夕焼け2

| コメント(4)

10.8.29 007.jpg

きょうの夕焼け。

橙色です。

やっぱり夕焼けは橙色がいい。

きれいだなあ。

 

しんどいこともたくさんあるけど、 

がんばろ。

 

空を見あげる宵は

| コメント(6)

10.8.8 004.jpg

 

お暑うございます。

今年の夏はまったく......、という声はもう聞き飽きましたわねぇ。

でも、暑いよぉ!

仕事の原稿ははかどらず山積。小説はぱったり止まり地団太踏みつづけ、地面が抉れそうになっております。はぁ。

ああ、もうどうにもならん! というときは、空を見あげます。

真っ青な空に白い雲、というのはすがすがしい。元気になります。

が、日中はパソコンに向かっていて、ふと見上げれば夕焼け空、ということが多いんですね。

ウチは南西角部屋で、夏の暑さはハンパない、冬の季節風はもろに吹きつけるというかわいそーな住環境なのであります。

が、いいこともあって、ベランダから夕焼けが見わたせるのです。

もう数年間、定点観測的にキッチン脇のベランダから、写真を撮ってはひとり悦に入っております。

手前の家並みとアンテナ、電線が黒いシルエットになって、それらしくキマリます(笑)。

なんですかねえ、今夏の夕焼けは、紅色のことが多い。

7月2日の夏至の夕方も、空は紅色に染まっていましたっけ。

湿度が関係しているのでしょうか(詳しい方、教えて)。ホントこの夏は湿度が高いもんね。

秋が近づけば、だいだい色のノスタルジックな夕焼けが見られるかな?

わたしは、だいだい色の夕焼けには郷愁を誘われ、紅色の夕焼けには、「熱き血潮」を感じるんだな。

熱き血潮はいいが、ともすればどろどろの血潮になりそうな猛暑。

摂生につとめましょう。

といいながら、夏風邪をひいちまったわたし。

早く治らないと、いろんな締め切りに間に合わん。ひぇ~!

みなさまも、どうかご自愛くださいね。

 

追記

風邪で仕事ができず、所在なく記事を見直していたら、ビックラこいた!

6行目「真っ青な空に青い雲」と書いていたから。

ああ、もちろん「白い雲」ですわ。

直しました(汗)。8月12日記

 

七夕に

| コメント(4)

 10.6.7gatu 014.jpg

 

 

 

 

 

 

 

7月7日、七夕の夜です。

梅雨のさなかのこと、午後から降りだし今夜も天の川は見えません。

見えないけれど、織姫と牽牛は1年ぶりの逢瀬を果たしていることでしょう。

そうじゃなきゃ、かわいそうじゃない!

激してどーする。

夕刻、雨の止み間がありました。

ふらっと近所へお散歩。

あいかわらずの家内制手工業で、外出も半径500メートル以内です。

いや、300メートル以内かな。ははは。

表通り(といっても住宅街の中)に面したお宅の玄関先に、大きな笹飾りがありました。

そういえば、半月ほど前に通りがかったときにも見かけました。

笹の下には記帳台(?)があり、短冊とマジックが備えられていて、「ご自由にどうぞ」ということでした。

いいですね。

小さなお子さんがいる家庭でもなければ、笹飾りをすることも少なくなりましたから。

そのときも、若いカップルが楽しそうに(若干いちゃつきながら......)、願い事を書いていましたっけ。

わたしは、めちゃくちゃシャイなので、そこに参入することはできませんでしたが、きょうは写真だけ撮らせていただきました。

──家族が健康でありますように。

──恋人ができますように。

──世界が平和でありますように。

短冊には、そんな願い事が書かれています。

なかには、「いつもきれいなお花に見とれています」という、このお宅への感謝の言葉もありましたが、大方は「平凡な」言葉が並びます。

願い事は欲を言えばキリがない。

平凡な、あたりまえな、ふつうの願いが、いちばん叶えたいことであり、人生でムツカシイことなのかのしれません、ね。

わたくしめは、ざっと108ほどの欲望、もとい、願い事を却下し、「みんなが幸せでありますように」と心のなかで唱えたのでした。

 

さてさて、小説家をめざすという願いは、「ふつう」の範疇からははみ出すのだろうか。

願いじゃなくて、目標だな。

きょうは半日、一足先に目標に達した山村教室のお仲間のデビュー作を読みました。

一気に読了。

 『死亡フラグが立ちました!』七尾 与史(宝島社文庫)

面白かった!

