さわやかな、という枕詞もちとあやしい今年の5月。
爆弾低気圧、竜巻、いつまでも肌寒い日々。と、急激に気温上が昇したりして体がびっくらこいています。

わたくしめは、乳がん再発抑制のために服用している薬の副作用で、ホント体がきつい。
体の中から、女性ホルモンのエストロゲンを一掃してしまうという、むちゃな療法ですから、そりゃガタガタですわ。
全身の関節が痛みます。頭がぼわんとして、思考力が低下します。
あ、頭は薬を飲む前からじゃないか、というささやきが聞こえたような気がする。ま、いいか。

こんな残念なことも、スコンと書けるようになったのは、進歩というべきものでしょうか。
人生には予期しないことが起きますが、丸ごと「わたしの人生」なのです。

でも、痛みというものは人をたいそう疲弊させるものです。
書けないもどかしさに、輾転反側ということもあります。
せめて読むだけでも、と思いながら活字がうまく脳の回路に入ってこないこともあったりして。

しかし、友だちの新刊というものは、カンフル剤のように効くものです。
しかも、これは素晴らしい。

『泣いたらアカンで通天閣』 坂井希久子 祥伝社

笑って泣ける大阪人情もの。
ええ話です。
著者の坂井さんの持ち味がいかんなく発揮された作品だと思います。
坂井さんのお父様(←おとーさまというキャラの方ではないけど)の話などもよく聞いているので、なんだかじんときちゃいます。

笑って泣きたい人は買って読みましょう。
それからビールを飲みたくなる作品でもあるし、鳥チャーシューなるものを無性に食べたくなったりもします(笑)。
しんみりして、そして元気になれます。
ありがとうサカイ!

それから七尾与史さんのヒット作『ドS刑事』の第2弾『ドS刑事 朱に交われば赤くなる殺人事件』(幻冬舎)も快調に飛ばしています。
カップリング写真にしてみました(笑)

友に刺激をもらいながら、セオ、また少しずつ前進します♪

4月7日(土)、山村教室は2012年度の開講式でした。
森村誠一塾長は残念ながら欠席され、ゲストの石田衣良先生がおひとりで約3時間の講義をしてくださいました!

お会いする前の石田衣良先生に対するわたしの勝手なイメージは、クールなイケメン作家というもの。
ハンサムで締まった体(洋服の外からの観察による)のいい男であることは間違いありませんでした。
が、じつに気さくでなんでも話してくれるお兄さんという感じの方で、いいほうに外れされました。ホントに懐が広く素敵でした。

その話は、これまで作家の先生、編集者から聞いたことと真逆のことも多々あり、おっ、ほぉ、へっ? と思いつつ聞いておりました。

たとえば、「文章はうまくならない」

ふつう、文章は書けば書くほどうまくなっていくと言われています。
でも、石田衣良先生はそうはおっしゃらない。
ではどうすればいいか。
「うまくなくても書ける方法をもてばいい。それは、『わたくし』ならでは武器をもつこと」
さらに、「自分の中にある立派でない部分をいかに活かすかを考えるといい」と。

う~ん。自分の中のありもしない立派そうな部分を一所懸命ほじくりだしていたような気がする。なんだか目からうろこがボロボロ、視界が開けた気分です。

受講生の質問にも、一つ一つたいそう丁寧に答えていただきました。
ぶっちゃけ話もそれはたくさん飛び出して、あっという間の3時間。
文芸誌の取材も入っていましたが、ぶっちゃけすぎて使えない話もゴロゴロでございました。あはは。

わたしもここでぶっちゃけますと、お会いするまでは「ふつう」レベルの好感度(って妙な表現かしらん)でしたが、この講義で一気に大ファンになりました。いや、ちょっと惚れた。

IWGP(池袋ウエストゲートパーク)シリーズしか読んでいませんでしたが(ごめんなさいっ)、きょうからさっそく『眠れぬ真珠』を読みはじめました。
はい、わたくしわかりやすい性格してます。

