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猫招きがお届けします―第5話「悔しさに学ぶ」

2017-08-23

★受講生が発信する山村教室の紹介ブログです★
猫招きがお届けします―第5話「悔しさに学ぶ」

 山村教室は、プロ作家を目指す人のための塾です。
 まあ、はっきりトップページに掲げてあるので、いまさら僕が強調する必要はないのかもしれませんが、あえて書きました。
 この教室はカルチャースクールではありません。別にカルチャーを馬鹿にして言っているわけではありませんが、ともかく本気の人が来て、本気の原稿を提出し、講師も本気で指導をします。

 それを証明するように、実際何人もの人が教室からデビューし、プロ作家となっています。
 というわけで山村教室が日本有数の素晴らしい小説塾であることは間違いないのですが、だからこそ、僕にとってちょっと困ったことがあります。

 ある程度、年を越えて教室に通うと、プロデビューしていく人の姿を、この目で間近に見る機会にでくわします。
 めでたいことです。
 同じ教室で学んだ人が、羽ばたいていく姿を、この目で見ることができるのですから。

 でも、僕のような、あまり心が綺麗とは言えない人間には、複雑な光景でもあります。
 特に、僕よりも遅く入塾してきて、小説執筆歴も浅い方が受賞したりすると、もう大変です。
 心は嵐の中の小舟のごとく、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、感情に振り回されることになります。

 もちろん、いや当然、デビューした人たちに対する敬意はあります。憧れもあります。何よりも「自分が次に続くのだぞ」というガッツもわいてきます。

 でも、やはり嫉妬もあります。焦りも生じます。
「どうして長く書いているのに、俺は認めてもらえないのだろう」
 という気持ちがむくむくと浮かんでくるのを、抑えることができません。

 そんなとき、僕はひどい自己嫌悪に陥ります。
 学友の成功を素直に喜べない。それどころか、黒い気持ちに陥ってしまっている。
「俺はなんて心が狭く、汚く、嫉妬深い人間なのだろう」と。
 この体験を、誰にも言わずに繰り返してきました。

 教室には、たくさんの人が所属しています。
 冷静に考えれば、そこからデビューできる人は、ほんの一握り。
 その一握りに食い込むことは、やはり難しいことだと思います。
 それがわかっているからこそ、悔しさがつのります。
 今はこの気持ちを、どうすることもできません。
 受賞者に対して毎回教室で送られる拍手。
 僕は情けないことに、この拍手を、悔しさと焦燥の入り混じった心持ちでしなければなりません。

 ですが一つ、同じ体験を繰り返し、学んだことがあります。
「この薄汚い気持ちは、使える」ということです。

 以前、主任講師が「小説というものには、毒が必要だ」と語っておられました。
 また同時に、「小説は人の心を描くものだ」とも。

 それから以前にゲスト講師として来ていただいたプロ作家の先生も、こうおっしゃっていました。
「自分の中の、一番醜いものを描け」と。

 もちろん、人の心の暗部だけを延々と描いていては、読者はへきえきしてしまうことでしょう。それは重々承知しています。
 でも、そこまではいかず、スパイス的に、自分の持っている業(とでも呼ぶべきもの)を入れることができれば、人間描写がぐっと奥行を増すことになるはずです。

 山村教室では、なかなかよそでは味わえない類いの嫉妬を感じることができるのです。希有な場所と言って間違いないでしょう。
 これを、自作に反映させない手はありません。

