんね。
秋が近づけば、だいだい色のノスタルジックな夕焼けが見られるかな?
わたしは、だいだい色の夕焼けには郷愁を誘われ、紅色の夕焼けには、「熱き血潮」を感じるんだな。
熱き血潮はいいが、ともすればどろどろの血潮になりそうな猛暑。
摂生につとめましょう。
といいながら、夏風邪をひいちまったわたし。
早く治らないと、いろんな締め切りに間に合わん。ひぇ~!
みなさまも、どうかご自愛くださいね。
追記
風邪で仕事ができず、所在なく記事を見直していたら、ビックラこいた!
6行目「真っ青な空に青い雲」と書いていたから。
ああ、もちろん「白い雲」ですわ。
直しました(汗)。8月12日記

7月7日、七夕の夜です。
梅雨のさなかのこと、午後から降りだし今夜も天の川は見えません。
見えないけれど、織姫と牽牛は1年ぶりの逢瀬を果たしていることでしょう。
そうじゃなきゃ、かわいそうじゃない!
激してどーする。
夕刻、雨の止み間がありました。
ふらっと近所へお散歩。
あいかわらずの家内制手工業で、外出も半径500メートル以内です。
いや、300メートル以内かな。ははは。
表通り(といっても住宅街の中)に面したお宅の玄関先に、大きな笹飾りがありました。
そういえば、半月ほど前に通りがかったときにも見かけました。
笹の下には記帳台(?)があり、短冊とマジックが備えられていて、「ご自由にどうぞ」ということでした。
いいですね。
小さなお子さんがいる家庭でもなければ、笹飾りをすることも少なくなりましたから。
そのときも、若いカップルが楽しそうに(若干いちゃつきながら......)、願い事を書いていましたっけ。
わたしは、めちゃくちゃシャイなので、そこに参入することはできませんでしたが、きょうは写真だけ撮らせていただきました。
──家族が健康でありますように。
──恋人ができますように。
──世界が平和でありますように。
短冊には、そんな願い事が書かれています。
なかには、「いつもきれいなお花に見とれています」という、このお宅への感謝の言葉もありましたが、大方は「平凡な」言葉が並びます。
願い事は欲を言えばキリがない。
平凡な、あたりまえな、ふつうの願いが、いちばん叶えたいことであり、人生でムツカシイことなのかのしれません、ね。
わたくしめは、ざっと108ほどの欲望、もとい、願い事を却下し、「みんなが幸せでありますように」と心のなかで唱えたのでした。
さてさて、小説家をめざすという願いは、「ふつう」の範疇からははみ出すのだろうか。
願いじゃなくて、目標だな。
きょうは半日、一足先に目標に達した山村教室のお仲間のデビュー作を読みました。
一気に読了。
『死亡フラグが立ちました!』七尾 与史(宝島社文庫)
面白かった!
どう面白かったかって
?
ミステリーだから、細かく言ってはいけませんよね。
まあ、つまり、わたしの好きなタイプでした。
小さなパーツが複数ちりばめられていて、ラストで一気に収束される。
それでもって、ユーモアと人情もある(血も飛び散るが)。
感心してばかりじゃいけない。
読者に、「面白かった」と言われる小説をわたくしめも書かなくちゃいかんです。がんばります。
あっ、がんばり抜く力をくださいって、願えばよかった!
6月26日の山村教室。
第1期最終日のこの日は、作家の香納諒一先生がゲスト講師としていらっしゃいました。
長身イケメンのハードボイルド作家は、とてつもない「理知の人」でした。
開口一番「きょうは『原理原則』ついて話をします」とおっしゃった。
また、惜しみない「サービス精神」をお持ちの人でもありました。
「企業秘密なのであまり外には出すとマズイのですが」とおっしゃりながら、ご自身の作品の「構想表」を公開。
こんなに見せていただいてよろしいのですか、と思うくらい、香納先生の思考の流れを開陳していただきました。
さて、原理原則とは、小説を書く際での基礎工事部分についての話です。
具体的にはいえませ~ん。
受講生に向けての講義だったので、軽々にお外に洩らすわけにはいかんとです(なぜ方言?)