石田先生が森村誠一塾長をはじめ、ほかの先生方と同じことをおっしゃったのは、「作家に必要なものはタフさだ」ということ。
肉体も精神もタフであることが作家の条件だと。

わたしはいましばらく治療が必要なからだですが、かならず乗り越えて精いっぱいの作品を書こうと思います。

3月11日です。
東日本大震災から1年が経ちました。
こんなに1年が飛ぶように過ぎ去ったことはありません。
多くの失われた命と、いまなお復興には遠く、復旧もままならない被災地の方々の苦悩に思いをいたし、14:46の時報に合わせて黙祷しました。

TVでは震災関連の特番が各局で流されているようです。
わたしは、あの津波の映像に言い知れない恐怖を覚えるので、できるだけこうした番組は避けているのですが、今朝のNHKの番組は、天気予報を見るために点けた流れでそのままなんとなく見ていました。
それは、宮城県知事を迎えた仙台の特設スタジオと気仙沼の被災者の方々、そして復興庁の復興大臣政務官をつないだ中継でした。

非常にムカつきました。

被災者の言葉は、命や暮らしに密着した具体的なものであり、地元知事の言葉は何とかそれに応えようという意思を感じられるものでした。
ところが、復興政務官の郡なにがし氏(女性)の言葉は、美しい日本語のお手本のような発声とイントネーションではあるけれど、血も肉も感じられない「返答のための返答」のようなものでした。少なくともわたしにはそう感じられました。
ムツカシイ専門用語を必要以上にちりばめ、長いセンテンスでしゃべり、煙に巻きます。
わたしの頭では、何を言っているのだか理解できませんでした。

その政務官がしゃべるたびに、イライラが募っていきます。
被災地担当の司会者も堪忍袋の緒が切れたのか、番組も半ばを過ぎたころ、少しばかり憤然とした声で「いまの政務官のお話が分かった方はいらっしゃいますか?」と被災者のみなさんに問いかけました。全員、憮然として大きく首を横に振りました。

こんな人が復興庁の要職にあるのでは、ガレキの撤去もままならないな、と思ったものです。
そんなに事は単純じゃない、なんてことは承知でございますよ、わたしだって。けれどねえ、あの政務官の話はひどかった。

さかのぼること2週間ほど前だったでしょうか。これも偶然目にしたTVの映像でした。
季節は夏です。
元気な濃い黄色をしたひまわりが、畑一面に広がっています。
ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」の場面を彷彿とする光景でした。
ところが、そこにかぶさってきたのが、地元の男性の声です。

──ひまわりが可哀そうだっぺ。セシウムをとる(除く)ためだけに植えられてさ。

ああ、福島ではそんな実験も行われたなあ、と思い出しました。
そして、その地元のオッチャンの心の底から発せられた声音に胸がきゅっとなりました。

人の言葉には、心根が表れるものだとつくづく思います。
わたしなんぞ、人の言葉をどうこう言えるような人間ではありません。
心根を少しでもまっつぐにして血の通った言葉で話せる人間になろうと、震災から1年のこの日、そんなふうに思ったのでした。

3月10日(土)、山村教室はゲスト講師をお招きしての特別講義でした。
今回の講師は、推理小説研究家の山前譲先生です。
受講生の作品8篇の講評と「ミステリー界の現状を語る」の2部仕立て。

わたしの作品も講評に取り上げられました。
2年前にも講評をいただきましたが、その時は、なかなかいい感じの評価をいただいたのですが、そのあと「山前さんはずいぶん甘口講評なんですね」とずいぶん言われたとかで、「今回はビシビシ行きます!」と宣言されました。

わたしの講評では、のっけから「探偵役の刑事がありきたりのパターン」といわれ、ガーン。
「この動機で殺意を抱くだろうか」──はい、それは自分でも無理があるかと……。
「このトリックでは隠しおおせないだろう」──やっぱりそうですか……。

とまあ、もうボロボロなのでありました。
けれど、毒にも薬にもならない感想文的講評などわたしたちはいらないのです。
すごく勉強になりました。
ついでに言うと、山前先生はお人柄がやさしく語り口も軽妙なので、キビシイことを言われても傷つくことがない。ただ前向きに勉強になるなあ、と思えるのです。

