師走も半ばになりました。
わが山村正夫記念小説講座では、年末恒例のゲスト講評の12月です。

10日(土)は、小池真理子先生にお越しいただきました。
わざわざ説明するまでもない、現代日本を代表する女流作家です。
年末のスケジュールというのは、まことに意地悪なもので、この日わたしはどーしても外せない打ち合わせがあり、たっぷり1時間遅れて教室に到着しました。

しんと静まり返った廊下を教室へと向かっていると、うしろからコツコツと足音がします。
わ~い、遅刻の人がほかにもいた! と振り返ってみるとベージュのコートを羽織った、長身で顔の小さなカッコいい女性が近づいてきます。
あ、あれは!
教室OGで、こちらも現代日本を代表する女流作家・篠田節子先生でした。
「あらぁ、今日は篠田先生も講義されるんですか?」
ドアの前で、まぬけ声で訊くわたし。
「いやいや。今日はただの野次馬」
と笑っておっしゃいました。
そこへ居合わせたトイレ帰り(!)の男子受講生がドアボーイよろしく扉を開くと、
「○○さん(←わたしの本名)、先にどうぞ」
と先生がうながしてくださる。
とんでもない! もちろん先生に先に入っていただきました、はい。
ああ、ドキドキした。

教室に入ると、前半の受講生作品の講評はすでに終わっていましたが、後半の小池真理子先生の小説観、創作法などの講義には間に合いました。
『恋』『欲望』など、胸が苦しくなるほどの男女の心情を描く先生は、どんな小説観をお持ちなのだろう、と期待が膨らみます。

なぜ小説を書くようになったのか、というシンプルな問いに、小池先生はこうお答えになりました。

「幼少期、たいへん病弱だった。そのせいか、‘世界’となじむことができない。自分と世界との間にある溝を埋められるのは書くことしかなかった」

きっと物を書こうとする人なら少なからずあると思います。自分と外の世界は、どうしてすんなりなじんでくれないんだろうか、というもどかしさ。

また、虚無感を書きたかった、ともおっしゃいました。
すると、篠田先生からぱっと手が上がりました。
「小池さんの虚無を描いたものというと、ほらあれ、タイトルが出てこないんだけど……」と、ちょっとのあいだ、タイトルなんだったっけ、と当の作者の小池先生も一緒に思い出そうとしていました(笑)。
無事『襞のまどろみ』とタイトルも思い出し、篠田先生はあらためて、「あの作品は虚無という抽象的な概念を具体にした作品です!」と絶賛されました。
おお、読んでいない。読まなければ。ものすごく読んでみたい!

そのほか、取材、メモから作品へと膨らませるには、プロットや登場人物の履歴の作り方など、小池先生、篠田先生、お二人の方法を知ることができました。
う~ん、まさに年末の福袋です。

小池先生のお話で、印象的だったのは、「作家の中にある『強いもの』を出していかなくてはいけない」という言葉です。「強いもの」とは、抽象的な表現ではありますが、うん、わかります!  

また、これから作家になる人は自分の核になるテーマを探す作業を忘れないでほしい。現在あるものを疑ってかかる、これが作家の資質である、とも。

それにしても、聞きしに勝る美しい方でした!
そこいらの「びまじょ」なんて言っている人たちなんぞかすみます。
しかも、性格はチャーミング! 惚れちゃいそう。
もともとの美しさが、知性と信念で磨かれるとああいうふうになるんだろうな、と思ったりした、赤い月の夜でした。*

*この日は皆既月食。二次会のイタリアンレストランのベランダから見上げると、細い長方形に切り取られた夜空に幻想的な赤い月が浮かんでいました。いろんな意味で贅沢な夜でしたわ!

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