キーワードは、構想表・起承転結・ベクトル・視点......。
これじゃわかりませんねえ。あるいは、フツーじゃんと思われるかもしれません。
ところがどっこい、これから小説家になろうという者、すでにデビューしたけれどいまひとつ迷いがあるといった同志たちは、う~むと唸り、そうなんですわと大きく頷いておったのです。
ほんと、なんかわからん文章ですね。ごめんなさい。
知りたい方は、どうぞいますぐ受講手続きをなさってください(にわか世話人)。
印象的だった言葉がてんこ盛りだったですが、ひとつだけ書いちゃおう。
──構想表を作るのは、自分の頭がいかに何も考えていないかを知るため
ね、小説の構想を立てたことのある人ならば、そうそう! と膝を打ちまくるでしょう。
構想を書き出すと、、穴だらけ、つなぎの部分がすこんと抜ける、なぜこういう方向へいってしまうのかいな、はい始めにもどってやり直し。ホント、何も考えてないんだなあ。
脳ミソをカポッと取り出して、ジャブジャブ洗濯して入れ直したくなります。
考え抜くことができず、中途半端な構想で、見切り発車すると、もののみごとに玉砕。嗚呼......。
たいへんクリアな頭脳で、完璧な方法論をお持ちの香納先生ですが、ここに至るまでには、もがき、苦しみ、考え抜き、好きな作家の作品を手本に1ページずつ書いてみる、という日々があったといいます。
だからこそ、より説得力があります。
さてさて。
香納先生はまた、銭湯と居酒屋を愛してやまないとのこと。
ぐっと身近になりました(笑)。
講義後は、教室近くの居酒屋へ移動。
生ビールと日本酒でほぐれたのちに、またまた「ほぉ! そのとおりだなあ」という先生の言葉がありました。
「才能というのは、人を円いものだとすると、ぼこんとヘコんだところにあるものなんですよね」
修身の先生になるならば、どこにもヘコみのないまん円な人がよいかもしれません。
でもね、小説を書こうなんていう人は、いや、人間ってもんは、どこかしらゆがみやヘコみがあるもの。
そのヘコみに自分の才能が潜んでいるんだ、という発想に、わたしは目を開かされ、また励まされた心もちになりました。
神経症で、人づき合いがヘタくそで、ひきこもりがちで、ヘタレで、ときに深酒をする、ボコボコのわたし。
ヘコみはいっぱいあるぞ。
これから、ヘコみを奥深く丹念に探ってみようかと思います。
なにが出てくるでしょうか。楽しみでもあり、怖くもあり......。
前回に続いて、南アフリカ・サッカーW杯のお話です。
先ほど、日本チーム1次リーグ最終戦であるデンマーク戦が終了。
3-1で勝利、決勝トーナメントへの進出を決めました!
カメルーン、オランダと、強豪チームだらけのE組に入った当初は、決勝Tへの進出はムリだろう、と思ってました。
ごめんなさい。
1次リーグ3戦の日本チームの戦いを見て、サッカーはチームスポーツであるのよねぇ、といまさらながら思ったしだい。
アイディア、その理解、実行、そして闘志。
人生にも通じるエッセンスが凝縮されています。
努力し、すべてがかみ合い、遺憾なく発揮されたとき、女神が微笑む。
この試合の後半、VTRで見ると、「ないでしょう!」というペナルティエリアでの長谷部のファールが取られ、相手にPKを決められました。
GK川島はよく弾いたけれど、こぼれ球を押し込まれ失点。むむ......。
しかし、その後、同じく長谷部がディフェンスの流れのなかで、ハンド。けれど、これは取られなかった。
神様はよく見ている? てなことはないか。いや、そういうこともあるような気がする。
さてさて、午前3時に起床したわたくし、試合終了後に洗濯などを終わらせ、いま机の前に座っております。
きょうは、打ち合わせが2本入っていて、忙しい。
資料の最終チェックをするまえに、脳ミソの回路を切り替えるためのインターバルとして、こうしてブログを書いております。てへへ。
朝6時から机に向かう。毎日がこうならねえ。
これをきっかけに、がんばるか。
どこで何をしていようとも、神様はきっと見ているんだもの。
努力した者の背中を押してくれる(そんな考えはファンタジーである、というご意見はひとまず置かせていただきます)。
早起きはいいですねえ。すがすがしい朝であります。
きのう、小説家志望者の日々は粛々と、と言った舌の根も乾かぬうちに......。
サッカー・ワールドカップ日本VSカメルーン戦をしっかり観た。
勝った!