第2部は、ミステリー界のいま!といった内容の講義で、板書など交えて熱心に語ってくださいました。
『謎解きはディナーのあとで』があれだけ売れたのはなぜか。それは……。
ホントは、全部ここに書きたい! けれど、書けない。聴きたい方は、入塾してください! と毎度同じことを言ってすみません。

山前先生おすすめの最近のミステリーをあげておきます。
『ハードラック』 薬丸岳
『デッドボール』木内一裕
『アンチェルの蝶』遠田潤子
『贖罪の奏鳴曲』中山七里
そして、山村の同胞、七尾与史の『ドS刑事』!
 

2012年2月29日、今日は4年に1度の閏日です。
関東地方は、未明から雪が降り始め、東京も今年一番の積雪となりました。
写真に撮ると、まるで雪国みたいですね(自宅ベランダからの風景)。
閏日で東京が積雪、というのはどのくらいの確率なのかしら、とふと思いましたが、まだ調べてはいません。
それを知ってどうするのか、と問われても困ります。
ただ、へぇーと思うだけかもしれません。
へぇーと思ったことが、しばらくしてから物語の種になることも、あります。いつもではありませんが。

さてさて、ほぼ月イチ更新で、小説修行と称しながら小説のことはほとんど書かない困ったこのブログ。
それなのに、「また早く更新してくださいね」と声をかけていただいたり、メールを送っていただいたりするので、まことにありがたく思います。
ホントみなさんありがとうございます。

2011年の最後の記事で、わたしが病を得たことを書きましたら、何人かの方からメールをいただきました。
そのうちの一人は、小説を書く仲間です。わたしの病気を気づかったあと、こう続けられていました。

──私はいま、まずは今年最初の応募を済ませて、こうしてメールを書いております。
(中略)
私は五年生存率ってやつをやっつけて、プラス二年半ほど過ぎました。
(後略)──

それこそ頭をガーンと殴りつけられた気持ちがしました。
この人は、いつもニコニコして、穏やかで、夢を語り、そして創作に励んでいました。
いや、いまも励んでいるのです。
持病がある、というようなことは聞いていたのですが、生存率云々という病気だとは思ってもみなかったのでほんとに驚きました。

だれにも言わず、静かにがんばっていたのだなあ、と。そして、いまも変わらずがんばり続けているのだなあ、と。
胸がじんとしました。
こんな人が夢をかなえるのだと思います。
わたしも、ともに歩みます。

さてさてそして!
ひとあし先に夢をかなえた仲間が、また一人増えました。
成田名璃子さん!
第18回電撃小説大賞・メディアワークス文庫賞受賞
『月だけが、私のしていることを見おろしていた。』アスキー・メディアワークス

平積みですねえ。
おめでとうございます!
成田名璃子さんは、とても感性が細やかな実力派。そのうえ大変がんばる人です(おまけに美人です☆)。

春はすぐそこ。
辛いことがあった人にもくじけそうになっている人にも、花咲く季節がやってくる。
上向いて行きましょう!

1月も半ば、東京も冷え込みがいちだんと厳しくなりました。
自宅が仕事場のわたしは、必然的におウチ引きこもり度が高いのですが、寒さが家内生活に拍車をかけます。

気温の低さとは裏腹に、午前11時過ぎの太陽の光はたいそう明るく、キラキラと部屋の奥まで差し込んできました。
と、もう何年も(!!!)目をつぶりながらも気になって気になって気になってしようがなかったことが、ぶぉぉぉーんと立ち上がってきたのでした。

ダイニングテーブルの天板の傷み──。
表面のワックスはもちろん、塗料まで剥げてしまい、何ともわびしい感じになっておるのですよ。
こんなになるまで放っておいてごめんね、と優しくなでなでし、よぉし!と手袋を二重にはめ、用具箱の底からアンティークファニチャー用ワックスを取り出しました(写真)。数年ぶりのことで、まあ缶のふたがガッツリひっついて開かないこと開かないこと! 冷凍用包丁を溝に差し込みやっとのことで開けたのでした。ワックスは変質もなく柔らかく、使用可能でよかったよかった。