 選ばれない、拒絶される、恋人に振られる、自分を嫌う――。
 それら、さまざまな感情をもつ人物に対し、僕は共感を感じることができます。

 そして、キャラクターを作り込んでいるとき、思うのです。

 やっぱり山村教室に入って、良かった。そして――

 次にデビューをするのは、絶対俺なのだぞ、と。


猫招きがお届けします―第4回 仲間

2017-03-30




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第4回 「仲間」

春めいてきた今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
前回の記事から大分時間があいてしまいましたが、僕はまあぼちぼち元気でやっております。
さて、ハンドルネームをご覧いただければ大体想像がつくと思いますが、僕は大の猫好き。
今も飼っている猫を膝に乗せつつ、ブログを書いていたりするわけです。
幸いなことに、猫もこの位置が大好きらしく、パソコンの電源を入れて椅子にすわると、すぐにやってきて膝に乗ってくれます。
小説を書くときも膝にいるわけで、僕にとっては、長年にわたる心強い執筆の友です。
小説を書くということは、孤独な作業なのですが、しゃべらず、ただ寄り添ってくれるという猫という存在は、僕にとってはとても大切なものです。


そんなわけで猫とは仲よくやっていますが、猫(あるいは家族)では役不足かな、と思ってしまう場面も、少なからずあります。
それはつまり、しゃべりたいときです。
訂正。ただしゃべるんじゃない。小説を書いているときに発生する、もろもろの不安や辛さ。愚痴などを、言葉の通じる対象に向かって訴えたいときです。
まず猫は日本語が通じないので無理。
言葉の通じる家族でも(幸いなことに僕の場合、熱心に耳を傾けてくれはするのですが)今一つ、僕の心は満たされません。
多分、感情や感覚の共有というべきものの欠如が問題なのだと思います。
彼らは(猫も含めて)僕がやっている小説作業のことを見て知ってはいるが、実際を体験したわけじゃない。
だから、関心や感心や同情は生まれても、それ以上の同族意識が生まれてこない。
すいません。自分から進んで小説を書きはじめておいて、そのうえ不満を述べるとは、贅沢きわまりないことですよね。
でも、小説を書いている方なら、おおむね納得していただけることなのではないかと思います。
正直に言いますと、僕はこの手の孤独に、あまり強いほうではありません。
でも、それでも曲がりなりに、小説を書いてこられたのは、山村教室という場所に入れたからだと思います。


当たり前ですが、教室にいる人たちは、みな小説を書いています。
そう、あらためて意識するとじつに不思議な感覚になりますが、教室は、小説という名のつく文章を、机に向かって書いている人たちの大集団なのです。
ふだんは影を潜めていて、どこにいるやら見当のつかない人種が、頭をそろえて集っている。
これって凄いことですよね。
僕は正直言って、教室に入らなければ、こんなにも頑張って小説を書きつづけることはできなかっただろうと思います。
教室には、先に述べた、小説書きしかもてない感覚や葛藤を心に持った人が、たくさんいます。
何も、微に入り細に要り、自らの文学観を語ったりする必要などはないのです。
小説書きとしての矜持をもった人と、小説の話や、近況を語り合うだけで、不思議なくらいに孤独は埋まっていき、不安も幾分か消えていくのです。
少なくとも僕はそうです。


そして、山村教室には、大切な決まりがあります。
「受講生どうしで作品講評を行なってはならない」という鉄の掟です。
これを聞いて、物足りなく感じる方もいるでしょう。せっかく小説書きが集まっているのに、互いの作品を論評できないなんて、どうしてなんだ、と。
でも僕は、この決まりこそが、受講生どうしの不毛なマウンティング行為を防ぎ、互いの心の距離を適正に保つ役割をしているのだと思っています。
「そんな馴れ合いなんて要らない。俺は孤独を愛しているんだ!」という方も、当然いるだろうと思います。
大丈夫。ご安心ください。無理に人づきあいをする必要はありません。教室内でどうふるまうかは、その人の意思にゆだねられているのですから……。
さて、今回も僕の雑感におつきあいいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。では!