負けつづけていても勝つときは勝つ!
さあ、わたしも新人賞めざしてがんばろう!
以上。
![]()
南アフリカで笛が鳴りブブゼラが唸りをあげようとも、小説家志望者の日々は粛々と進みます。
と、この一文にTV観戦したいよーという欲望がにじんでいますねえ。
いやいや、粛々なのです。
昨日の山村教室では、3ヵ月に1度の自作の講評を受けました。
わずか38枚の短編は、身も心も脳ミソもすっからかん、という状況で書いたもので、そりゃもうお話にならない代物です。
それでも書いて提出しました。
回遊魚と同じで、一度進むことを止めたら、そこでジ・エンドとなる恐怖は大きい。
講師の先生は、すっかりお見通しで、ひとことで言うと「こりゃヒドイ」という講評でしたが、「もうそろそろスランプから抜け出してください」と、励ましの言葉をいただきました。うっ、涙。ありがたき師の愛。
さて、この講義前に受講生仲間のSさんから声をかけられました。
「このあいだ豪徳寺に行ってきましたよ」
東京世田谷にある豪徳寺は、彦根藩主井伊家の菩提寺で、幕末の大老・井伊直弼のお墓もあります。
Sさんは幕末から明治ものを書くので、取材がてら出かけたとのこと。
お知らせくだされば、拙宅でお茶の一つでもお出ししましたのに。
はい、お正月にこのブログでも書きましたが、ウチは豪徳寺の近くにございます。
豪徳寺はまた、「招き猫伝説」でも知られるお寺でもあります。
江戸初期の彦根藩主井伊直孝が、ある日、門前でしきりに招く猫に引き寄せられるよう門内に入り、そのために落雷の難をのがれた、という縁起。
そんなわけで、わが町は、招き猫だらけです。
和菓子屋さんには、招き猫最中があり、ケーキ屋さんには猫サブレがあり、豪徳寺商店街限定ショッピングバッグにはもちろん招き猫の図柄。
しかし、それらはどちらかというと、ひっそり、つつましやかに存在しておりました。
だが!
本日、すごいものを発見してしまった。
夕餉の買い物のために商店街を歩み、小田急線豪徳寺駅を通過しようとしたところ、何やらいつもと違う気配が。
数歩引き返し、駅の入り口に目をやると、巨大な招き猫がドーン!
いつのまに。
きのう、教室に出かけるときにはなかったぞ。
駅員さんに訊いてみると「昨日(6月12日)の夕方、設置されました」とのこと。
教室帰りは、暗かったせいか、ちょいと疲れていたせいか、気づかなかった......。
突如出現したこの巨大招き猫。
デッカイ福を招いてくれるといいのですが、サイズのせいか、いまひとつ不気味というか何というか、微妙です(笑)。
教室で、Sさんに豪徳寺に行ったよと聞いた翌日に、このオブジェ。
これもご縁というのでしょうか。
みなさま、豪徳寺にいらっしゃるときには、まずはこの招き猫がお迎えいたします。うふ。
そして、参拝のあと、一息入れたいときは「茶店sonoko」へどうぞ。
あ、「茶店sonoko」にいらっしゃる際は、10分前までにご連絡ください。
せめて顔を洗って髪とかして、ブラをつける(きゃっ)猶予がほしいので!
みなさま、お元気ですか?
