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アダマース

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一年の半分が終わってしまいました。

う~ん、早いな。地球の公転速度、狂ってないかぃ。

 

さて、今日は本を一冊ご紹介。

9784163283807.jpg 牧村一人さん「アダマースの饗宴」

本年度の松本清張賞受賞作品です。(「六本木心中」改題)

作者の牧村さんは、オール讀物出身者なので私の先輩。

正確には今はなきオール讀物推理新人賞を受賞されているのだけれど、おっきく言っちゃえば先輩です。

 

 

そのご縁で先日(と言ってももう半月くらい前だけど)、清張賞の受賞パーティーにおよばれし、厚かましくも三次会まで居座って来ましたよ。

激しく人見知りの私、初対面の方がたくさんいる場ではどうしていいか分からなくなって暴走します。

牧村さん、酔った勢いで胸をもんでしまってすみません。(※注)牧村さんはもちろん男性です。

そんな対応に困ることをされても牧村さんは始終にこやか。気のいいお兄さんという感じ。

この方がハードボイルドを書かれるのかぁ、と思うと不思議なくらい。

ハードボイルド作家って、近寄っただけで受胎してしまいかねない危険な存在だと思っていました。だって大沢さんとか北方さんとか、そういうイメージ。(すいません)

いったいどういうお話なんだろうとワクワクしながら、パーティーでいただいた単行本(サインまでしていただいた)を発売日に先がけて読みました。

 

一気読み!

没頭しきって気付けば読み終わっていました。

受賞のスピーチで牧村さんご自身が「宝箱に自分の好きなものをいっぱい詰め込んだような作品」と仰っていたけれど、その言葉に偽りなし。

「男の子と女の子の遊び……」のくだりは、秀逸すぎて悔しかった。あのセリフが浮かんだ瞬間は、快感だったろうなー。

内容は、女性が主人公のハードボイルドとしか言えません。もったいないから。

近頃の清張賞は時代もの、歴史もののイメージが強かったけれど、この作品のおかげで来年は現代ものも増えそうです。

 

ところでパーティーの間中、選考委員の大沢在昌さんが「タイトルのセンスがない」と苦言を呈していらっしゃった。

改題前のタイトルが「六本木心中」だったので、有名な歌にも先行作品にもあるじゃないか、というお話。

人ごとじゃありません。なにしろ私も山本一力さんをして「タイトルが作品を貶めている」と言わしめたほどネーミングセンスがない。

それが「センス」であるかぎり、磨けば少しは光るはず。

日ごろから目についたものにキャッチコピーをつけてみるなどして、遊んでみよう。

おやおや

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巷で話題の「1Q84」、先週フラリと入った本屋さんに、上巻が一冊だけありました。

ちょうどバタバタしている時だったから、すぐには読めない。

でも今買っとかないと、次に出会えるのはいつだろう。

来月になったら余裕で買えるようになってるかもしれないけど……。

とりあえず、買おう。

 

 

 

 

さて、ここしばらく小説のことや実家のハプニングなどに追われていましたが、今日になってちょっとひと息。

買っておいたアレを読もうと取り出す。

 

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 おや。おやおや?

お分かりですか。黄色いしおりヒモ。途中で継ぎ足されてる。

どんな遊び心だろうと思って下巻を確認してみると、こちらは普通に緑色の一本のヒモ。

黄色いヒモ、足りなかったのかしら……。

急いで重版かけたから、現場は戦場だったんでしょう。

本を作ってくださる方々の苦労が垣間見えたことでした。

ありがとうございます。

 

チョコ 恩田陸「チョコレートコスモス
司書をやっている友人に「面白いよ〜」と薦められ、図書館に予約したまま忘れてたのが届いた。
「ガラスの仮面みたいなの〜」と言う友人の言葉どおり、映画みたいに冒頭に「ガラスの仮面へのオマージュ」と書いてあってもいいくらいだった。
つまり、女たちがやたらとヒートアップする演劇もの。
うん、まあ面白かった。
構成としては、飛鳥の過去が途中からぽっと出てきて流れが止まってしまったのが辛かったけども(偉そうに……)。

でもこれ、小説を書こうという人にはなかなか参考になるなと、友人とはまた違う観点で読みました。
オーディションで女たちが課題を与えられて、その演技をそれぞれの解釈でこなしていく場面があるのだけども、同じ台本なのに演者によってテイストの異なるお話になっている。さらにそれに演出まで加わって、そうか、演出ってそういうことか、とも思う。
山村教室ではよく、一つのお話を考え付いたらそれをまた違う視点でどんどん作り変えてみなさい、と言われるけども、まさにそれだ。
お話の作り方の参考になると思います、これ。

読後感は爽やかなのだけども、でもこれから女たちの熱くてどろどろで快活なバトルが待ち受けてるんだろうなぁ、と予想される。この一冊は、まるでその序章みたいな感じだ。
続編、あるのかな。あってもいいし、なくてもいい。
いやむしろ、ないほうが自分の想像の中で遊べて楽しいかも。
ともあれ出れば読む、そんな感じ。