このダイニングテーブルは、いまから21年前に購入しました。
それよりずっと以前から、わたしは古道具、アンティーク家具といったものが好きで、というより体の芯がうずくほど大好きでたまりませんでした。ちょっとビョーキ的に。ホント、胸がきゅんとしてしまうんですね、古いものに触れると。
あのころは、ライターだけでは稼げないので、下北沢の古道具屋で嬉々としてアルバイトをしていました。オーナーのイギリスへのアンティーク雑貨の買い付けにもくっついて行ったほどの熱の入れようでした。

当時はアパート暮らしでしたが、和室を二部屋ぶち抜いた中央に丸いちゃぶ台をおいていました。壁際には籐のベンチと楕円のティーテーブルを据え、そこは、まだ幼かった息子の読書やお絵かきの場所でした。ちゃぶ台もベンチもティーテーブルもすべて古道具です。

少しずつお金を貯めて、念願だったダイニングテーブルを買ったのが21年前。
1930年代のイギリスのドローリーフテーブルです。ドローリーフとは言葉どおり、「端を引っ張り出して」サイズを伸ばせる、とても使い勝手のいいものなのです。
普段は写真のサイズ(90×90cm)で使っていますが、友人が大勢でご飯を食べに来てくれるときには、両サイドを伸ばします。そうしますと長さ150cmの長方形に変身します。

イギリス家具らしい質実剛健さで、購入してから21年、創られてから80年たった今でもびくともしません。わたしの子どもはもちろん孫まで軽く使えそうです(孫っていまは想像もできないけれど)。
当時は、まだTVで骨董番組が放送される前だったので、こんな立派な家具が9万円ほどで買えました。いまはもっと高くなってしまたんだろうなあ。

あら、思い出話が長くなってしまいました。まるでバアさまみたいですねえ。てへ。
そう、やおらアンティークファニチャー用ワックスを取り出したところから話は始まるのでした。
きれいに水拭きと乾拭きをしたあと、木綿の布裂に茶色いワックスを取り天板全体に薄く塗り込んでいきました(冒頭の写真)。ちなみに、塗る前のひどい状態の写真はありません。やりだしてから、そうだ写真に撮っておこう、と思いつくものですから。はあ。

ひととおり塗り込んだら、今度は、塗装が剥げて生の色が出てしまったところへ重ね塗りをします。
しばらく乾かしてまた全体に塗り重ね、そのあとネルの布で余分のワックスを取りつつ艶を出すように磨きました(下の写真)。

ふっ。

艶は出たね。けれど、塗装が剥げちゃったところは、やっぱりなんとな~く色がのった程度ですね。これはプロのメンテナンスに出さなくちゃ直りませんわ。しかたない。

よくやったよくやった。
じつは、薬の副作用で関節と筋肉がちょいと弱っちまって、腕にきっちり力が入らないのです。
その割にはよくやったぜ、と自分を褒めるわたしであった(笑)。

山村教室名誉塾長の作家・森村誠一先生は、「文章と女性はメンテナンスが命!」とよくおっしゃいます。
「女性は」は、先生お得意のジョークですが、文章は書けば書くほど、また推敲すればするほどクオリティーが高くなるのは間違いありません。
あ、女性もそうか。ただのジョークではないですね。

日々の暮らしもそのとおりだと思います。
きちんきちんとしておけば、いつも気持ちよくいられる。道具は壊れずに役に立ってくれる。
やってみればたいした労力ではないのに、気忙しさに取り紛れているうちに修復不可能にならないようにしたいものです。
よく仕事をし、人のためにも働き、かつ遊び、それなのにふんわりとした余裕があってきちんとしている人がときどきいます。
そんな人を心底、尊敬します。憧れます。
そんな人になりたいと思います。