猫招きがお届けします―第3回 才能と努力

2016-07-02

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第3回 才能と努力

こんにちは!猫招きです。

今回は、小説学校に入る前に、多くの人が抱くであろう疑問について、考えてみたいと思います。
それはつまり、
「小説って、はたして(人から)教わって上達するものなの?」
ということです。

なるほど、確かにすべての創作活動には「才能」という要素がついてまわります。
絵画、音楽、舞台芸術――どの世界でも、秀でた才能というアドバンテージを持った人間が存在します。
小説の世界でも、そういう人たちはいるのでしょう。

実際、小説新人賞を受賞した人たちは、たびたびこんな台詞を語ります。

例えば、
「生まれてはじめて書いたもので賞を獲りました」

あるいは、
「ふと思い立ってある日書き始めました。夢中になって書き上げたそれが、受賞作となったのです」

もちろん自信満々で書いている作家志望者ならば、こういうものを読んでも、ダメージを受けないことでしょう。
でも多くの、迷いながら書いている人たち。
新人賞に応募したものの落選を味わった人たちにとっては、上のような言葉は結構なインパクトをもって心に迫りくることでしょう。

小説って、とどのつまりは才能で書くものなのか?
まるで魔法か呪術みたいに、降ってくる何かを待って書くものなのか?
そしてそれが降ってくることがない(つまり才能が足りない)自分には、小説を書く資格がないのか?

無理もない疑問です。僕も散々こういう考えに悩まされました。

確かに、持って生まれた才能(?)でもって一気呵成に傑作を書き上げてしまう方もいるでしょう。
でも、きちんと調べてみれば、すべての作家さんたちが、そういった経緯でデビューしているわけではないということが、知れるはずです。

証明してくれる人たちが、山村教室にもいらっしゃいます。
創作に迷ったあげく入塾してきた後に、見事デビューした方。あるいは最終選考に残れるようになった方――そういう方たちが輝ける例として実在しているのですから。

ここで結論を言ってしまいましょう。

小説講座で、小説を書く技術は学べるのです。

もちろん、以前の回で書いたように、ただ漫然と講義に出席するだけではいけません。
きちんと作品を書き上げ、テキストの締切り日までに提出する頑張り。
その作品に対する講師の厳しい指摘を受け入れる、謙虚さ。
あらかじめ自分以外の受講生の作品に目を通しておき、講義に挑む真摯さ。

そういった気構えが必要なのは、言うまでもありません。
もちろん、「受賞するまで絶対に書き続けてやるんだ」という粘り強さも必要でしょう。

かくして僕も、小説を書き、教室に通います。
小説は学べる。
真面目な努力を持続することによって、新人賞を獲ることができるのだと、自分自身に証明をするために。

さて、今回はここまで。
皆さん、またお会いいたしましょう!


猫招きがお届けします―第2回 リアリティ

2016-03-04

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第2回 リアリティ
 こんにちは。猫招きです!

 今回は、僕が教室に入って受けた指導(ダメ出し)の中で、一番衝撃が大きかったものを、皆さんにお伝えしようと思います。

 僕は、教室に入るまで、家族以外ほとんど誰に読ませることもなく小説を書いては賞に応募をしておりました。
 賞に応募したことのある方ならご存じかと思いますが、(ライトノベルをのぞき)多くの文学新人賞では、講評というものを応募者に送りません。
 作品のどこが悪かったのか、あるいはどこが有望なのかは、三次とか最終とか、選考の上の方に残った場合をのぞいて、発表がされないような仕組みになっているのです。

 で、当時の僕の成績はというと、ほとんどが一次選考通過、二次選考落ちというもの。
 当然ながら、自作のどこが悪かったのかは、わからずじまいでした。

 どうして自分の作品が落ちるのか?
 いったいどこが悪いのか?
 そういったことを知らずに、ただ漫然と書きつづけていても、なかなか上達は難しい。
 最初から最終選考に残ることができるような能力をもっていれば別ですが、僕にはその力がなく、ただただ鬱屈だけがたまっていくばかりでした。

 だから僕は、山村教室に入りました。
 自分の作品のどこが悪いのか、じゃんじゃんダメ出しをしてもらって、今までの落選の理由を知ろうと思って。

 結果として、先生からさまざまな指導をいただき、僕の自作を見る力は上がりました。
 まだ最終には残れていませんが、将来に向けての見通しが、しだいに開けてきているように感じます。