お久しぶりです。
さて本日昼過ぎ、有楽町で用足し(註)を終え、仲良し女友達Kと銀座へと歩いておりました。
「お腹すいたねぇ」
「なに食べようか?」
中央通りに出て、4丁目方面へ向かうと、歩道に長蛇の列が。
多機能携帯端末「iPad」を求めている人たちでした。
きょうが発売日であったか、とあまりこの方面に明るくないわたしは、ほお、みなさん熱心ですねぇ、でも、いまは昼飯じゃ、てなものでした。
携帯電話でさえ使いこなしていない者としては、どんな便利な機能があっても、宝の持ち腐れだし、小説はやっぱり紙の本で読みたいし。
しかし、出版各社はベストセラー作家、作品を端末向けにラインナップし、紙の本とは別のムーブメントを起こすべく本腰を入れている、というニュースを少し前から見聞きしております。
いつまでも、「キカイは苦手だから」なんて古臭いことを言っていては、ダメなんでしょうね。
「私は時代遅れの人間ですから」
「俺は不器用にしか生きられないから」
というようなことを、苦みばしった殿方(鶴田浩二をイメージ・古いか)が言うと、男の「深み」とか「哀愁」とか「実直さ」などなど、プラスにとらえられることが多いのではありませぬか?
まあ、時代遅れとか不器用といった言葉の陰には、ちょっとしたナルシシズムが感じられたりもしますが。
それはさておき、同じセリフをもう若くはない女(平たくいうとオバさん)が口にすると、プラスには思われないですね、おそらく。
向上心がない、めんどうくさいオバちゃん、といったところでしょうか。
ああ、でもいまは男性でも同じなのかもしれない。
めまぐるしいほどのスピードで情報が飛び交うこの時代ですから。
インターネットを開いてみれば、有名無名にかかわらず、おびただしい数の人々が「発信」しています。
いろんな情報や考えを共有できて、いいものです。
けれど、ちょっと行き詰まっていたり弱っているときなど、わたしは、くらくらと目眩がしてしまうのですわ。
みなさんは、そんなことありませんか?
といいながら、本格的な資料を当たる前や取材の前にはインターネットで「下調べ」をしたり、バーゲン情報をゲットしたりするちゃっかり者のわたくしです。
絶滅危惧種に指定されるくらいの「立派な時代遅れ」にもなれないわけです。
難儀ですね、まったく。
註:用足しとは便利な言葉である。二人の女は着物の大バーゲンに行っただけであった......。
究極の私事で恐縮ではございますが、
本日4月23日は、同居青年の誕生日であります。
しかし、主役は、写真のカーネーションなのだ!
クビ先だけのこの花は、ひとつ前の記事に書いた「着物で浅草清掃活動」からつながります。
道々、ゴミを拾いながら歩んでいると、友人のRりが、親指の先ほどの硬いカーネーションのつぼみを見つけました。
硬いけれど、いま落ちたばかりのようにみずみずしい。
だれかが花屋で買ったブーケからこぼれ落ちたのでしょうか。
それにしてもつぼみの先だけって、どういう按配でそんなことになったの?
一同首をかしげながらも、「ゴミ」として処理するにはしのびなく、Rりは帯の間にはさんでおきました。
ワインバーで休憩中、どんな経緯だったか、「もうすぐウチの青年の誕生日。ヤツももう○○歳だわ。彼女いない歴更新中」なんて話になったんですね。
「じゃ、これを誕生日プレゼントにどうぞ」
Rりが帯の間からカーネーションのつぼみを差し出しました。
美女からの贈り物!
それが路上で拾ったものであろうと(笑)、わたくし、歓んでちょうだいして参りました。
帰宅してみると、さすがにしおれ気味のつぼみでしたが、小さな猪口に水を張って挿しておきました。
翌日、つぼみは生気をとりもどし、ほんの少し丸みを帯びてきました。
2日後、3日後と少しずつ花びらが開いていき、今日はごらんのとおりにぱぁっと開きました。
きれい。ピンク色がかわいい。
女性から花を贈られるなんぞ、ヤツにとって生涯でこれがいちど限りになるやもしれん。
それというのも、路上で拾い上げたつぼみをゴミにせず、帯の間に挟んでおき、「じゃこれをプレゼントに」と、茶目っ気を発揮した友人のおかげです。
なんか、とてもほっこり気分。
ありがとう、浅草清掃活動。
ありがとう、遊び心のある友よ。
ヤツが小学生のころまでは、やれ誕生日会だ、やれプレゼントはゲームソフトだ、やれご馳走だと、手間も時間もお金もかかっていたなあ。
いまはこれですんじゃう。
お手軽、安上がり。
(これの回し者ではありません。ヤツがこれが好きだというのです)
今夜は乾杯しよう!