そりゃ、アンタには無理だ、という声が聞こえます。はっきり聞こえました!
で、でも、憧れながら、ほんのぽっちりとずつでも努力をしていれば、もしかしたら近づけるかもしれないじゃないですか!
ま、長~い目で見守ってやってくださいまし。
ああ、気持ちよかった。ほっ。

新年あけましておめでとうございます。
1月4日。2012年も本格始動です。

といいつつ、暮れからアヤしかったのが、新年早々、本格的な風邪っぴきとなりました。
2012年の目標のひとつに「頑健な体になる」、という項目があるのですが、のっけから崩れました。とほほ。
しかも! 1月1日、最終候補に残っていた地方文学賞の落選が発表されるという、まことに打たれ強さに磨きをかける年頭となりました。

ま、先は長い。おまけに今年は閏年です。あと362日あるから焦らず目標を達成していきましょう。

目標といえば、ライター仕事とは別に創作としての物を書き始めたころから、座右の銘としているのが、タイトルの「夢見つつ深く植えよ」です。

身近な友人にはこれまでも話していますし、エッセーの仕事でも書いたことがあるので、またかと思われる方もいらっしゃるやもしれません。まあ許されよ。

『夢見つつ深く植えよ』は、ベルギー出身でアメリカに亡命した、孤高の女性作家メイ・サートンの著作です。
メイ・サートンは、作家といっても小説よりも、詩、日記、回想録などの作品の多い、広く著述業といったほうがいい人物かもしれません。

では、わたしはその作品に心酔しているかといえば、そうでもありません。あらら。
『夢見つつ──』も、身辺日記のうちの一作で、46歳にして初めて自分の家をもち、孤軍奮闘しながらも庭仕事に楽しみを見いだしていく、というものです。
作品にとても心打たれたというのではなく、メタファーとしてこの言葉がすばらしく自分の気持ちにぴったりとしたのです。
言ってみれば、タイトルだけで強い影響を受けたという、それはそれですごい本だと思います。

たとえ雪に埋もれた季節でも、花が咲き誇る庭を夢見る。
美しく花を咲かせるためには、深く種や球根を植えなければならない。

どんな分野であれ、人が何かを成し遂げようとするときには、カチリと心に嵌まる言葉ではないかと思います。わたしにはそうでした。いまもそうです。
そして、その精神のみならず、字づらも響きもとても美しい。

1960年代に同性愛者であることを著作のなかで明かしたメイ・サートンは、勤めていた大学も追われました。平坦な人生ではありません。たいそう厳しい道を自ら選んだとも言えます。

さあわたしも「夢見つつ深く植えよ」の心意気で、飽かず、くさらず、美しい花が咲くことを夢見て書いていきましょう!
時折ヘタレることもありますが、それも丸ごとわたしです。
年末の記事でおっぱいのことなど明かしたら、なんだかいろいろ書くのが楽になりました(笑)。

2012年も瀬生の「そのこのなんのその」をよろしゅうお願い申し上げます。

追記
メイ・サートンの著作はみすず書房からたくさん出版されています。ちなみにわたしが一番良かったな、と思う作品は『独り居の日記』。書名どおりの内容です。

おまけ
夢見つつ深く植えて花開く水仙。地味だけど好きな花です。

激動の、という枕詞をつけられて2011年の日本は語られています。
わたしにとって、これほど「命」というものを深く、また身をもって考えた年はありませんでした。

3月11日に起きた、東日本大震災。
マグニチュード9.0という巨大地震とそれによって引き起こされた想像を絶する大津波、そして福島第一原発の甚大な事故。

くりかえし画面に映し出される津波の映像を目にし、みぞおちのあたりに大きな石をねじ込まれるような重苦しい痛みが居つき、夜中に叫び声をあげて目が覚めるということが続きました。
これは、いまはじめて書きました。口にしたこともありません。
精神の脆弱さをみずから露呈するようなもので、ちょっと格好悪いと思ったものですから。
でも、軟弱なのは事実なんだからしようがない。
これからは格好が悪いからとか、情けないからと隠すことはやめようと思います、できるだけ。