それにしても「チョコレートコスモス」っていうタイトル、なんか美味しそうだな。友人に薦められたときも、なんか美味しそうだから読んでみようと思ったんだ。
しかしどうやらコスモスの種類らしい……。

東京タワー
リリー・フランキー「東京タワー」
もんのすんごいベストセラー本である。
最寄の図書館から「予約の本が返ってます」と電話がきて、はて、そんなもんしてあったかな、と取りに行ったらこれであった。
予約したことなんか忘れるくらいず〜っと順番の回って来なかった本。
貸し出しの時「たいへん人気のある本ですから、お早めに」と、念まで押された。

リリーさんの幼少時から、お母さんがガンで亡くなるまでの密接な関係を、素朴な方言をちりばめながら語った作品。
私はよく仕事の待ち時間にコーヒー屋さんで本を読んでいるのだけど、後半は絶対外で読めない。
リリーさん、ずるいわ、これ。
こんなん、絶対泣くやん。

しかも号泣。ここ数年でこんなに泣いた事はないというくらいの。
声を殺してると呼吸困難に陥るのでしょうがなく、わんわん言いながら泣いた。
十五の時、私は母を亡くしている。
やっぱり、ガンだった。

母は、美人だった。
授業参観やら三者面談やら運動会やら、何かある時は普段すっぴんの母がうっすらとお化粧をする。そんな時は娘の私ですら「おっ!」と思った。
その翌日、担任の先生がびっくりしたように言うんだ。「坂井のお母ちゃん、べっぴんさんやなぁ」
嬉しかった。

私が十三の時、レントゲンで異常が見つかって母は検査入院することになった。
私の中学は昼がお弁当持参だったので母はしきりにそのことを気にして、「早起きして作らないかんね。ごめんね。でももうすぐ夏休みやから、ちょっとだけ頑張ってね。お母さん、すぐ退院するから」なんて言っていた。

でも結局見つかったのはガンで、母はそうやすやすと退院できなくなってしまった。
「ごめんね。もうすぐ二学期始まんのに、またお弁当たいへんやなぁ。お父さんにチンしたらいいだけの冷凍食品買っといてもらうよう、言うとくからね」
この人は、アホやろか。自分がガンで大きな手術をせないかんという時に娘の弁当の心配なんかしてる。
泣きそうなのを我慢しながらそう思ったけど、「東京タワー」を読む限り母親というのは、そういうものらしい。

でもこの時誰も私に教えてくれなかったけど、手術の成功率は極めて低く、すでに余命六ヶ月宣言が出されていたのだった。

それでも母は一生懸命頑張った。余命六ヶ月が二年に延びた。
お腹にでっかい十字架の傷ができるくらい手術を繰り返した。
抗がん剤で髪が抜け落ち、再び生えてきたものは縮れてごわごわで、もとのまっすぐで綺麗な髪じゃなかった。
丸山ワクチンも打った。父が毎朝絞ってくるまずそうなケールのジュースも我慢して飲んでいた。誰かがガンに効くと言っては持ってくるマユツバな薬も飲んだ。
モルヒネでたまに、頭がおかしくなった。

それでも母はやせ衰えていった。
ごはんが食べられなくなっていった。
最終的には自力で排泄できなくなり、お腹に穴を空けて人工肛門が取り付けられ、そこから液状の便を垂れ流した。
こうなるのだけは嫌だと、ずっと母は言っていたのに。

父はその処理を看護師任せにしなかった。
私が赤ちゃんの頃、オムツを開いてみて中身がウンチだったら母を呼んでバトンタッチしていた父が、手が汚れるのも厭わず便のたまった袋を取り替えた。
それをトイレに捨てに行くのが、私の仕事だった。
容器を綺麗にしてトイレから戻ってくると、母は決まってすまなそうに「ごめんね」と言った。

すっかりミイラみたいにやせ細って、でもお腹だけは膨れた餓鬼みたいになって、母は死んだ。
八月十五日、終戦記念日だった。
「お母ちゃん、べっぴんやな」と言われた時の面影は、どこにもなかった。

とても強い人で、私に一言も「痛い」だの「しんどい」だの言わなかった。
母の兄の嫁が、「でも痛みはあんまりなかったみたいやったね。痛い痛いって言われたら辛いけど。それだけが、救いやね」なんて無責任なことを言っていた。
私は「そんなはずあらへんやろ、このヒヒババァ」と思ったけど、黙っておいた。

「もうあかんて言われてたのが、二年生きたんやもん、よかったなぁ。よう、頑張ったわ」
精進落としで赤ら顔しながらそんなことを言う親戚たちが、大嫌いになった。

「あんな辛い思いして、延命する意味あったん? 生き延びたゆうたって、ずっと毎日しんどいだけの二年やん。最後は人工肛門やで? 私がガンで、もう助からんのやったら、そのまま死なしてほしいわ」
ずいぶん経ってから父に、そう言ったことがある。
「意味は、ある」
と、父は言った。
「あのまま死んでたら、お母さん十三のお前しか、見られへんかったやろ。一生懸命頑張ったから、十五のお前が見れた。もうちょっと頑張ったら、十六やったのになぁ」
母は最期まで、私の心配ばかりしていた。

