3月11日です。
東日本大震災から1年が経ちました。
こんなに1年が飛ぶように過ぎ去ったことはありません。
多くの失われた命と、いまなお復興には遠く、復旧もままならない被災地の方々の苦悩に思いをいたし、14:46の時報に合わせて黙祷しました。
TVでは震災関連の特番が各局で流されているようです。
わたしは、あの津波の映像に言い知れない恐怖を覚えるので、できるだけこうした番組は避けているのですが、今朝のNHKの番組は、天気予報を見るために点けた流れでそのままなんとなく見ていました。
それは、宮城県知事を迎えた仙台の特設スタジオと気仙沼の被災者の方々、そして復興庁の復興大臣政務官をつないだ中継でした。
非常にムカつきました。
被災者の言葉は、命や暮らしに密着した具体的なものであり、地元知事の言葉は何とかそれに応えようという意思を感じられるものでした。
ところが、復興政務官の郡なにがし氏(女性)の言葉は、美しい日本語のお手本のような発声とイントネーションではあるけれど、血も肉も感じられない「返答のための返答」のようなものでした。少なくともわたしにはそう感じられました。
ムツカシイ専門用語を必要以上にちりばめ、長いセンテンスでしゃべり、煙に巻きます。
わたしの頭では、何を言っているのだか理解できませんでした。
その政務官がしゃべるたびに、イライラが募っていきます。
被災地担当の司会者も堪忍袋の緒が切れたのか、番組も半ばを過ぎたころ、少しばかり憤然とした声で「いまの政務官のお話が分かった方はいらっしゃいますか?」と被災者のみなさんに問いかけました。全員、憮然として大きく首を横に振りました。
こんな人が復興庁の要職にあるのでは、ガレキの撤去もままならないな、と思ったものです。
そんなに事は単純じゃない、なんてことは承知でございますよ、わたしだって。けれどねえ、あの政務官の話はひどかった。
さかのぼること2週間ほど前だったでしょうか。これも偶然目にしたTVの映像でした。
季節は夏です。
元気な濃い黄色をしたひまわりが、畑一面に広がっています。
ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」の場面を彷彿とする光景でした。
ところが、そこにかぶさってきたのが、地元の男性の声です。
──ひまわりが可哀そうだっぺ。セシウムをとる(除く)ためだけに植えられてさ。
ああ、福島ではそんな実験も行われたなあ、と思い出しました。
そして、その地元のオッチャンの心の底から発せられた声音に胸がきゅっとなりました。
人の言葉には、心根が表れるものだとつくづく思います。
わたしなんぞ、人の言葉をどうこう言えるような人間ではありません。
心根を少しでもまっつぐにして血の通った言葉で話せる人間になろうと、震災から1年のこの日、そんなふうに思ったのでした。


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