激動の、という枕詞をつけられて2011年の日本は語られています。
わたしにとって、これほど「命」というものを深く、また身をもって考えた年はありませんでした。
3月11日に起きた、東日本大震災。
マグニチュード9.0という巨大地震とそれによって引き起こされた想像を絶する大津波、そして福島第一原発の甚大な事故。
くりかえし画面に映し出される津波の映像を目にし、みぞおちのあたりに大きな石をねじ込まれるような重苦しい痛みが居つき、夜中に叫び声をあげて目が覚めるということが続きました。
これは、いまはじめて書きました。口にしたこともありません。
精神の脆弱さをみずから露呈するようなもので、ちょっと格好悪いと思ったものですから。
でも、軟弱なのは事実なんだからしようがない。
これからは格好が悪いからとか、情けないからと隠すことはやめようと思います、できるだけ。
そう、人の命は何の前触れもなく突然奪われるものなのだ、と思い知りました。
さっきまで、家族と食事をしていたお年寄りが、いつも通りの仕事に励んでいた人が、午後のお遊びの時間になって園庭を駆けまわっていた幼い子どもたちまでも容赦なく。
以前も書きましたが、震災以降、自分にできることはわずかな寄付と節電と、毎日をきちんと生きること、という実にささやかな誓いを立てて暮らしていました。
ライター仕事と小説の習作、ちょっと手抜きの家事(きちんとしてないじゃないか……)。
ところが、どうも体調が思わしくない。きっと震災が微妙に影響しているのだろう。
夜よく眠れなくて疲れがたまっているし。
しかし、こんなことでは被災者の方々に申し訳ない。
しっかりせよ、ガンバレわたし、と叱咤しつつもぐんにゃりしているところへ、区の婦人科検診の案内が届きました。
健康医療系のライターをしていて、つい去年も「検診のすすめ」という記事を書いたばかり。なのに、自分はもう数年検診に行ってませ~んという不良ライターでした。
しかし、きちんと生きると誓いを立てたのだから、これは受けようじゃないか。体調だってよろしくないわけだし。
それになんといっても、今年偶数年齢の人はマンモグラフィー検査無料という特典付きではないか。
まあ、「無料」に引かれた感は否めませんが、ともかく6月24日、区の保健センターへ検査を受けに行ってまいりました。
「結果は3週間から1ヵ月後にかかりつけの先生の方からお出しします」
ところが10日後の7月4日、外出先から帰宅すると、かかりつけのクリニックからじゃんじゃん留守電が入っているではありませんか。
「できるだけ早くご来院ください」
7月11日から、かりつけ医に紹介された大病院にて、精密検査を開始。
当初、左右の乳房に異常がみられるとのことで、真っ平らになった胸を想像して気が遠くなりました。
超音波、MRI、細胞診、太針生検、マンモトーム生検などを行い、最終的な診断を待ちます。ちなみにこの時点で両乳房は穴だらけです。
7月29日。左は良性の石灰化だが、右は残念ながら浸潤性のがんであると告知されました。
念入りな検査を受けている間に、ほとんど覚悟はできていましたので、がん告知はすんなり受け入れることができました。
念のため、乳がん病理専門病院にセカンドオピニオンを求めましたが、主治医の名を言っただけで、「M先生の診断なら間違いない」と即答されました。どうやら知らないうちにいい医師に当たっていた(!)ようです。
そして、8月7日入院、9日手術、13日退院と、タタタッと事が運びました。
(余談ながら、退院してわずか1週間目の20日には、小説の合宿に参加したので、タタタタッです)
9~10月にかけて全25回の放射線治療も終え、現在は薬物療法(抗ホルモン療法)に入っています。
毎日1錠の服用で、あと5年間つづけます。気長に構えましょう。
全身の関節痛、倦怠感などの副作用はなかなか手強いものがありますが、効いている証拠だと思えばありがたいものです。
震災と自らの乳がん罹患によって、「命には限りがあるのだ」という当たり前のことが、くっきりとわたしの中に刻まれました。
人間は生きているだけで美しいという言葉を、どこか斜に構えて聞いていた過去の自分を恥じています。
こうして、2011年はわたしにとっては、命という根源的なものをもう一度よく考える年となったのです。
大上段に「命」をテーマにするというのではないかもしれませんが、今後ものを書くうえでは何かしら反映されていく気がします。そうでなくては……。
あ、ひとこと。わたしのがんは、ステージⅠ。リンパ節転移もなく、煩悩の数だけ生きるという目標も達成できそうです。けっこうしぶとい質です。それから、手術は乳房温存手術で、ひとまわり小さくなったおっぱいが健気に残っております。
さて、震災がなければ、果たして検診に行ったでしょうか。分かりません。何がどうつながるか計り知れません。とても不思議な心持ちがします。
多くの御霊に哀悼の念と深く大きなものを教えてくれたことに感謝しつつ、2011年のブログ納めといたします。
今年も1年どうもありがとうございました。
来年が、みなさまにとって、楽しいこと嬉しいことほっとすることがたくさんある佳き年となりますよう、お祈り申し上げます!
同じ教室の者です。
某文学賞に応募し、三次通過までは出来たものの、4次で落選。そして見事に4次選考を通過し、また最終選考の6作品にまで残った園子さんを羨ましいと、今朝の発表を見て思っておりました。
でも、その陰でこのような闘病生活と闘っていたのだと知り、胸を打たれました。
私も乳がん検査でひっかかりマンモはもちろん針を刺しての細胞診検査まで受けたことがあります。幸い悪性ではありませんでしたが、その時の不安・心細さは経験した者でなければわからないと思います。
私も持病があり、何年も通院し、ここ数年は薬の副作用に苦しみ、書くことどころか日常生活も送るのも困難な日もありました。
闘病は心身に負担がかかるだででなく、経済的にも不安になります。
そんな中でも、毎回テキストに作品を提出して、公募でも結果を出してきた園子さんを知り、励まされました。
私の父も癌で最悪のステージで手術後余命半年と宣告されましたが、その後も半年どころか15年以上経った今も生きています。
乳がんは転移が怖いと聞きますが、転移がなくて不幸中の幸いでした。
薬の副作用等、辛い時期が続くかと思いますが、頑張って下さい。私も園子さんを見習って頑張りたいと思いました。
☆yamanekoさん
コメントありがとうございます。
yamanekoさんがどなたかは、文面を拝見してすぐわかりました☆
同じ志の方に読んでいただいてうれしく思います。
某文学賞は、昨年中に「落選」のお知らせをいただいていましたが、この元旦にバーンと落選を世に知らしめることになって、あたしの新年ってどーなのよ、とちょいとやさぐれたフリなどしてみました(笑)。
わたしは、幼少期から病弱のレッテルを貼られて育ちましたので、人より調子の悪いのがふつうの調子、と生きてきました。
そのせいか、今回の乳がんも、お前はアホかと思われるほど精神的な動揺はありませんでした。
しかし、文学賞の落選は、まことに悔しい。あと一歩だから余計に悔しい。
でも、それは力が足りないからです。
力の足りない自分が悔しい!
yamanekoさんも、ご自分の体を慈しみつつ挑戦を続けてくださいね。
来年リベンジしましょう~!
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