どう面白かったかって201007072213000.jpg

ミステリーだから、細かく言ってはいけませんよね。

まあ、つまり、わたしの好きなタイプでした。

小さなパーツが複数ちりばめられていて、ラストで一気に収束される。

それでもって、ユーモアと人情もある(血も飛び散るが)。

感心してばかりじゃいけない。

読者に、「面白かった」と言われる小説をわたくしめも書かなくちゃいかんです。がんばります。

あっ、がんばり抜く力をくださいって、願えばよかった!

 

 

 

6月26日の山村教室。

第1期最終日のこの日は、作家の香納諒一先生がゲスト講師としていらっしゃいました。

長身イケメンのハードボイルド作家は、とてつもない「理知の人」でした。

開口一番「きょうは『原理原則』ついて話をします」とおっしゃった。

また、惜しみない「サービス精神」をお持ちの人でもありました。

「企業秘密なのであまり外には出すとマズイのですが」とおっしゃりながら、ご自身の作品の「構想表」を公開。

こんなに見せていただいてよろしいのですか、と思うくらい、香納先生の思考の流れを開陳していただきました。

さて、原理原則とは、小説を書く際での基礎工事部分についての話です。

具体的にはいえませ~ん。

受講生に向けての講義だったので、軽々にお外に洩らすわけにはいかんとです(なぜ方言?)

キーワードは、構想表・起承転結・ベクトル・視点......。

これじゃわかりませんねえ。あるいは、フツーじゃんと思われるかもしれません。

ところがどっこい、これから小説家になろうという者、すでにデビューしたけれどいまひとつ迷いがあるといった同志たちは、う~むと唸り、そうなんですわと大きく頷いておったのです。

ほんと、なんかわからん文章ですね。ごめんなさい。

知りたい方は、どうぞいますぐ受講手続きをなさってください(にわか世話人)。

印象的だった言葉がてんこ盛りだったですが、ひとつだけ書いちゃおう。

──構想表を作るのは、自分の頭がいかに何も考えていないかを知るため

ね、小説の構想を立てたことのある人ならば、そうそう! と膝を打ちまくるでしょう。

構想を書き出すと、、穴だらけ、つなぎの部分がすこんと抜ける、なぜこういう方向へいってしまうのかいな、はい始めにもどってやり直し。ホント、何も考えてないんだなあ。

脳ミソをカポッと取り出して、ジャブジャブ洗濯して入れ直したくなります。

考え抜くことができず、中途半端な構想で、見切り発車すると、もののみごとに玉砕。嗚呼......。

たいへんクリアな頭脳で、完璧な方法論をお持ちの香納先生ですが、ここに至るまでには、もがき、苦しみ、考え抜き、好きな作家の作品を手本に1ページずつ書いてみる、という日々があったといいます。

だからこそ、より説得力があります。

さてさて。

香納先生はまた、銭湯と居酒屋を愛してやまないとのこと。

ぐっと身近になりました(笑)。

講義後は、教室近くの居酒屋へ移動。

生ビールと日本酒でほぐれたのちに、またまた「ほぉ! そのとおりだなあ」という先生の言葉がありました。

「才能というのは、人を円いものだとすると、ぼこんとヘコんだところにあるものなんですよね」

修身の先生になるならば、どこにもヘコみのないまん円な人がよいかもしれません。

でもね、小説を書こうなんていう人は、いや、人間ってもんは、どこかしらゆがみやヘコみがあるもの。

そのヘコみに自分の才能が潜んでいるんだ、という発想に、わたしは目を開かされ、また励まされた心もちになりました。

神経症で、人づき合いがヘタくそで、ひきこもりがちで、ヘタレで、ときに深酒をする、ボコボコのわたし。

ヘコみはいっぱいあるぞ。

これから、ヘコみを奥深く丹念に探ってみようかと思います。

なにが出てくるでしょうか。楽しみでもあり、怖くもあり......。

 

神様は見ている? 

| コメント(0)

前回に続いて、南アフリカ・サッカーW杯のお話です。

先ほど、日本チーム1次リーグ最終戦であるデンマーク戦が終了。

3-1で勝利、決勝トーナメントへの進出を決めました!