 それで冒頭に戻るのですが、僕が一番衝撃を受けた指導とは、何だったのか?
 それは、「作中におけるリアリティの欠如」でありました。
 これではわけがわからないと思うので、例をあげますと、

「○○を仕事にしている人は、普通こんなことはしない」とか、
「こんなとってつけたような偶然(作者都合)は起こらないだろう」とか、

 ともかく、読んでいて「あり得ない」と読者が感じてしまうであろうことです。

 なるほど、いくらフィクションの世界を描いているとはいえ、その中にも条理というものがきちんと存在し、それにそって物事が動いていなければいけません。
 それに対し、読者が違和感を感じるようなことがあれば、たちまち没入から醒めてしまい、それまで読んでいた「物語」はただの文字の羅列、読書に費やした時間は「無駄」と化してしまうことでありましょう。

 僕は、自分の作品にこういう不自然さがあふれていることに気づかないで、延々と小説を書きつづけていたのです。

 確かに原稿を読ませた家族にも、そういった問題点を指摘されることがありましたが、やはりプロの編集者であった先生にはかないません。
 僕は最初の講評で、今まで気づかずに見過していたリアリティの穴を先生から次々と指摘され、ひたすら首肯を繰り返したのでありました。

 そして、リアリティの問題だけではありません。
 他にも沢山の指摘をいただき、それにもまた納得をすることになったのですが、それはまた次回以降にでも書くことにいたしましょう。

 それではまた!


猫招きがお届けします――第1回 自主性

2016-01-26

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猫招きがお届けします――――第1回 自主性

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 皆様、こんにちは。
 先輩から受講生ブログを引き継ぐことになりました、猫招きと申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて今回は、「山村教室の真実」についてお伝えしたいと思います。
 何? 
 いきなり大袈裟なタイトルじゃないかって? 
 はい、自分でもそう思います。
 でもね、この文章を読んでいるあなた、もしかして山村教室にこんなイメージを抱いていたりしませんか? 
 例えば―――

a.通うだけで、めきめき小説が上手くなってデビューできてしまう!
 
 とか、

b.流行作家に確実になれる方法を手取り足取り教えてもらえる!
 
 みたいな。

 いやー本当だったら何と素晴らしいことでしょう! 
 でも残念ながら、このどっちもがハズレ。
 どこに行ってもそうですが、世界というものはそう甘くはないのであります。

 まずaのほう。
 
 ただ漫然と通うだけじゃあ、上達は望めません。
 原稿を書き、年四度あるテキスト〆切までに短編なり中編、長編の一部なりを提出。後日、それに対する講評を先生から受けるというのが(強制ではありませんが)基本になります。
 また講評ですから、耳当りの良い言葉で褒めらるとは限りません。
 むしろけなされるのが当然というくらいの気持ちで臨まないといけないような、先生の愛のこもったダメ出しを受けることが日常なのであります。

 そしてbのほう。
 
 指導は、さっきも書いたように提出された原稿に対する講評が基本。すでにある作品について、「こうしたらもっと良くなるんじゃないでしょうか」という意見はいただけるものの、「ゼロの状態から手取り足取り」で凄いアイディアを教えてくれるわけではありません。
 無から有を創り出すという苦労(あるいは楽しみ)を負うのは、あくまでも受講生自身なのです。

 というわけけで、教室で行われていることは至極地道で真っ当。小説上達は、先生の指導とともに受講生の自主的努力が大きく問われるものになっております。
 (などと書いている私自身が努力を欠かさないようにしなければいけませんね。もちろん)

 さて、ブログ初回ということで力が入りすぎたのか、大分かたい内容になってしまいました。
 ちょっと反省です。
 次回はもっと肩の力を抜いて書いてみようかと思います。
 ではまた!
 

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