そう、人の命は何の前触れもなく突然奪われるものなのだ、と思い知りました。
さっきまで、家族と食事をしていたお年寄りが、いつも通りの仕事に励んでいた人が、午後のお遊びの時間になって園庭を駆けまわっていた幼い子どもたちまでも容赦なく。

以前も書きましたが、震災以降、自分にできることはわずかな寄付と節電と、毎日をきちんと生きること、という実にささやかな誓いを立てて暮らしていました。

ライター仕事と小説の習作、ちょっと手抜きの家事(きちんとしてないじゃないか……)。
ところが、どうも体調が思わしくない。きっと震災が微妙に影響しているのだろう。
夜よく眠れなくて疲れがたまっているし。
しかし、こんなことでは被災者の方々に申し訳ない。
しっかりせよ、ガンバレわたし、と叱咤しつつもぐんにゃりしているところへ、区の婦人科検診の案内が届きました。

健康医療系のライターをしていて、つい去年も「検診のすすめ」という記事を書いたばかり。なのに、自分はもう数年検診に行ってませ~んという不良ライターでした。
しかし、きちんと生きると誓いを立てたのだから、これは受けようじゃないか。体調だってよろしくないわけだし。
それになんといっても、今年偶数年齢の人はマンモグラフィー検査無料という特典付きではないか。

まあ、「無料」に引かれた感は否めませんが、ともかく6月24日、区の保健センターへ検査を受けに行ってまいりました。
「結果は3週間から1ヵ月後にかかりつけの先生の方からお出しします」

ところが10日後の7月4日、外出先から帰宅すると、かかりつけのクリニックからじゃんじゃん留守電が入っているではありませんか。
「できるだけ早くご来院ください」

7月11日から、かりつけ医に紹介された大病院にて、精密検査を開始。
当初、左右の乳房に異常がみられるとのことで、真っ平らになった胸を想像して気が遠くなりました。
超音波、MRI、細胞診、太針生検、マンモトーム生検などを行い、最終的な診断を待ちます。ちなみにこの時点で両乳房は穴だらけです。

7月29日。左は良性の石灰化だが、右は残念ながら浸潤性のがんであると告知されました。
念入りな検査を受けている間に、ほとんど覚悟はできていましたので、がん告知はすんなり受け入れることができました。
念のため、乳がん病理専門病院にセカンドオピニオンを求めましたが、主治医の名を言っただけで、「M先生の診断なら間違いない」と即答されました。どうやら知らないうちにいい医師に当たっていた(!)ようです。

そして、8月7日入院、9日手術、13日退院と、タタタッと事が運びました。
(余談ながら、退院してわずか1週間目の20日には、小説の合宿に参加したので、タタタタッです)

9~10月にかけて全25回の放射線治療も終え、現在は薬物療法(抗ホルモン療法)に入っています。
毎日1錠の服用で、あと5年間つづけます。気長に構えましょう。
全身の関節痛、倦怠感などの副作用はなかなか手強いものがありますが、効いている証拠だと思えばありがたいものです。

震災と自らの乳がん罹患によって、「命には限りがあるのだ」という当たり前のことが、くっきりとわたしの中に刻まれました。

人間は生きているだけで美しいという言葉を、どこか斜に構えて聞いていた過去の自分を恥じています。

こうして、2011年はわたしにとっては、命という根源的なものをもう一度よく考える年となったのです。
大上段に「命」をテーマにするというのではないかもしれませんが、今後ものを書くうえでは何かしら反映されていく気がします。そうでなくては……。

あ、ひとこと。わたしのがんは、ステージⅠ。リンパ節転移もなく、煩悩の数だけ生きるという目標も達成できそうです。けっこうしぶとい質です。それから、手術は乳房温存手術で、ひとまわり小さくなったおっぱいが健気に残っております。

さて、震災がなければ、果たして検診に行ったでしょうか。分かりません。何がどうつながるか計り知れません。とても不思議な心持ちがします。

多くの御霊に哀悼の念と深く大きなものを教えてくれたことに感謝しつつ、2011年のブログ納めといたします。

今年も1年どうもありがとうございました。
来年が、みなさまにとって、楽しいこと嬉しいことほっとすることがたくさんある佳き年となりますよう、お祈り申し上げます!