カメルーン、オランダと、強豪チームだらけのE組に入った当初は、決勝Tへの進出はムリだろう、と思ってました。

ごめんなさい。

1次リーグ3戦の日本チームの戦いを見て、サッカーはチームスポーツであるのよねぇ、といまさらながら思ったしだい。

アイディア、その理解、実行、そして闘志。

人生にも通じるエッセンスが凝縮されています。

努力し、すべてがかみ合い、遺憾なく発揮されたとき、女神が微笑む。

この試合の後半、VTRで見ると、「ないでしょう!」というペナルティエリアでの長谷部のファールが取られ、相手にPKを決められました。

GK川島はよく弾いたけれど、こぼれ球を押し込まれ失点。むむ......。

しかし、その後、同じく長谷部がディフェンスの流れのなかで、ハンド。けれど、これは取られなかった。

神様はよく見ている? てなことはないか。いや、そういうこともあるような気がする。

さてさて、午前3時に起床したわたくし、試合終了後に洗濯などを終わらせ、いま机の前に座っております。

きょうは、打ち合わせが2本入っていて、忙しい。

資料の最終チェックをするまえに、脳ミソの回路を切り替えるためのインターバルとして、こうしてブログを書いております。てへへ。

朝6時から机に向かう。毎日がこうならねえ。

これをきっかけに、がんばるか。

どこで何をしていようとも、神様はきっと見ているんだもの。

努力した者の背中を押してくれる(そんな考えはファンタジーである、というご意見はひとまず置かせていただきます)。

早起きはいいですねえ。すがすがしい朝であります。

勝ち点3!

| コメント(0)

きのう、小説家志望者の日々は粛々と、と言った舌の根も乾かぬうちに......。

サッカー・ワールドカップ日本VSカメルーン戦をしっかり観た。

勝った!

負けつづけていても勝つときは勝つ!

さあ、わたしも新人賞めざしてがんばろう!

以上。

突如出現 かなり微妙

| コメント(4)

201006131753000.jpgのサムネール画像

 

南アフリカで笛が鳴りブブゼラが唸りをあげようとも、小説家志望者の日々は粛々と進みます。

と、この一文にTV観戦したいよーという欲望がにじんでいますねえ。

いやいや、粛々なのです。

昨日の山村教室では、3ヵ月に1度の自作の講評を受けました。

わずか38枚の短編は、身も心も脳ミソもすっからかん、という状況で書いたもので、そりゃもうお話にならない代物です。

それでも書いて提出しました。

回遊魚と同じで、一度進むことを止めたら、そこでジ・エンドとなる恐怖は大きい。

講師の先生は、すっかりお見通しで、ひとことで言うと「こりゃヒドイ」という講評でしたが、「もうそろそろスランプから抜け出してください」と、励ましの言葉をいただきました。うっ、涙。ありがたき師の愛。

さて、この講義前に受講生仲間のSさんから声をかけられました。

「このあいだ豪徳寺に行ってきましたよ」

東京世田谷にある豪徳寺は、彦根藩主井伊家の菩提寺で、幕末の大老・井伊直弼のお墓もあります。

Sさんは幕末から明治ものを書くので、取材がてら出かけたとのこと。

お知らせくだされば、拙宅でお茶の一つでもお出ししましたのに。

はい、お正月にこのブログでも書きましたが、ウチは豪徳寺の近くにございます。

豪徳寺はまた、「招き猫伝説」でも知られるお寺でもあります。

江戸初期の彦根藩主井伊直孝が、ある日、門前でしきりに招く猫に引き寄せられるよう門内に入り、そのために落雷の難をのがれた、という縁起。

そんなわけで、わが町は、招き猫だらけです。

和菓子屋さんには、招き猫最中があり、ケーキ屋さんには猫サブレがあり、豪徳寺商店街限定ショッピングバッグにはもちろん招き猫の図柄。

しかし、それらはどちらかというと、ひっそり、つつましやかに存在しておりました。

だが!

本日、すごいものを発見してしまった。

夕餉の買い物のために商店街を歩み、小田急線豪徳寺駅を通過しようとしたところ、何やらいつもと違う気配が。

数歩引き返し、駅の入り口に目をやると、巨大な招き猫がドーン!

いつのまに。

きのう、教室に出かけるときにはなかったぞ。

駅員さんに訊いてみると「昨日(6月12日)の夕方、設置されました」とのこと。

教室帰りは、暗かったせいか、ちょいと疲れていたせいか、気づかなかった......。

突如出現したこの巨大招き猫。

デッカイ福を招いてくれるといいのですが、サイズのせいか、いまひとつ不気味というか何というか、微妙です(笑)。

教室で、Sさんに豪徳寺に行ったよと聞いた翌日に、このオブジェ。

これもご縁というのでしょうか。

みなさま、豪徳寺にいらっしゃるときには、まずはこの招き猫がお迎えいたします。うふ。

そして、参拝のあと、一息入れたいときは「茶店sonoko」へどうぞ。

あ、「茶店sonoko」にいらっしゃる際は、10分前までにご連絡ください。

せめて顔を洗って髪とかして、ブラをつける(きゃっ)猶予がほしいので!