でもそんなのは、父がそう思いたいだけじゃないかと、思った。
その二年間の選択が間違いじゃなかったって、自分も自信がないから、そう信じたいんでしょ。

「東京タワー」を読んだ。
いっぱい泣いて泣いて泣きまくって、少し救われた。
死んでもなお、息子を想うお母さん。子供のために自分の人生を切り分けて、「我が子の優しいひとことで 十分過ぎるほど倖せになれる」とメモしたお母さん。
もしかしたら私の母も、本当に私が十三から十五になるのを見るために頑張ったのかもしれないと、少し思えた。

姉は今ではもう、母になっている。一歳と三ヶ月の息子がいる。
今度会ったら聞いてみよう。
「自分がめちゃめちゃ辛くても、子供が一歳でも二歳でも大きくなってくのが見られるんやったら、頑張れる?」

でも一つだけ、悔やんでも悔やみきれないことがある。
医者に今夜が山だと言われ、身近な親戚も病室につめかけてゴチャゴチャしていたとき。
ずっと母は意識不明で、ものすごい人口密度と辛気臭い顔に息が詰まって、私は少し外の空気を吸いに行った。病室の、のしかかるような空気の重さに堪えられなかった。
ちょうどその時、母の意識が戻ったそうだ。
うつろな目で病室を見回して、ひとことだけ、言った。
「キクちゃんは?」

私が戻った時には母はまた昏睡していて、そして二度と意識が戻らないまま、逝った。

何もしてあげられなかった。
まだまだ子供で全然力もなかった。
でもなんで、最後の時くらい「ここにいてるよ」って手を握ってやれる所に、いてやらへんかったんやろ。
自分がしんどくって、逃げた。
母はさぞかし私のことを、薄情な子や、と思って死んだやろうなぁ。

せめて私が母親になった時は、お母さんがしてくれたみたいなことを、してあげよう。
いっぱい愛していっぱい叱って、一緒に成長していこうって言える母親になろう。
そう思ってたけど、どうやら結婚も出産も、私には縁がないようだ。

ごめんなさい、お母さん。
「ありがとう」って言いたかったけど、それを言ってしまうとお母さんが死んでしまうのを認めるみたいで、生きてるうちに言えなくて、ごめん。

ありがとう。
死んでからめっちゃいっぱい言ってるけど、ちゃんと届いてるんかなぁ。

コーヒーショップチェーンのとあるベローチェにて落涙した午後の九時。
涙ぐむ、なんてレベルでなくって、目頭にハンカチを当てて鼻をスンスンする非常事態。
それを引き起こしたのがたった一冊の本だなんて、幸せすぎる。そして悔しすぎる。

前加奈子さんの「さくら」、こいつが犯人です。
さくら

五人と一匹の家族のお話。
とっても薄っぺらく響くのを覚悟で言わせてもらうと、「愛」が描かれているのです。

切なくて、でも体中がほんわりとした温かいものに満たされて、心がきゅんって締まる。
その「きゅん」の度合いがまた絶妙で、引き絞られる感じじゃないんだな。酸っぱいものを食べた時に頬がきゅんと締まる、そんな「きゅん」なんだ。

読み終わった瞬間にすぐにまた「泣かせどころ」に戻ってもう一度読んで、やっぱりまた泣いた。
きっと近いうちに全部を読み直して、そしてまた泣いちゃうんだろうな。
幸せな気持ちで泣けるものに、私は弱いのだ。

「愛」
言葉に出すにはこっぱずかしくて、でもいざ口にしてしまうと陳腐に落ちる。
そもそもこんな曖昧で単純で複雑なほわほわしたものに「愛」なんて漢字一文字の名称を与えること自体、無理があるんだよな。
そのたった一文字に凝縮されてしまったものを解きほぐすために、たくさんの物語や音楽や絵画や宗教が作られてきて、今も作り続けられていて、そして百年後も作られているのだろう。
それに名前なんて付けてしまわないほうが、もっと体全体で感じられたかもしれないのに。

まだ十代だった頃、とんがっていた頃、世の中の8割くらいを憎もうと思えばできた頃、「愛」という言葉がひどく軽率で無責任に思えて、「愛は地球を救う」なんていうどっかの標語が大嫌いだった。
「地球はなぁ、人の愛なんぞ求めてへんわ、ばぁか」
と、黄色いTシャツを着て桜吹雪がどうとか歌ってる大人たちに毒づいていた。

ところが「若い女」の範疇からちょっと片足はみ出かけてる昨今、「愛はひょっとすると地球を救っちゃえるかも」、くらいは思えるようになってきたんだから、人間分からんもんだ。
うんそうだな、次はほっこりとした愛の物語を、書いてみよう。
でも「愛」って、同時に地球をぶち壊しちゃえるかもしれないと思う、けどね

坂井希久子

2008年オール讀物新人賞受賞。小説家の端くれのそのまた端くれ。
翼広げて大空にはばたくぞ! と言いつつ、まだたまごには「ひび」くらいしか入っておりません。
それでも、小説が好き。あと、着物も好き。
どちらも奥が深いことでございます。
死ぬまでには、真髄にちょこっとばかし触れたいな。

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