師走も半ばになりました。
わが山村正夫記念小説講座では、年末恒例のゲスト講評の12月です。

10日(土)は、小池真理子先生にお越しいただきました。
わざわざ説明するまでもない、現代日本を代表する女流作家です。
年末のスケジュールというのは、まことに意地悪なもので、この日わたしはどーしても外せない打ち合わせがあり、たっぷり1時間遅れて教室に到着しました。

しんと静まり返った廊下を教室へと向かっていると、うしろからコツコツと足音がします。
わ~い、遅刻の人がほかにもいた! と振り返ってみるとベージュのコートを羽織った、長身で顔の小さなカッコいい女性が近づいてきます。
あ、あれは!
教室OGで、こちらも現代日本を代表する女流作家・篠田節子先生でした。
「あらぁ、今日は篠田先生も講義されるんですか?」
ドアの前で、まぬけ声で訊くわたし。
「いやいや。今日はただの野次馬」
と笑っておっしゃいました。
そこへ居合わせたトイレ帰り(!)の男子受講生がドアボーイよろしく扉を開くと、
「○○さん(←わたしの本名)、先にどうぞ」
と先生がうながしてくださる。
とんでもない! もちろん先生に先に入っていただきました、はい。
ああ、ドキドキした。

教室に入ると、前半の受講生作品の講評はすでに終わっていましたが、後半の小池真理子先生の小説観、創作法などの講義には間に合いました。
『恋』『欲望』など、胸が苦しくなるほどの男女の心情を描く先生は、どんな小説観をお持ちなのだろう、と期待が膨らみます。

なぜ小説を書くようになったのか、というシンプルな問いに、小池先生はこうお答えになりました。

「幼少期、たいへん病弱だった。そのせいか、‘世界’となじむことができない。自分と世界との間にある溝を埋められるのは書くことしかなかった」

きっと物を書こうとする人なら少なからずあると思います。自分と外の世界は、どうしてすんなりなじんでくれないんだろうか、というもどかしさ。

また、虚無感を書きたかった、ともおっしゃいました。
すると、篠田先生からぱっと手が上がりました。
「小池さんの虚無を描いたものというと、ほらあれ、タイトルが出てこないんだけど……」と、ちょっとのあいだ、タイトルなんだったっけ、と当の作者の小池先生も一緒に思い出そうとしていました(笑)。
無事『襞のまどろみ』とタイトルも思い出し、篠田先生はあらためて、「あの作品は虚無という抽象的な概念を具体にした作品です!」と絶賛されました。
おお、読んでいない。読まなければ。ものすごく読んでみたい!

そのほか、取材、メモから作品へと膨らませるには、プロットや登場人物の履歴の作り方など、小池先生、篠田先生、お二人の方法を知ることができました。
う~ん、まさに年末の福袋です。

小池先生のお話で、印象的だったのは、「作家の中にある『強いもの』を出していかなくてはいけない」という言葉です。「強いもの」とは、抽象的な表現ではありますが、うん、わかります!  

また、これから作家になる人は自分の核になるテーマを探す作業を忘れないでほしい。現在あるものを疑ってかかる、これが作家の資質である、とも。

それにしても、聞きしに勝る美しい方でした!
そこいらの「びまじょ」なんて言っている人たちなんぞかすみます。
しかも、性格はチャーミング! 惚れちゃいそう。
もともとの美しさが、知性と信念で磨かれるとああいうふうになるんだろうな、と思ったりした、赤い月の夜でした。*

*この日は皆既月食。二次会のイタリアンレストランのベランダから見上げると、細い長方形に切り取られた夜空に幻想的な赤い月が浮かんでいました。いろんな意味で贅沢な夜でしたわ!