時代遅れの......

| コメント(4)

みなさま、お元気ですか?

お久しぶりです。

さて本日昼過ぎ、有楽町で用足し(註)を終え、仲良し女友達Kと銀座へと歩いておりました。

「お腹すいたねぇ」

「なに食べようか?」

中央通りに出て、4丁目方面へ向かうと、歩道に長蛇の列が。

多機能携帯端末「iPad」を求めている人たちでした。

きょうが発売日であったか、とあまりこの方面に明るくないわたしは、ほお、みなさん熱心ですねぇ、でも、いまは昼飯じゃ、てなものでした。

携帯電話でさえ使いこなしていない者としては、どんな便利な機能があっても、宝の持ち腐れだし、小説はやっぱり紙の本で読みたいし。

しかし、出版各社はベストセラー作家、作品を端末向けにラインナップし、紙の本とは別のムーブメントを起こすべく本腰を入れている、というニュースを少し前から見聞きしております。

いつまでも、「キカイは苦手だから」なんて古臭いことを言っていては、ダメなんでしょうね。

「私は時代遅れの人間ですから」

「俺は不器用にしか生きられないから」

というようなことを、苦みばしった殿方(鶴田浩二をイメージ・古いか)が言うと、男の「深み」とか「哀愁」とか「実直さ」などなど、プラスにとらえられることが多いのではありませぬか?

まあ、時代遅れとか不器用といった言葉の陰には、ちょっとしたナルシシズムが感じられたりもしますが。

それはさておき、同じセリフをもう若くはない女(平たくいうとオバさん)が口にすると、プラスには思われないですね、おそらく。

向上心がない、めんどうくさいオバちゃん、といったところでしょうか。

ああ、でもいまは男性でも同じなのかもしれない。

めまぐるしいほどのスピードで情報が飛び交うこの時代ですから。

インターネットを開いてみれば、有名無名にかかわらず、おびただしい数の人々が「発信」しています。

いろんな情報や考えを共有できて、いいものです。

けれど、ちょっと行き詰まっていたり弱っているときなど、わたしは、くらくらと目眩がしてしまうのですわ。

みなさんは、そんなことありませんか?

といいながら、本格的な資料を当たる前や取材の前にはインターネットで「下調べ」をしたり、バーゲン情報をゲットしたりするちゃっかり者のわたくしです。

絶滅危惧種に指定されるくらいの「立派な時代遅れ」にもなれないわけです。

難儀ですね、まったく。

註:用足しとは便利な言葉である。二人の女は着物の大バーゲンに行っただけであった......。

 

201004232043000.jpg究極の私事で恐縮ではございますが、

本日4月23日は、同居青年の誕生日であります。

しかし、主役は、写真のカーネーションなのだ!

クビ先だけのこの花は、ひとつ前の記事に書いた「着物で浅草清掃活動」からつながります。

道々、ゴミを拾いながら歩んでいると、友人のRりが、親指の先ほどの硬いカーネーションのつぼみを見つけました。

硬いけれど、いま落ちたばかりのようにみずみずしい。

だれかが花屋で買ったブーケからこぼれ落ちたのでしょうか。

それにしてもつぼみの先だけって、どういう按配でそんなことになったの?

一同首をかしげながらも、「ゴミ」として処理するにはしのびなく、Rりは帯の間にはさんでおきました。

ワインバーで休憩中、どんな経緯だったか、「もうすぐウチの青年の誕生日。ヤツももう○○歳だわ。彼女いない歴更新中」なんて話になったんですね。

「じゃ、これを誕生日プレゼントにどうぞ」

Rりが帯の間からカーネーションのつぼみを差し出しました。

美女からの贈り物!

それが路上で拾ったものであろうと(笑)、わたくし、歓んでちょうだいして参りました。

帰宅してみると、さすがにしおれ気味のつぼみでしたが、小さな猪口に水を張って挿しておきました。

翌日、つぼみは生気をとりもどし、ほんの少し丸みを帯びてきました。

2日後、3日後と少しずつ花びらが開いていき、今日はごらんのとおりにぱぁっと開きました。

きれい。ピンク色がかわいい。

女性から花を贈られるなんぞ、ヤツにとって生涯でこれがいちど限りになるやもしれん。

それというのも、路上で拾い上げたつぼみをゴミにせず、帯の間に挟んでおき、「じゃこれをプレゼントに」と、茶目っ気を発揮した友人のおかげです。

なんか、とてもほっこり気分。

ありがとう、浅草清掃活動。

ありがとう、遊び心のある友よ。

 

201004232045000.jpgヤツが小学生のころまでは、やれ誕生日会だ、やれプレゼントはゲームソフトだ、やれご馳走だと、手間も時間もお金もかかっていたなあ。

いまはこれですんじゃう。

お手軽、安上がり。

(これの回し者ではありません。ヤツがこれが好きだというのです)

今夜は乾杯しよう!

