猫招きがお届けします―第4回 仲間

★受講生が発信する山村教室の紹介ブログです★
第4回 「仲間」

春めいてきた今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
前回の記事から大分時間があいてしまいましたが、僕はまあぼちぼち元気でやっております。

さて、ハンドルネームをご覧いただければ大体想像がつくと思いますが、僕は大の猫好き。
今も飼っている猫を膝に乗せつつ、ブログを書いていたりするわけです。
幸いなことに、猫もこの位置が大好きらしく、パソコンの電源を入れて椅子にすわると、すぐにやってきて膝に乗ってくれます。

小説を書くときも膝にいるわけで、僕にとっては、長年にわたる心強い執筆の友です。
小説を書くということは、孤独な作業なのですが、しゃべらず、ただ寄り添ってくれるという猫という存在は、僕にとってはとても大切なものです。

 

そんなわけで猫とは仲よくやっていますが、猫(あるいは家族)では役不足かな、と思ってしまう場面も、少なからずあります。

それはつまり、しゃべりたいときです。
訂正。ただしゃべるんじゃない。小説を書いているときに発生する、もろもろの不安や辛さ。愚痴などを、言葉の通じる対象に向かって訴えたいときです。

まず猫は日本語が通じないので無理。
言葉の通じる家族でも(幸いなことに僕の場合、熱心に耳を傾けてくれはするのですが)今一つ、僕の心は満たされません。

多分、感情や感覚の共有というべきものの欠如が問題なのだと思います。
彼らは(猫も含めて)僕がやっている小説作業のことを見て知ってはいるが、実際を体験したわけじゃない。
だから、関心や感心や同情は生まれても、それ以上の同族意識が生まれてこない。

すいません。自分から進んで小説を書きはじめておいて、そのうえ不満を述べるとは、贅沢きわまりないことですよね。
でも、小説を書いている方なら、おおむね納得していただけることなのではないかと思います。

正直に言いますと、僕はこの手の孤独に、あまり強いほうではありません。
でも、それでも曲がりなりに、小説を書いてこられたのは、山村教室という場所に入れたからだと思います。

 

当たり前ですが、教室にいる人たちは、みな小説を書いています。
そう、あらためて意識するとじつに不思議な感覚になりますが、教室は、小説という名のつく文章を、机に向かって書いている人たちの大集団なのです。

ふだんは影を潜めていて、どこにいるやら見当のつかない人種が、頭をそろえて集っている。
これって凄いことですよね。

僕は正直言って、教室に入らなければ、こんなにも頑張って小説を書きつづけることはできなかっただろうと思います。

教室には、先に述べた、小説書きしかもてない感覚や葛藤を心に持った人が、たくさんいます。

何も、微に入り細に要り、自らの文学観を語ったりする必要などはないのです。
小説書きとしての矜持をもった人と、小説の話や、近況を語り合うだけで、不思議なくらいに孤独は埋まっていき、不安も幾分か消えていくのです。
少なくとも僕はそうです。

 

そして、山村教室には、大切な決まりがあります。
「受講生どうしで作品講評を行なってはならない」という鉄の掟です。

これを聞いて、物足りなく感じる方もいるでしょう。せっかく小説書きが集まっているのに、互いの作品を論評できないなんて、どうしてなんだ、と。
でも僕は、この決まりこそが、受講生どうしの不毛なマウンティング行為を防ぎ、互いの心の距離を適正に保つ役割をしているのだと思っています。

「そんな馴れ合いなんて要らない。俺は孤独を愛しているんだ!」という方も、当然いるだろうと思います。
大丈夫。ご安心ください。無理に人づきあいをする必要はありません。教室内でどうふるまうかは、その人の意思にゆだねられているのですから……。

さて、今回も僕の雑感におつきあいいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。では!

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