しかし、ヤツはまだ帰らない。
そもそも、今日中に帰ってくるのか。
はなはだ疑問である......。
4月18日(日)、浅草にて「着物姿で街をお掃除して、江戸情緒の残る浅草の街をきれいにし、和のこころを継承する」という趣旨の活動がありました。
着物姿の老若男女101人が参加。なかでも、20~30代の若い世代が多かったようです。
このイベントを主催した『江戸笑店』店主の今葉(こんば)さんも、28歳の熱き血潮の青年。発想が柔軟です。
着物ならばインパクトもある。メッセージも伝わりやすい。
ずっと雨もよいの寒い日が続いていましたが、この日お天道様に恵まれたのも、その熱気のせいか?
はい、私も山村教室の着物仲間4人でお掃除してきました。
手に手に、緑色のトングとゴミ袋を持って、視線は下向きに街を巡ります。
東京を代表する観光地ですから、地元の方々が普段から美しい街を保っていらっしゃるのですが、気をつけてみるとゴミがそこここに。
たばこの吸殻、お菓子の空パッケージ、そしてなぜか目に付いたのが爪楊枝。
どれも、口に入れたあとに手元に残るものですねえ。
しかるべきところに捨てるなり持ち帰るのを怠って、ポイ、というわけでしょうか。いかんです。
清掃活動後は、伝法院前にて記念撮影。101人の着物姿、壮観だったことでしょう。
残念ながら、こちらは「映される側」だったので、その全貌はよくわかっておりません。
いっぱい人がいてみんな着物だなあ、てなくらいで(笑)。
夕方からの打ち上げイベントまでの時間、疲れた身体を休めるためにちょいとワインバーへ。おほほ。
教室仲間だけでなく、この日はじめて出会ったお二人も一緒です。
我々もそのお二人も、元来「人見知り」だというのに、着物好き、というそれだけで、ぐっと距離が縮まる。不思議です。
仕事のこと、とっておきの着こなし術、恋のこと(!)などなど、話は大いに盛り上がりました。
浅草アミューズミュージアムで開かれた打ち上げイベントでは、「女を語る」朗読家・根岸理奈子さん、日本舞踊の花柳竹寿之さん、和笛と太鼓のひろ美さんのパフォーマンスをじっくりと。
道を究めんとする人は、みな強く美しいですねえ。うん、私もがんばる!
会場から望む、ライトアップされた五重塔も幻想的な美しさでした。
さてさて、着物ってお金がかかる、という「迷信」を信じている人もいらっしゃるのでは。
私が、気軽に楽しむのですから、そんなことありません。自慢じゃないが、ビンボーです。
もちろん呉服屋さんできちんと誂えて、ということになれば、それなりのお金がかかりましょう。
私(とお仲間)の場合は、ちょいと違います。
リサイクル着物、つまり「古着」がほとんどです。
もともと着物は祖母、母、娘と三代着られるといわれるもの。
小額で買える気に入ったものを、大切に長く着たいと思います。
ちなみに、この日私が着ていった昭和30年代(推定)の銘仙の着物は、ネットオークションで21円で落札したものです。ああ、いまちょっと書くのをためらった......。
21円というのは、さすがにめったにない出来事です。けれど、着物をはじめたいけどお金かかりそうと思っていた方は、ちょっと安心したでしょう。
生活費切りつめて修業の身には、少ないお金でおしゃれ心を満たすリサイクル着物は、強い味方なのであります。
きょうは、じつにリフレッシュした休日でした。
充電完了。よおし、また仕事と小説だ!
追記
こちらに当日の様子が載っています。
主催・今葉さんのところから拝借しました。
21円の着物を着たオンナもおります。
http://www.tokyo-asakusa.com/news/ivent/2818
最近のコメント