しかし、ヤツはまだ帰らない。

そもそも、今日中に帰ってくるのか。

はなはだ疑問である......。

 

 

着物で浅草清掃活動

| コメント(8)

10.4.18 008.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

4月18日(日)、浅草にて「着物姿で街をお掃除して、江戸情緒の残る浅草の街をきれいにし、和のこころを継承する」という趣旨の活動がありました。

着物姿の老若男女101人が参加。なかでも、20~30代の若い世代が多かったようです。

このイベントを主催した『江戸笑店』店主の今葉(こんば)さんも、28歳の熱き血潮の青年。発想が柔軟です。

着物ならばインパクトもある。メッセージも伝わりやすい。

ずっと雨もよいの寒い日が続いていましたが、この日お天道様に恵まれたのも、その熱気のせいか?

はい、私も山村教室の着物仲間4人でお掃除してきました。

手に手に、緑色のトングとゴミ袋を持って、視線は下向きに街を巡ります。

東京を代表する観光地ですから、地元の方々が普段から美しい街を保っていらっしゃるのですが、気をつけてみるとゴミがそこここに。

たばこの吸殻、お菓子の空パッケージ、そしてなぜか目に付いたのが爪楊枝。

どれも、口に入れたあとに手元に残るものですねえ。

しかるべきところに捨てるなり持ち帰るのを怠って、ポイ、というわけでしょうか。いかんです。

 

清掃活動後は、伝法院前にて記念撮影。101人の着物姿、壮観だったことでしょう。

残念ながら、こちらは「映される側」だったので、その全貌はよくわかっておりません。

いっぱい人がいてみんな着物だなあ、てなくらいで(笑)。

 

夕方からの打ち上げイベントまでの時間、疲れた身体を休めるためにちょいとワインバーへ。おほほ。

教室仲間だけでなく、この日はじめて出会ったお二人も一緒です。

我々もそのお二人も、元来「人見知り」だというのに、着物好き、というそれだけで、ぐっと距離が縮まる。不思議です。

仕事のこと、とっておきの着こなし術、恋のこと(!)などなど、話は大いに盛り上がりました。

 

浅草アミューズミュージアムで開かれた打ち上げイベントでは、「女を語る」朗読家・根岸理奈子さん、日本舞踊の花柳竹寿之さん、和笛と太鼓のひろ美さんのパフォーマンスをじっくりと。

道を究めんとする人は、みな強く美しいですねえ。うん、私もがんばる!

会場から望む、ライトアップされた五重塔も幻想的な美しさでした。

10.4.18 029.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて、着物ってお金がかかる、という「迷信」を信じている人もいらっしゃるのでは。

私が、気軽に楽しむのですから、そんなことありません。自慢じゃないが、ビンボーです。

もちろん呉服屋さんできちんと誂えて、ということになれば、それなりのお金がかかりましょう。

私(とお仲間)の場合は、ちょいと違います。

リサイクル着物、つまり「古着」がほとんどです。

もともと着物は祖母、母、娘と三代着られるといわれるもの。

小額で買える気に入ったものを、大切に長く着たいと思います。

ちなみに、この日私が着ていった昭和30年代(推定)の銘仙の着物は、ネットオークションで21円で落札したものです。ああ、いまちょっと書くのをためらった......。

21円というのは、さすがにめったにない出来事です。けれど、着物をはじめたいけどお金かかりそうと思っていた方は、ちょっと安心したでしょう。

生活費切りつめて修業の身には、少ないお金でおしゃれ心を満たすリサイクル着物は、強い味方なのであります。

きょうは、じつにリフレッシュした休日でした。

充電完了。よおし、また仕事と小説だ!

 

追記

こちらに当日の様子が載っています。

主催・今葉さんのところから拝借しました。

21円の着物を着たオンナもおります。

http://www.tokyo-asakusa.com/news/ivent/2818

 

最近のコメント

カテゴリ

アーカイブ


サイバーノベルズ