12月に突入しました。
やり残したことどっさり、やらなきゃいけないことは前から迫ってくる、どーしましょ。と、あたふたしてしまいます。なんだって毎年同じことを繰り返すのか……。

ささ、気を取りなおして。
わたくし先日、誕生日を迎えました。11月23日、古くは新嘗祭、現在では勤労感謝の日。恵みに感謝するという、なかなか佳き日であります。

しかし、小説家を志して10年ちょっと。この間、誕生日を祝ったことはありません。
というのは、山村正夫記念小説講座の第4期テキスト用原稿の締め切りが、11月の第4金曜日と定められているからです。11月23日は例年、ほかのことは打っちゃって原稿の追い込みにかかっており、誕生日がどうのこうのなんて余裕はない!
ま、原稿を提出してから、「あ、また一つ年をとってた」と気づき、やおら一人でワインなどを開けたりしていたわけですが。

今年も相も変わらずの状態でしたが、誕生日から1週間たった11月30日、わたし宛に小さな包みが届きました。送り主は、同居青年。またの呼び名は息子です。
箱を開けてみると、中から出てきたのはオペラグラスでした。
ドイツの精密光学機器の老舗、エッシェンバッハの新モデル『カルメン』です。
「ああ、ほんとうに買ってくれたんだ」
と、まぶたがじんわり。って、ウソです。ホントは「やったぁ! これでオペラを3倍楽しめる!」と小躍りする調子のいい母でござんす。

この伏線は、11月13日にありました。
息子もわたしも大好きなピアニスト、エフゲニー・キーシンの演奏会に二人で出かけました。
「天才」という冠をつけられることの多いこのピアニストのチケットを取るのは、なかなか大変で、発売当日の午前中に確保した席は、S席だというのにかなり後方でした。
まあ、ぜいたくを言ってはきりがありません。チケットをとれただけ幸運です。
キーシンの演奏は、彼の指が鍵盤をたたいて音をだしているのではなく、まるでその指そのものから音が生まれてくるといったらよいのか、ほかに聴いたことのないような音でした。次元が違うというか……。
ただ、席が後方なので、指の動きが見えないのが惜しまれます。

そんなわけで、帰りがけに「オペラグラスを持っていたらよかった」と、わたしはつぶやいたのでした。

じつは、ずいぶん前から騒いでいたんです。
「こんど原稿料が入ったら、エッシェンバッハの『椿姫』なるネーミングの赤いオペラグラスを買うんだ!」と。
はい、オペラ大好きなんです。でもチケットがお高いので、あまり行けません。いえ、ほとんど行けません。
オペラ鑑賞は、歌い手の表情なども見どころ(?)なので、オペラグラスはぜひとも欲しいところです。
大型文具店「伊東屋」で、『椿姫』を見つけたのは3年ほど前だったでしょうか。
この春、満を持して購入せんとしたオペラグラス『椿姫』は、なんと製造販売が終了していました。ガ~ン。
赤、というよりも「紅色」という感じのそのオペラグラスに魅了されていたわたしは、すっかり気落ちし、もういいや、と思っていました。

そこへ、キーシンの演奏会でした。
「オペラグラスを持っていたらよかった」とつぶやいたわたしに、「じゃ、もうすぐ誕生日だから買ってやるよ」と、息子が想定外の言葉を発したのでした。
「はいはい、期待してます!」といいつつ、ぜんぜん本気にしていないわたくしでございました。すまん、息子よ。

いやじっさい、誕生日も、それから何日かたっても、「プレゼント」の気配はありません。
が、絶妙なフェイントをかけて、11月30日に届いたというわけです。

『椿姫』とはまた違う、朱色がかった赤い『カルメン』がわたしの大切な宝物になりました。
やっほい!
もう何カ月も前にチケットを確保したウクライナのオデッサ歌劇場の『トゥーランドット』は、年が明けて1月の公演です。
トゥーランドットの舞台を『カルメン』をお供に観る。なんて素敵なんだ!

10のうち、9個がしんどいことであっても、たった1個のうれしいことでおつりがくる。いま、そんな気分になってます。
うーん、がんばっちゃうからね! 来年はデビューできそうな気分になってきた!(←あくまで個人の感想です・笑)

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